第22話 弱さと責任
あの後、呼び出された薫は癇癪を起こした。真人の隣に立っている由美に暴言を吐いたし、掴みかかろうとしていた。
真人が驚いたのは、由美がそんな薫を毅然とした態度で諌めようとし、意味のわからない言葉を発していた薫の言葉にひとつひとつ反論をした事。そして、真人を庇う言葉をくれた事だ。
「…………」
由美の言葉は結局届かず、先生によって取り押さえられるまでずっと叫んでいた薫に、誰も何も答えることは出来なかった。
「真人」
「……ごめん。ちょっと休憩させて」
真人はそう言うと、観客席に上がる入口まで繋がっている階段で、大きなため息をついてしゃがみ込んだ。
「北川くん? だ、大丈夫……?」
「うん……」
「まだ苦手だったんだな」
「そうだね。最近は慣れてきたと思ってたけど」
真人は顔を伏せて唸る。由美がおろおろとしているのが可哀想なので、拓真がフォローの言葉をかけた。
「真人は恋愛感情を向けられるの、苦手なんだよ。普通に接する分には平気なんだけどね」
「そうなの……」
「なんだろうね。宮川ちゃんみたいに強烈、というか、凶悪な子が多いのも原因かも。俺も女好きだけど、ああいう女は無理。な、真人?」
拓真はそう言うと、真人の頭にポンと手を置いた。
(本当はそれだけじゃないけど)
言葉にはしないが、拓真はそう思いながら真人の髪をサラサラと撫でる。相当参ってしまっているのか、普段なら嫌そうな顔で抵抗する真人が大人しく撫でられている。
「勿体ないわ」
「え?」
真人が顔を上げると、由美の真っ直ぐで真剣な瞳と目が合った。
「北川くんがあんな人のために嫌な気持ちになっているだなんて、納得できない。こんな風に落ち込んでいるあなたの気持ちが勿体ない…時間が勿体ないわよ」
由美も、ゆっくりと真人に触れた。肩に由美の温もりを感じて、真人は少しずつ落ち着きを取り戻す。
「さっき私のために怒ってくれたみたいに、北川くんはもっともっと自分のためにも怒るべきよ。そっちの方が、落ち込んでしゃがみ込んでいるよりずっと有意義だわ」
真人は肩を掴む由美の手にそっと触れる。由美が膨れた顔で自分を見下ろす姿が見える。真人は少しの間、無言で由美の怒った顔を見つめてから、「ふふっ」と小さく笑った。
「ありがとう……」
由美にお礼を告げてから、真人は軽く目を伏せて言葉を続ける。
「落ち込んでるわけじゃなかったんだ……」
「え?」
「俺は、その……。結構自分勝手な事で怒るし、苛立つタイプだよ」
真人の言葉を聞いて、由美の顔が少しずつ熱く、赤くなっていく。
「勘違いだったのね。ごめんなさい……」
「ああ、いや。そういうつもりじゃなくて……。なんて言うか、あいつの事は、胸の奥がずっともやもやして気分が悪くなる。苛立ちもあるんだろうけど、それだけじゃなくて、もう疲れの方が強いって言うか、吐き気がするほど気持ち悪いんだ」
左胸に手を添えて、真人はそう言った。拓真がスっと真人から目を逸らし、悲しげに目を伏せている。由美は真人の言葉を、じっと動かずに聞いていた。
「浜野さんのおかげでなんだかスッキリしたけど」
真人が悪戯っぽく笑うと、拓真が驚いた顔でバッと真人の方を向く。そんなことには気が付かず、真人は由美を優しい表情で見つめていた。
「良かったわ!」
嬉しそうに由美が言うので、拓真も段々とつられて表情が柔らかくなる。
「良かったね」
拓真がそう呟くと、ふと真人が固まって、ゆっくりと拓真を見上げる。
「拓真も、あ…ありがと」
真人があんまり恥ずかしそうに言うものだから、拓真はついからかいたくなった。拓真が抱きつこうとすると、やっぱりそれは頭を押さえつけられ、止められてしまう。
「酷い!」
「うぜえ。やっぱり無し! お前に礼とか言うんじゃなかった!」
「なんだよう。珍しく大人しかったのに……」
「うるさい! 早く戻るぞ」
真人は拗ねた顔をして、拓真はもちろん、由美の事も置いて観客席に上がっていってしまう。
「酷いよね。真人」
「えっ? えっと……、うん。久谷くんには優しくない…かも。でも、あんな風に悪態ついたりしても仲良しでいられるの、私は羨ましいと思うけどな」
「あはは。そう?」
「うん」
由美は拓真に対して軽く笑いかけた後、真人が入っていった出入り口をじっと見つめる。
「北川くん、いつも優しい顔をしてくれるけど……。久谷くん達といる時みたいな楽しそうな顔、あんまり見せてくれないから」
由美はそう言って、寂しそうに笑った。
「ふーん。寂しいんだ? 由美ちゃんって、真人のこと好き?」
「えっ!? えっとえっと、友人として、こ、好ましいなって…思うけど……」
拓真の悪戯な顔を見て、由美は分かりやすく狼狽える。由美がこう言った話に慣れていないとわかって、拓真はもっと意地悪をしたくなった。
「照れた顔、可愛いね」
「えっ!? う、うぅ……。く、くく、久谷くんって軟派な人ね!」
ぷくっと頬を膨らませ、由美も階段を駆け上がって行ってしまう。拓真はくすくすと笑いながら、最後にみんなと合流するのだった。
。。。
帰りは、由美を怖がらせた責任がある。と言って真人が無理やりに由美をマンションまで送っていった。
「ごめんなさい。わざわざ来てもらって」
「いいんだ。こっちもごめんね。さっき、謝るどころかまた酷いことを言ってただろ? あいつ」
謝らせたい。などと言っておいて、真人は由美をまた傷つけてしまった。どちらかと言えば由美に守られて、真人は由美を守ってあげることが出来なかった。それが悔やまれる。
「それはいいのよ! 北川くんの言葉じゃなくて、あの人が勝手に言った事だもの。友達でもなんでもない女からの暴言になんて1ミリも傷つかないわ!」
由美が胸を張ってそう言うと、真人はまたくすくすと笑う。
「強いんだね」
その横顔を見て、由美は一瞬ドキリとした。拓真に言われた、好きなのかどうかという質問を思い出す。
「あっ!」
「え! ちょ、大丈夫?」
ドキドキしながら上の空でいたせいだ。エレベーターから下りる際に、由美は隙間に躓いてよろけてしまう。それを真人が支えた。
「ごめんなさい」
「ううん。気をつけて?」
「あ、あの。今更なんだけれど……」
由美は支えてもらった腕を離してもらうと、もじもじと恥ずかしそうに話を切り出す。
「さ、さっき……。怖くて抱きついちゃったの、ごめんなさい。北川くんは異性だし、ああいうの嫌だったよね?」
「え? あ、ああ……。いや、あれは仕方なかったし、あの時は俺も、怖がらせちゃって悪かったなーって反省してたしさ。嫌だなんて全く思わなかったよ」
恥じらう由美の姿を見て、真人も先程の出来事を思い出す。由美の柔らかな感触。密室からか、いつもの由美の甘い匂いを強く感じた事。ほのかな体温。震える体。その全てに、今更ながら真人はドキドキと胸を高鳴らせてしまった。
(こんなことを考えるなんて、失礼だ)
真人はそう思い、とにかく早いこと忘れなければ。と、急いで由美の部屋の前まで送ることにした。
「本当に気にしないでね」
「うん……」
「そろそろ本当に暗くなってくるし、早く入りなよ」
「送ってくれてありがとう」
部屋の前まで来ると、真人は軽く挨拶をして踵を返そうとする。しかし、真人の服の裾を、由美がついっと小さく引いた。
「あ、あの。来週は…また河原で会えるかしら?」
「……うん。また会おう。もう家だけど、気をつけてね」
「ありがとう。送ってくれた事だけじゃなくて、今日は色々と助かったから。北川くんも気をつけて帰ってね!」
「ありがとう。またね、浜野さん」
真人は念の為、由美が鍵を閉めるまでゆっくりと歩いて様子を窺う。大丈夫そうだ。と確認した真人はマンションを後にして、やっと一息ついた。
(何意識してんだろ……)
頭の中で自分を叱責し、真人は深呼吸をする。そうしないと、どうしても彼女のことばかり考えてしまいそうだったからだ。
※本日、9時頃にこれまでの人物紹介を投稿予定です。よろしければそちらもご覧ください。
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