第3話 一度きりの思い出

 翌日、予定通り朝早くに家を出た真人は、各部活の朝練習に向かう生徒達を横目で見つつスルーする。その中にはもちろん、サッカー部の面々もいた。


 真人は自分の予備の鞄と由美の鞄の2つを持って登校し、予備の方の鞄だけを教室に置いて、また校舎を出た。


「なんだ?」


 正門の方が騒がしい。さっき真人が登校してきた時は、あんな人だかりは無かったはずだ。


 何かあったのだろうか。と気になりつつも、早く鞄を届けてあげなければならないので、真人は正門を通り抜けようと足を早める。


「あ、真人!」

「え……? 明石あかし先輩! おはようございます!」


 サッカー部の主将である明石は、真人の姿を認めると、大きな声で呼びかける。真人は明石の存在に気づき、ぺこりと直角に腰を曲げた。注目が真人の方に移る。


「おはよ。お前のこと待ってるんだって。この子」

「え、朝から…ですか……?」


 校門で真人のことを待ち伏せをする女子はそこそこいる。放課後のサッカー部の練習後は特に多いのだが、朝に待っていられたことは初めてだった。


 真人は訝しげな顔をして、囲まれているその中心部に歩いていく。急いでいるので早歩きだ。


「あ、あれ? 君、昨日の……」


 これから会いに行こうとしていた人物が、既に目の前にいた。由美が視線を上げると、長い髪がふわりと波打つ。


(よく見ると目が大きいし、まつげ長……。しかも、顔ちっさ)


 目が合ったので、真人はついそんなことを考えてしまった。


「あ、あの…えっと……」


 男子生徒達に囲まれ、彼女は戸惑っている様子だった。真人はそれに気がついて、由美の手を取ると、走りだす。


「えっ!?」


 走ったまま校門をくぐり、昨日と同じように橋の下へと誘導した。


「ね、ねえ」

「ごめん。走らせて」


 今回は由美も息を切らすことは無かったが、急に連れ出されてしまったので戸惑っているようだ。藤波学園の方向をチラチラと見ている。


「男に囲まれてるの、嫌かなって思って。余計なお世話だったかな?」


 彼女には昨日も「お節介だ」と言われた。今回もただのお節介でした事だ。と真人も自覚している。


 真人は軽く頬を掻きながら苦笑して、河川敷に座り込む。そして、昨日と同じように河原の小石を拾って投げた。


「ううん。ありがとう。ああ言うの、少し苦手だから……。助かったわ」

「それなら良かった」


 真人は由美と目も合わさず、夢中になって石を投げ入れている。


「……えと」


 目が合わないことが不安になって、由美は恐る恐る真人の隣に座った。


「昨日…お節介だなんて言ってごめんなさい」


 昨日からずっと気になっていた。由美は今だって、目が合わないことを怒らせてしまったからだと勘違いをしている。チラリと真人の顔を覗くと、真人は驚いた表情で由美を見つめていた。


 やっと2人の目が合う。


 昨日も思った事だが、真人の顔は整っている。由美は思わず真人の顔を観察してしまった。


「実際お節介だし。別に」


 つい真人の顔を観察してしまっていた由美は、彼の声を聞いてハッとする。


「そ、そう……。でも、心配してくれたのにあんな態度をとって、怒ったんでしょ?」


 由美は気になることは素直に聞いてしまう性格だ。彼に面と向かってそう聞いた。


 真人は由美の質問に、また驚いてしまう。


「怒ってないよ。お節介って言葉もまあ、間違っては無いなって思ったし。初対面で何も君の事を知らないのに、偉そうに忠告なんかしちゃったんだから」


 真人は軽くそ言うと、また由美から目を逸らして小石を投げ始めた。


「まあ、2対1だったし……。女の子なんだからって思ったのも事実なんだけどね」

「怒ってないのなら…もう謝らないわ。これからは、気をつけてみる……。お父さんにも危ないよって注意されちゃったし」

「刑事のお父さん?」


 真人は流れでついそう聞いてしまったが、由美と真人の父親同士が同じ警察であると、由美は知らない。真人も昨日までは知らなかった事実だ。


「と、どうして知ってるの?」


 友人から聞いた…なんて話したら、気味悪がられるだろうか。真人は誤魔化す言葉を考えて、小石を投げる手を止めた。


「……俺の父親も刑事だから、かな?」

「そうなの?」


 由美はその答えを聞いて驚いた。父親からは、特に彼の事を聞いたことがなかったから。同い歳で、近くの洋極学園に通っている人がいたなんて初耳である。


 由美は少しだけ、真人に対して親近感を覚えた。


「うちのお父さん、あんまりお仕事の話をしてくれないんだ。こんなに身近に、お父さんの事を知ってる人がいたんだね」

「そんな知ってるってほどじゃないんだけどね……」


 しかも、これは自分の父親から聞いたのではなく、友人から聞いた話だ。真人は早く話題を変えたくて、頭をフル回転させる。


「そうだ。それより、鞄を返すよ。ごめんね。困ったでしょう?」

「あ、そうだった! 私こそごめんなさい……。えっと、私のじゃないって気づいてすぐにしまったから、中は見てないよ!」


 由美はそう言って鞄を差し出す。真人も、それを受け取ると由美に鞄を差し出した。


「俺は名前とクラスを確認するために少し開いちゃった。ごめんね」


 と言っても、教科書のカバーを少し開いた程度だ。


「教科書のカバーに名前を書いてるから。仕方ないよ」


 そう言うと、由美は小さく笑って立ち上がる。


「あなたってサッカー部の人なの? 昨日もボールを持ってたし。さっきも、ボールを持った人と話してたよね?」

「ああ、うん。あの人はサッカー部の主将なんだ」


 真人の方も、ゆっくりと立ち上がって伸びをした。


「それなら、きっと朝練があったんでしょ?」

「うん。でもちゃんと休むって連絡したから大丈夫。君の方は、部活はやってる? 朝練とかは?」

「水曜日は朝も放課後も休みなの」

「へぇ……」


 あまりプライベートな事を聞いてもいいものか。真人は迷う。由美とは昨日会ったばかりだし、鞄の取り間違えが無ければもう会うこともないだろうと思っていた人物だ。


「部活…何してるの?」


 真人が迷っている間の沈黙が気まずかった。結局聞いてしまったので、真人は由美の表情を窺う。嫌悪の色は見えなかったので、密かにホッとした。


「柔道部。私ね、お父さんみたいに強くなりたいんだあ」

「そっか……。慕ってるんだね。お父さんのこと」

「うん! お仕事であんまり家にいる時間は無いけど、私はお父さんの事が大好き」


 そう話す由美の顔は煌めいて見える。眩しいほどに笑顔が素敵だった。真人はそう思って、彼女を見つめてつい、惚けてしまった。


「なれるといいね。お父さんみたいに……」


 由美は真人の優しい微笑みを見て、その言葉を聞いて、嬉しくなる。

 

 正直、女である由美は父親に勝てるとは思っていなかった。ただ、憧れている……。そんな由美の気持ちを理解してくれたような、そんな気持ちになる優しい真人の眼差しが、由美を見つめていた。


「うん!」


 由美はそれに対して、満面の笑みで返事をする。


「さて、そろそろ学校に戻らないとね。お互い遅刻したら大変だし」

「そうだね。色々とありがとう……」


 由美は改めてお礼を言う。真人もそれに「どういたしまして」と軽く返して、別れた。

 

 きっとこれきり会うことは無くなるかもしれない。話しやすくて、何となく惹かれる相手ではあったが、お互いにもう会う理由もないと思っていた。少しの間の楽しい思い出として、いつかまた思い出す時があるかもしれない。その程度に考えていた。


 また再会するあの時までは……。

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