押し付けられた感動

ばーとる

第1話 桜

 館内の静けさに響くのは、扉の音と足音だけだ。並ぶ背表紙を眺めながら、書架の間を縫うように歩くのは私のほかにはいない。たいていの人は机でノートパソコンとにらめっこをしている。入学してすぐは勉強熱心な学生が多いのだと思ったが、1年も経つと、その感想は安心に変わった。彼らはの大半は勉強などせず、動画を見ている。ここにいる人たちが皆真面目に勉強をしていたら、この大学に私の居場所などないように思えた。


 今日の私の講義は1限だけだが、れんは2限の講義を受けている。私は待ち合わせまでの90分のうちの半分を、本を物色して過ごした。


 お手洗いに入って、身なりを整える。化粧は思ったほど崩れていない。それでも、何となく気になって、リップを塗り直した。ライターでこっそりとビューラーを温め、まつ毛も整える。面倒だが、これをやっていないと何となく落ち着かない。


 全てを終わらせて、鏡の中の自分を見つめる。うん。ちゃんと可愛い。バイトを頑張って買い揃えた服と、お父さんに買ってもらったバッグと、化粧バッチリの私。これなら誰にも文句を言われないだろう。


 お手洗いを出ると、蓮からメッセージが届いた。


『講義終わった。今どこ?』




 蓮と2人で大学を出る。今日は久しぶりのデートだ。道路を下り、踏切を渡る。車の流れが多い。街中を行く人の恰好を見ながら、自分の可愛さに安心する。あれだけ頑張って、こんなに可愛くなれているから大丈夫だ。その上、横にはカッコいい彼氏が歩いている。今の私は最強。


 しばらく歩くと、ロープウェイ・リフト乗り場に着いた。平日だからか、いつもより人が少ない。市街地のど真ん中にロープウェイがあるのは、ここが城山だからだ。登ると、そこには現存十二天守の一つに数えられるお城が建っている。しかし、今日の目的はお城ではない。


 蓮が券売機でリフトの切符を買ってくれた。蓮は、ゴンドラに乗って頂上を目指すのもいいが、足をぶらぶらさせながら春の陽気を感じたいのだという。切符を係員に渡すと、頂上までの6分間の旅が始まった。


 どのように移動するかは私にとってはどうでもいいが、蓮はとても熱心に周りを見渡していた。連なって上を目指す椅子の列の下には、いろいろなことが書いてあるバナーが設置されていた。


『君の好きな所は一人にしてくれるのに、ひとりぼっちにはしない所』


 これが目に入り、私は自分と蓮の関係と重ねた。ちょうどこのような間柄だと思う。蓮はクールだ。距離感の取り方がうまいのか、あまり私の内面に干渉してこない。とはいえ、私のことをほったらかすのではなく、こうしていろいろなところに行くのに誘ってくれる。


 リフトを降りると、桜の花が私たちを迎えてくれた。真っ白な絵の具に、ほんの少しだけ赤を足したような繊細で美しい花が、木々を彩っている。蓮はそんな桜に見入っていた。私はスマホを取り出して、いろいろな角度から写真を撮る。どのようにしたらみんなに綺麗だと言ってもらえる写真になるか。そんなことを考えながら、下から撮影をしてみたり、接写をしてみたり、とにかくいろいろ試してみた。


「そんなに写真を撮ってどうするのさ」


 蓮が少しだけ不機嫌そうな顔で聞いてくる。私は困った。こんなに綺麗な桜が咲いているのだから、写真を撮らないという選択肢はない。ただ、どうしてと聞かれると答えが出てこない。


「だって、思い出に残るじゃん?」


 だから私はとっさに嘘をついた。


「思い出は写真もいいけど、記憶に残そうよ。瞬間瞬間を肌で感じるのって大事だと思うな。写真は記憶を呼び起こすきっかけにはなるけど、思い出そのものにはならないから」


 私は驚いた。今まで蓮が超えてこなかったラインを、彼の言葉が踏み越えてきた気がした。

 何も言い返すことができない。蓮のいっていることは確かに的を射ている。でも、私は蓮のしていることを否定しているわけでも邪魔をしたわけでもない。どうしてこんな核心を突いた言葉で私のことを刺すのだろう。


「言われなくてもわかってるよ、そんなこと。でも写真撮ったっていいじゃん」


 蓮は納得がいっていなさそうだったが、これ以上は何も言わなかった。

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