第1章 テレサ・リランド

 夕暮れに2人は城に戻った。テッサは週5回の聴講生として大学付属高校への通学が決まり、上機嫌だ。が、就寝前にぽろりと本音が出た。

「カレナード・レブラント。今日はお前のたくらみどおりだったか。デボン先生が領国府よりガーランド女王の優位性を説いて満足か」

 カレナードは微笑した。

「テッサ・ララークノ、私は嬉しかった。あなたは名ばかりの領国主で終わる気はないと分かりました。通学の件は御自分の御心で得たのです。ガーランド女王の助言は、私も初めて知りました」

「お前はまだ信用できない。女王の恋人のくせに助言を知らなかったのか」

「150年前の極秘事項ですから」

「ふん!」 


 少女は寝間着をひるがえして寝室に走った。

 外れ屋敷出身の女官、ニア・キーファがカレナードの肩に手を置いた。

「領国主殿は相変わらずですね、紋章人」

「彼女は私を試している」

「え?」

「どこまで反抗して大丈夫か、お試し中。思いのほか人間不信なのかも」

「ローザ・ルルカが忘れられないのでしょうか」

「彼女と過ごした5年に対し、こちらは2ヶ月。焦らず行きましょう。

 明日は高校の制服と鞄の用意を。通名はイニシャルが同じのテレサ・リランド。姉がテネ城に住込み勤務という設定で持ち物を選ぶこと。授業は朝8時から正午まで。昼食は城に戻ってからです。よろしくお願いします」


 女官と打ち合わせを済ませ、カレナードは自室に戻った。テッサの寝室に通じる廊下のある部屋。寝室の扉の鍵はテッサ側から閉じられたままだ。あるいはテッサが扉の向こうにバリケードを築いているかもしれない。

「マリラ、時間がかかるでしょう。あなたの側を離れて1ヶ月、どうしておられますか」

湯船で汗を溶かしながら、月を見上げた。

「彼女の登下校時は玄街に狙われる可能性がある。前髪を上げれば、少しは印象が変わるはず」


 予想通り、額を出すと年齢が上がった。テッサは自分で眉を整えた。その眉にニアが薄く化粧した。

「これなら16歳に見えますわ」

「ありがとう、ニア。制帽を取って」

青藍色の制帽とスカート、白のブラウスに桜色のリボンタイ。領国主は鏡の前から動かない。余程気に入ったようだ。

「秋になれば、素敵な上着とコートがある!」

「楽しみですね。言葉遣いに気をお付け下さい、心なしか男っぽいですわ」

「そ、そうかな」

「そこですよ。丁寧にお喋りあそばせ」

「そ、そうかしら、ニア」

「その調子です、テッサさま」


 短い夏休みまでの2ヶ月、テッサはテレサ・リランドの名で嬉々として高校に通った。警護の眼を忘れての買い食いや寄り道はしょっちゅうで、休日は友人たちとピクニックや川遊びに興じ、少々日焼けもした。


 乾いた夏が終わる頃、ゴシップ専門大衆紙がテッサが露店で揚げ魚に舌鼓を打っている写真を載せた。「この少女は誰」と大見出しを付け、わざわざ領国主の正装姿も付けてある。案の定、ほとんどの生徒が「あの聴講生は半人前の領国主でララークノの令嬢だ」と、好奇の眼を向けた。

 テッサは悩んだ。

「どうしたらいい。正直に本名を明かすか、テレサ・リランドで押し通すか……」


 カレナードに助言を求めたかったが、何かが邪魔をした。逡巡する間にカレナードの方が声をかけた。

「顔が曇っています。単純な悩みでない顔です」

少々忌々しかったが、紋章人を利用しない手はないと洗いざらい打ち明けた。

「それであなたはどうなさりたいと?」

「領国主の肩書きで見られるのはイヤだ。学校ではただのリランドでいたい」

「その姿勢を貫くのは我慢が要りますよ。この手の噂が消えるには新年を待たねば。いっそカミングアウトして、あなたの願いを率直に伝えるという手もありますが」

「そうなったら、領国主の私に頼み事をする者が後を絶たないだろう」

「真の友人を得るにはいいかもしれません。態度の変わらない人を見極めるのです」

「どうしろと言うのだ」

「周りの人を大切になさいませ。頼まれ事は放っておいてかまいません」

「もちろんだ! 半人前の領国主にそれほどの力は無い!」


 テッサはぷりぷりしながら去ろうとして振り返った。

「紋章人、お前は……マリラ女王が女王だから恋をしたのか、それともただのマリラに恋をしたのか」

紋章人は悠然と答えた。その顔は半ば青年だった。

「あの方の公私は不可分ですが、私に素顔を見せて下さいます。私の前ではただのマリラに、女王から解放されたマリラになるのです」

 なぜかテッサの胸の内がくすぶった。

「答えになってない!」

「あなたは領国主ではない素顔を初めから見せましたね」

「どうせ私は子供だっ!」

「すぐに大人になられます」

テッサはカレナードから目をそむけて「バカ」とつぶやいた。

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