〈4-藍〉声を聞かせて
3月もじきに終わる。
男子のプロ野球はもうすぐ開幕だが、女子プロは4月に入ってからだ。
オープン戦の日程を終えたトラベルスワンズは、本拠地の東京に戻って練習をこなしている。
男子の2軍は一足先に開幕しているものの、スコア速報を見ても、まだ蓮が出場した様子はない。ショートはいつも早田という選手が守っている。
「あったかい夜になったね~。素振りにはいい季節や~」
その日、私は船崎さんと二人で寮の外にいた。スイングのお誘いがあったのだ。
周りは高層ビル街。それでも夜になると少し静かになる。
私も船崎さんも左バッターだ。ちょっと距離を置いて、実戦をイメージしながら振り込む。
「藍ちゃんのスイング、めちゃ速いよね。どんだけ振り込んできたのさ」
「お父さんが社会人野球の監督をやっていたので」
「あ~、んで男子に混じって練習してた感じ?」
「そうです」
「そーいう環境うらやましいわ~。親が野球に反対しないってありがたいでしょ」
「はい……船崎さんは反対されたんですか?」
「ま、女子の野球人口増えた増えたってメディアが騒いでも親はなかなか理解してくれないんだよねえ。仕事にするなら博打と同じだって反対されてさ、それでも説得してこの世界に入ってきたわけ。21歳で年俸480万なら同世代の女より稼いでるぜ」
普通に話してくれるのか……。年俸の話題は触れない方がいいものと思っていた。
確か、蓮の年俸もそのくらいだったような。支配下選手の最低年俸に限りなく近かったはずだ。
船崎さんは2年活躍してその金額だから、あちらの世界とはまだまだ大きな差がある。
「ま、セカンドキャリアのことを考えると安いよね~」
「そうですね……。貯金しておかないと次の就職先が見つかるまでに食い潰してしまいそうです」
「そんでも、人生賭けたくなるだけの魅力があんのよ、野球には」
船崎さんはにへっと力の抜けたような笑顔を浮かべる。
私もまったく同じ気持ちだった。
☆
部屋に戻ると、風花の姿が見当たらなかった。トレーニングルームだろうか。
スマホを確認する。
「あっ」
蓮から「話せるか?」とメッセージが来ている。すかさず通話画面に切り替えた。
「……お疲れ、急に悪かったな」
久しぶりの声が聞こえて、胸がギュッと詰まるような気がした。左手を胸に当ててちょっと間を取る。
「お疲れ様。今日も試合には出られなかったようだな」
「ああ、高卒組はじっくり育成するのが2軍の方針らしくてな」
「それでもいいんじゃないか? 試合で悲惨な結果を出しまくるよりは」
「まあな。でも代打くらいチャンスがほしいよ」
実戦に飢えているようだ。高校では不動のレギュラーでも、プロに入ればひよっこ同然。
「お互い、しばらく苦労しそうだな。私も開幕スタメンは微妙そうだ」
「そうなのか。お前はあっさりレギュラーを勝ち取ってくもんだと思ってたよ」
「こちらにはこちらの感覚がある。アジャストするまでもう少しかかるだろう」
「じゃ、首位打者は怪しいか」
思わずムッとしてしまう。
「やると言ったからにはやる。今に見ていろ。速報を見てひっくり返るがいい」
「そいつは楽しみだ。俺もまずは2軍でタイトル獲らないとな」
「…………」
「どうした?」
「女子プロには2軍がないから私の方がだいぶハンデをもらっている状態だなって。やはり、ずるいかな」
蓮は先に1軍でタイトルを獲ったらプロポーズする、と言ったのだ。2軍の記録はカウントしない。ならば、常時1軍の私の方が圧倒的に有利なのは明らか。蓮はそれをわかっていながら勝負を持ちかけてくれた……。
「気にすんな」
「だが……」
「すぐ追いついてやる。お前こそ今に見てろよ」
空元気だとすぐにわかる。
「ふふふ」
「なんだよ急に。俺、変なこと言ったか?」
「違うよ。そうやって意地を張ってくれるところがかわいいなって思っただけだ」
「か、かわいいとか言うな! かっこいいって言うところだろ!」
「無理をしているのが伝わってくるのさ。でも、それを隠そうと頑張ってくれるのが嬉しい」
「解説されたら恥ずかしいだけだろうが! あーちくしょう、上手く決めたつもりだったのに……」
「いいじゃないか。私にからかわれるの、好きだろう?」
「変な汗が出るからほどほどにしてくれ……」
「あはは、悪かったよ」
「ところで、藍」
「なんだ?」
間があって、スッと息を吸う音が聞こえた。
「プロポーズ、楽しみにしてろよ」
「――ッ!!!」
全身を貫くような低音で、蓮がささやいてきた。
私の体は一瞬で熱くなり、変な汗が噴き出してくる。
「お、お、お前ッ……そういう不意打ちはやめろっ!」
「素直な気持ちを伝えただけなんだけどなー」
た、確かにセリフはそうだったが……。
「い、言い方があるだろう! ささやくな!」
「野球にはささやき戦術ってもんがあるだろ」
「これは通話であって野球ではない!」
くっ、蓮のせいで手汗がひどい。ずるいぞ、そんな方法でドキドキさせてくるなんて。
「たまにはこういう会話でもしないとテンションが持たなくてさ。相手してくれて助かるよ」
「ま、まあそれは私も同じだ。蓮との会話で気持ちを維持できている」
「だったらこれからも続けような。でも、疲れてる時は無理しないでくれ。話せそうな時だけでいいからな」
「蓮こそ、無理しすぎるな。怪我で一生を棒に振ったら後悔してもしきれないぞ」
「わかってる。俺は俺のペースで成長してみせる」
「私もついていくよ」
「そんで結婚だな」
「……う、うん」
プロポーズの話をしているからそこにつながるのは当たり前なのだが、やはり結婚という言葉を聞くと顔が熱くなる。
「おい、気まずい空気にしないでくれ」
「す、少しびっくりしただけだ。と、とにかく勝負は継続だぞ」
動揺で声がうわずってしまう。私のメンタルは崩されやすい。
「またしばらくしたら話そう。頑張ろうな」
「そちらもな」
「ああ。――おやすみ」
「おやすみなさい。ゆっくり休めよ」
通話が終わる。
私はスマホをベッドに置いて、自分の胸に手を当てる。
トクトクと心臓が強く脈打っている。
今日はやり返されてしまったが、蓮はまた私に元気をくれた。明日からの練習もやっていける。
あと少しで女子プロ野球も開幕戦を迎える。万全の状態で臨みたい。
「優しい「おやすみなさい」だったね」
「ひゃあっ!? ふ、風花!? いつの間に!?」
「今、そーっと入ってきた」
「ど、どこから聞いていた?」
「勝負は継続?――みたいなところ」
よかった。恥ずかしいところは聞かれていない。
「藍、あんな柔らかい声出せたんだね」
「へ、変だったか?」
「んーん、かわいかった」
「そ、そうか……」
「池原君も頑張ってるんだもんね。あたしらも負けられないよね」
風花にも、さすがにプロポーズの権利の話はしていない。
「そうだな。負けないように練習しよう」
だから、それだけ言って追及は回避した。
「少ししたら寝るよ」
「ん、あたしもそうする」
静かに夜は更けていく。
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