第22話旅マタギ

 その後、特にやることもなくなった俺は、一足先に休ませてもらうことにした。


 何しろこの村にはあの弱いビール以上に強い酒がなく、これ以上飲んでいても特に酔っぱらえそうになかったし、かといって代わる代わる村人から注がれる盃を無碍に断るのも酷だ。


 幸い、宴会が始まる前に、リーシャがこの村の教会の客人用の客室を既に用意してくれていたので、俺はまだもう少し宴会を楽しむと言うアズマネ様に断り、その部屋に一人で戻った。




 千鳥足……にもなれなかった俺がすたすたと客室に向かうと、二部屋ある客人用の部屋の隣からは、物凄いいびきの音が聞こえた。このいびきには聞き覚えがある。さっき俺が徹底的に潰したレオンのいびきだ。


 部屋を開けると、現代日本のホテル――とまではいかないものの、意外にも部屋は小綺麗にまとまっていて、ベッドも今まで寝起きしていた小屋のそれとは違い、きちんとした布のベッドがあり、毛布も数枚ある。寝心地は今までで一番よさそうだ。


 本当はひとっ風呂浴びてから寝たいところだったが、いいとこ中世ヨーロッパ程度のこの文明世界ではボタンひとつで湯が沸くわけもあるまい。


 風呂は諦めることにして、俺は着ていた服を脱ぎ捨て、シャツ一枚になってベッドに寝転んだ。




 この一日、張り詰めていたものが、ベッドに横になることでようやく途切れた気がした。


 人一人の命を救えたことへの安堵もあっただろうが、それよりも何よりも、俺はこの世界でもどうにかこうにか、マタギとして暮らしていけるのだという確信が得られた事が大きい。


 詳しい事情がわからないからまだ確実とは言えないけれど、魔獣の肉を食べることによって、魔獣に脅かされていた人々に一縷の救いの道を提示することができたのだ。


 とりあえず、少なくともこの村の人々は俺を邪険に扱わず、村の一員として迎えてくれるのではないか――さっきのバカ陽気に過ぎる宴会は、俺にそんな安心を抱かせてくれるには十分だった。




 そう言えば――昔、爺ちゃんに聞いたマタギたちの昔話を、俺は思い出していた。


 マタギといえば秋田の山奥に限ったもの、というイメージが強いが、戦前、いやもっと最近までの秋田マタギは、それこそ北は北海道まで、南は関東や北陸地方まで、はるばる汽車や船で旅をして獲物を獲っていたのだという。




 旅マタギ――そう呼ばれる集団によって、秋田マタギが培った狩猟の技術は東日本全域に伝えられ、全国各地に秋田マタギを流派の祖とする狩猟集団が発生した。


 何よりも秋田マタギと、その優れた狩猟技術がもたらす山の恵みは、碌な耕地を持たない全国の山間僻地にとってはまさに生命線とも言えるものだったのだそうだ。


 中には旅先でその腕前や人格を気に入られ、その地に婿として迎えられた秋田マタギも少なくなかったそうで、そうしてじわじわと、マタギたちの血や技術はこの国の隅々にまで広まっていったのだという。




「旅マタギ、かぁ――」




 くくっ、と、俺はその言葉が可笑しくて、一人笑ってしまった。


 大昔、テレビ局の企画で、はるばるミャンマーのエベレストまで行った秋田マタギがいたそうだが――流石に異世界にまで旅をしたマタギは、俺が初めてだろうなぁ。


 旅マタギならぬ、異世界マタギ――さしずめ今の俺の身分を誰かに説明するとするならば、そんな珍妙な身分になるだろうか。


 まぁ、俺はマタギ組の頭領スカリならば必ず奉持ほうじしていなければならない巻物を持っていないから、厳密にはマタギではないかも知れないけれど、血筋や魂は、やはり秋田マタギ以外の何者でもない。




「俺、受け入れられた、ってことでいいよな、爺ちゃん――」




 俺の爺ちゃんが旅マタギをしたかどうかは詳しく聞いたことはなかったけれど、きっと、同じような想いを抱いていたことはあったに違いない。


 時代や場所は違えど、昔、汽車や船を乗り継ぎ、言葉、文化、風土、そのすべてが地元とは異なる場所を旅したいにしえのマタギたちも、その地で初めての獲物を授かったその日には、今の俺と同じような、深い安堵の気持ちでいたのだろうか。




 ごろん、と、ひとつ寝返りを打つと――意外なことに、すぐに眠気がやってきた。


 うとうととまどろみ始めた俺の頭に、ぼんやりと、爺ちゃんが言った言葉が思い返されてきた。


「旅マタギの中にはその腕前や人格を気に入られ、婿に入ったマタギもいる」――。


 俺も、俺もいつか、この世界でそんなふうに、誰かに認められたり、気に入られたりすることがあるのだろうか――。


 そんな漠然とした期待感が胸にほっと湧いたのを最後に、意外に回っていたらしい酒精に誘われ、俺は夢の世界へと旅立っていった――。







 シュル、と衣擦れの音がした気がして、俺は咄嗟に薄目を開けようとした。


 滅多にやったことはないが、これでも三、四回、山に小屋掛して泊まり込み、獲物を追った経験もある俺である。


 山の中ならば僅かな物音、僅かな風の変化をも察知してすぐに覚醒する意識が、疲労感と安堵感、そしてアルコールによって鈍麻していたのか、すぐに目が開かなかった。




 あれ、おかしいな? 何がどうなってんだ――? 


 戸惑う俺の、まだぼんやりとしか開けられていない視界に、なにか肌色のものが映った気がして、俺はうめき声を上げた。




「う……」




 俺が呻いた直後かほぼ同時ぐらいに、ギシッ、と音がして、何かが俺の腰の辺りに伸し掛かってくるのがわかった。


 なんだろう、この硬いような柔らかいようなものが乗ってくる感じ。昔家で飼っていた中型の雑種犬ってこんな感じだったっけ。




 っていうか、アレ? ここってどこだ? 


 俺っていつの間に実家で寝てたんだっけ?


 っていうかその中型の雑種犬って、俺が大学入る前に死んだはずで――。




「バンジさん……もう、寝ちゃいましたか……?」




 んん!? おかしいおかしい、いくらなんでも犬が喋るわけがない。


 っていうか今、この犬、俺を「バンジさん」って――!?




 その違和感に、ぼんやりしていた意識が急激に覚醒し、俺はぎょっと目を見開き。




「うぇ――!?」




 俺は情けなく悲鳴を上げた。


 悲鳴を上げてから……俺は腰の辺りに伸し掛かってきたものを、真正面から目の当たりにした。




 ハァハァ、という、発情した雌熊のような、荒っぽい息遣い。


 元々癖は強めだったけれど、それ以上にもちゃくちゃに乱れた長くて美しい金髪。


 僧衣というのかなんと呼ぶのか、とにかくそれを着ている本人の清廉さと純血さとを主張していた服を理性とともに脱ぎ捨て、一糸まとわぬ姿になった、あまりにも艶めかしい女の全裸体――。


 その、あまりにも猥褻としか言えない肌色が――なんと俺のズボンのベルトに両手をかけ、目を蕩けさせ、頬を真っ赤っ赤にして、俺の腰の辺りに伸し掛かっていた。




 そのあまりの事態に、俺は色気よりも何よりも、まず強い恐怖を感じて、ウヒャーッと悲鳴を上げてしまった。




「りっ、リーシャ!? な、何してるんだ、あんた……!?」




 跳ね飛ばすでもなく、その顔を蹴飛ばすでもなく、ただただ真意を問う声を発するしかない俺の顔を上気しきった顔で見つめ――うふ、とリーシャは、実に妖艶に笑ってみせた。




「何してる、って――今からこの村を救ってくれたあなたにお礼をするんですよ、バンジさん」







異世界転生名物・突如脈絡なく差し込まれる「エッッッッッッッッ」な展開


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