第21話飲み比べ
ごうごうと村の中心に燃え盛る焚き火の熱気、楽器が演奏できる村人たちの決して上手ではない演奏、そしてそれに合わせた調子っぱずれの酔っ払いの歌声により、今までお通夜のような空気に沈んでいたブルナ村の夜は久しぶりに活気に湧いていた。
一応、主賓である俺は、というと、今は命を助けたレオンとサシで向き合い、歯磨きコップより少し大きいぐらいのジョッキで、十二杯目の酒を飲み干したところだ。
平然とジョッキをカラにして口元を拭う俺を、俺たちを取り囲んだ村人は仰天したように見つめた。
「ふぅ、ごちそうさま。ほらレオン、次はあんたの番だぜ」
「う……ひっぐ、お、オエッ……! うっ、嘘らろコイツ、全然乱れねぇ……! ば、ばけもろかよ……!」
「俺が強すぎるんじゃない、そっちが弱すぎるんだが? ……もう相当キてるみたいだし、ここらへんで降参しとけよ、ただでさえ病み上がりだろ?」
「ぬぁーにが病み上がりらぁ! 冒険者がこんらにナメられて黙って引き下がれろか! わ、わらしは負けないぞ……! うぷ……!」
既にベロベロの有り様になっているレオンは完全に呂律が回っておらず、浅黒い肌は赤というよりは青ざめ始めている。
起き上がり小法師のように頭をぐらぐらと揺らすレオンと、反対に至って平然としている俺を、信じられない、という感じで村人たちは見つめている。
「な、なんなんだあの客人……! 全然酔ってるように見えねぇぞ!」
「こいつは驚いた……あのレオンが完全に圧されてやがる!」
「つ、強いなんてもんじゃねぇ、ウワバミだウワバミ! い、いや、化け物か――!?」
そう、飲み比べ――これがこの村の祭りにおける伝統的な催し事らしい。
それ自体はいい、如何にも祭りらしくて嫌いではない。
だがこの異世界の酒、度数の弱いビールという感じで味そのものは悪くないのだが、いかんせんこれ以上に強い酒がないというのはどうにも……。
これでは樽一杯飲み干したとしてもせいぜい千鳥足がいいところ、全くもってこの世界の酒は俺の敵ではないようだ。
そう、ただでさえ酒豪であるのが標準の秋田県民である俺は、村一番の剛の者と謳われた爺ちゃんからの遺伝で、異次元的に酒に強い体質なのである。
マタギ組やサラリーマン時代の宴会でもただの一度も潰れたことはなく、少し酔ったな、と思っても、三時間も寝れば完全に抜けてしまうし、もちろん二日酔いなんてなったことすらない。
一方、話によるとレオンはこの村一番の酒豪であるらしいのだが、これで酒豪と呼ばれてるところを見ると、標準的な秋田県民相手では赤ん坊同然である。
なにせ三杯目を開けた時点で顔は真っ赤っ赤。その時点で大した相手ではないと思っていたのだが、根性だけはあるらしいレオンはこの状態になっても頑なに参ったと言わないのだから凄いものだ。
レオンがぶるぶる震える手でジョッキに口をつけて上半身を反らし、ぐい、と飲み干そうとした途端。
ぐらっ、とレオンはそのまま椅子ごと後ろにひっくり返ってジョッキの酒をモロに顔に浴び、村人たちがどよめいた。
「うわ! お、おいレオン……!?」
思わず俺が椅子から腰を上げると、ぐおーっ、ぐおーっという猛獣のようないびきを上げ、レオンは眠りに落ちていた。完全に轟沈したようだ。
「しっ、勝者、西根バンジさん! ジョッキ十二杯はなんとブルナ村新記録です!!」
カンカンカンカン! と、近くにいたリーシャが鍋とお玉でゴングを鳴らし、口ひげを生やしたおっさんが俺の右手を掴んで天に掲げた。
わあっ、と、周囲を取り囲んでいた村人が、称賛半分、恐れ半分の声を上げて俺を讃えた。
「ま、まさか、ジョッキで十二杯も飲んで潰れないだと――!?」
「信じられねぇ! あの客人、レオンを潰しやがったぞ!!」
「あ、あんた、ただもんじゃねぇな……!? こっ、こんなに酒強い奴見たことねぇ!! ば、化け物かよ……!?」
――うーむ、アズマネ様は異世界ではチート無双がどうのこうの言っていたが、まさかまさか肝臓の強さでチート無双することになるとは。
なんだか不思議な気持ちでいると、完全に伸びたレオンが村人に抱えられてどこかへと運び去られるのと同時に俺への称賛も止んできて、試合は次の試合に移るようだ。
「よぉーし、次はいよいよ私の出番ですね! 誰か相手になってください!」
なんと、俺がさっきまで座っていた椅子に座ったのはリーシャである。
あの人、聖職者なのに酒なんか飲むんか!? と俺は驚いたが、村人が何も言わないどころか、却って盛り上がっているところを見ると、この世界ではそれが普通であるらしい。
なんとなくあの金髪虚弱美人がどんな飲み方をするものか見てみたい気もしたが、流石に十二杯も水のようなビールを飲んだせいで、俺も多少便意を催した。
俺は村の広場の片隅に独りで引っ込み、藪に向かってゴソゴソと立小便を始めた。
じょぼぼぼぼ……と景気よく用を足している時、ふと俺は空を見上げた。
満天の星空、と言ってもまだ足りない、地球のそれとは根本的に異なる、まるでCG映像のような星空――。
しかも地球の夜空とは違い、この世界には赤い星、青い星と、地球では月に該当するだろう星が、夜空に二つあるのだ。
いくら辺境の秋田と言えども、これほどクリアな夜空は滅多に見られないだろう。
温室効果ガスなんて間違いなく存在しないこの世界に来たらわかる、秋田の空であっても結構汚れてたんだな――。
「……むをっ、バンジ。そなたのそなたは祖父に似合わず、意外に粗末なもんじゃのう!」
――と突然、すぐ近くにアズマネ様の声が聞こえて、俺はワッと悲鳴を上げた。
見ると、いつの間に背後に立ったものか、アズマネ様が任務遂行中である俺の股間を見て目を丸くしている。
「ちょちょ、アズマネ様!? 何をガン見してるんですか! あっち行って!!」
「なぁにを言う、これも供物のひとつと心得ておるじゃろうに。もっと明るい方向いて見せんか、これ」
「こっ、こんなところでそんなマイナーな山の掟の話しないでください! コラ、あっち向け! 見るな!!」
アズマネ様が言ったことは、実は単なる下ネタではなくて本当の話だ。
好色で嫉妬深い女神とされる山の神様は男の「息子」を見ると喜び、気分を良くして天候を回復させてくれたり、山で失くしたものを見つけてくれたりするのだという。
しかし任務遂行中であれば隠しようもなく――俺は結局、自分の汚いモノをすっかりとこの美少女女神に観察されてしまったのである。
「うむうむ、そなたのそなた、しかと拝見させてもらったぞ。これは後でなにか特別に褒美をくれてやることにしようかの」
「ハァ、もうそんなのいいですって。第一、この世界に転生させてもらっただけで俺は十分ですよ」
俺は苦笑しながら、馬鹿騒ぎに騒ぐ村人たちを、遠くから見つめた。
みんな余程に嬉しいらしく、肩を組んで歌ったり、中には全裸になるものまで。
老若男女関係なく、喜びを爆発させている様子の村人たちは、とてもレオン個人の快気祝いをしているという雰囲気ではない。
みんなそれほどに――あの魔獣の呪いが恐ろしかったのだろう。
そんなことを考えていて――俺はふと、アズマネ様に質問したくなった。
「アズマネ様」
「何じゃな?」
「俺は――これからどうするべきなんでしょうかね」
俺はアルコールのせいで多少ぼんやりする頭のまま言った。
「郷に入っては郷に従え、とは言いますけど、どう考えても俺にはこの世界のあり方は間違ってるようにしか思えません。獣に自分の身体を施せ、黙って喰われろ、なんて……」
そう、俺が転生前の世界でも、そういう無茶苦茶を言う人は、残念なことに少なからずいた。
人を害する危険がある獣を人が保護する――それは思えばとても傲慢な考えだ。
山の獣は山の獣であり、そもそも人の小手先の知恵などに従うわけがない。
保護や管理、個体数の調整――それは犬猫や牛馬などの家畜に用いられるべき単語であって、それを山の獣に適用するのは、人が大自然の全てをコントロールすべき生き物だという優越思想から来る傲慢だ。
だが――この世界の唯一神教会の教えというのは、それよりももっと苛烈で理不尽だ。
この世界の人は、人間が野生動物を狩って食べることを「野蛮」と呼ぶし、そもそも神自体が人や獣の命の価値を定めてしまっている。
この世界は唯一神の名の下に、人と大自然の関係が明らかに破綻しているのだ。
「こんな世界で、俺、ちゃんとマタギとしてやってけるんですかね。獣獲って、それを料理して――こんなことずっとやってたら、いつか誰かに後ろから刺されるかも……」
ハァ、と、俺はこの世界に来て初めての弱音を吐いた。
「これでも結構不安なんですよ、俺。――ねぇ山の神様、こんな悩めるか弱い子羊が隣にいるんスよ? 神として有り難い教えを打って導いてくれる気とか……ありませんか?」
俺の一言に、プッ、とアズマネ様が吹き出し、呆れたように笑った。
「なぁにを抜かしてけつかる、阿呆。そなたはもう進むべき道を既に決めておるのじゃろ?」
おや、本当にこの人は山の神様であるらしい。俺の思惑などお見通し、ということか。
「もう……少しは真剣に受け取ってくださいよ。これでも今まで飲みながら考えてたんですからね」
「それで、そなたはこれからどうする。この世界においてどう生きるべきと思った?」
「何度考えても、変わりませんでした。俺はマタギとして生きます。これでも
そう、この世界の現実を前にしても、俺のやりたいことは変わらなかった。
俺は、爺ちゃんとの約束を果たし、命ある限りマタギとして生きたい。
あのツノウサギを、ゴライアス・ベアとやらを討ち取る中で、それで確信できた。
この世界の宗教や道徳など関係がない。俺はマタギとして――野生動物と命の取り合いをするのが好きなのだ。
人だってちゃんと動物であり、動物であるから、獣と知恵比べをして生きてゆく。
マタギをやるということは、人間が特権的な生き物ではない、か弱くて逞しい動物の一種であることを再確認することでもあるのだ。
「ねぇ、アズマネ様。さっき俺のモノを見た時、後でなにかご褒美くれるっていいましたよね? 僭越だけど、願い事していいですか?」
「なんじゃ、なんぞ欲しいものでもあるのか?」
「いいえ。――もし今後、俺がその唯一神デミュなんたらのお怒りを買って、俺が天罰喰らいそうになった時は――その時は、アズマネ様が俺の弁護人になってください」
へへへっ、と俺は気の抜けた声で笑った。
「その唯一神がどれだけおっかない神様なのか知りませんけど、裁かれるってんなら裁判ぐらいあるんでしょう。その時は頼んます。俺の刑期が少しでも短くなるように、神として俺を弁護してくれれば十分です」
俺の言葉に、アズマネ様も呆れたようにへへへっと笑った。
「なんじゃ、欲のない奴じゃのう。そなたはそれでよいのか?」
「ええ、欲がないのがマタギですから」
「ならば――了解した。確かに約束してやろうぞ」
「絶対ですよ?」
「おう」
今度は、二人で顔を見合わせて、へへへっと笑ってしまった。
その後もブルナ村の宴会は、夜を徹して続けられた――。
◆
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