第20話大いなる福音

 俺も、リーシャも、レオンも、何も言えずに顔を見合わせた。


 効いた――呪いが、本当に消えた。


 そのことを確認しようにも、まるで喉が張り付いてしまったかのように声が出なかった。




「ふふふ、どうやらそなたの勝ちのようじゃな、バンジ」




 ――沈黙を破ったのはアズマネ様の笑い声だ。


 俺が振り返った先で、満面の笑みを浮かべたアズマネ様が大きく頷いた。




「見事、見事なものじゃ、褒めて使わすぞ。そなたのマタギとしての知恵と技は、見事にこの世界の不条理に打ち勝ってみせた。この発見は大いなる福音となろうぞ。よくやったな――」




 その言葉に、そうなのだろうか、と俺が喜ぶよりも戸惑った、その途端――。




「バンジさんっ!!」

「うおおおっ――!?」




 リーシャが床を蹴り、俺の首に抱きついて来て、俺はリーシャごとレオンのベッドに倒れ込んだ。




「ちょちょ、リーシャ……!?」

「ありがとう、ありがとうございます! バンジさんのお陰でレオンさんの呪いが解けた! みんなみんなバンジさんのおかげですっ!! ありがとう、本当に、ありがとうございます……!」

「わ、わかった、わかったから離れてくれ! ちょっと――!!」




 ヤバいこの人、めちゃくちゃ細い上に柔らかい――!!


 こんな金髪美女に抱きつかれ、頬ずりまでされる――いい歳して嫁どころか彼女さえいない俺が大いにパニックを起こしているのにも構わず、リーシャは喜びを爆発させた。




「凄い、凄いですバンジさん! まさか魔獣の肉を食べれば呪いが解けるだなんて……! そんなこと、考えたこともなかった! この世界はきっとこれで救われます! ――あっ、興奮したらまた鼻血が……!!」

「ちょちょ、わかったわかった! 褒めてくれるのは嬉しいから離れてくれ! ――うわああああ!! 鼻血! また鼻血が!! おっ、おい、鼻血ごと擦り付いてくるなって――!」

「……ははは、マジかよ。私、もう助からないって思ってたのによ……」




 ボタボタと鼻血を垂らしたまま俺に縋り付いてくるリーシャをなんとか引き剥がしたところで、レオンがベッドの上に起き上がり、優しく微笑んだ。




「これは参った……どうやら、アンタは私の命の恩人らしいな。礼を言うよ、ええっと――バンジ」

「え? あ、ああ、どういたしまして。俺もあんたを助けることが出来て嬉しいよ。ホッとした、って言った方がいいかもだけど」 

「へへっ、そう言ってくれてありがとうな。あんたのお陰で私はまだ生きることが出来そうだよ――っ」




 ふと、そこでレオンの声が詰まり、おや? と俺はレオンの顔を見た。


 そこでレオンの人差し指が眦に浮かんだ雫をそっと拭ったのを見て、俺もリーシャも息を呑んだ。




「れ、レオンさん――?」

「ちょ、オイ、そんなまじまじと見るなって。……ああくそ、おかしいなぁ、ゴライアス・ベアを手に掛けるって決めた時点で覚悟は決まってたはずなのにさ……」




 あはは、と乾いた声で笑いながらも、レオンの声は明確に震えていた。



 

「ああ、やっとわかった、わかったよ。私、死ぬのが怖かったんだ。人を助けて死ぬならそれでいいんだって、ずっと言い聞かせてたのに……。心の底ではまだまだ生きたいって、人を助けたのに呪いを受けて死ぬなんて嫌だって、私、全然納得なんか出来てなかったんだな……」




 そう言ったきり、隠さず泣き始めたレオンの背中を、安心させるようにリーシャがさすり始めた。


 その光景を見ていて――俺の中に再び憤りの炎が燃えた。




 魔獣一頭の命は一億の人間の命より重い――この世界の神はそう言ったらしい。


 ふざけるな。何が神だ、何がお使いの魔獣だ。


 人間に信仰され、縋られておきながら、己を信仰している人にこんな顔をさせるなんて、やはり悪魔としか言いようがないではないか。




 命は平等である、だからこそ人間も欲を抑え、必要以上には求めない――それがマタギなら愚直なまでに守ろうとする山の教えだ。


 それは山神様がどうのこうのという話ではなく、人間という動物が、動物の一種としてどう生きていくかの話であり、信仰や宗教よりももっともっと根源的なルールの話だ。




 だが、この世界には魔獣という厄介な獣がいて、生きるために抵抗すれば容赦なく呪いが降りかかり、苦しみ抜いて死ぬことになる。


 まるで神が一方的に人間の命を軽んじたかのようなこの世界の不条理に改めて俺が憤っていると、ガチャッ、とドアが開く音がして、俺たちは背後を振り返った。




 ドアの向こうには心配そうな表情を浮かべた村人たちが立っていて、ドアを開けるのと同時に、ベットから立ち上がり、呪いの痣が消えたレオンの姿を見てどよめいた。




「れ、レオンの痣が消えとるぞ――! り、リーシャ様、これは……!」

「皆さん! 御覧ください、レオンさんの呪いが消えました! ここにいるバンジさんのおかげです!」




 リーシャが感極まったような大声を上げ、えっ!? と俺はリーシャを見た。


 リーシャは興奮に浮かされたような表情で叫んだ。




「皆さん、喜んでください! もう魔獣の呪いに怯えなくてもいい暮らしができるようになるんです! ここにいるバンジさんが教えて下さいました! 私たちは生きていいのだと、まだこの善き故郷に生を紡ぎ続けてよいのだと――!」




 リーシャの言葉に、村人たちが喜びというよりは戸惑いに顔を見合わせ、最後に俺を見た。


 その視線に戸惑っていると、リーシャが立ち上がり、その場に跪いて、俺に向かって頭を垂れて手を組み合わせたのを見て、俺はぎょっとした。




「おっ、おい……! 突然何を……!?」

「バンジ、ニシネ・バンジさん。あなたこそがこの村を救うべく遣わされた真の神の御使みつかい、この村の救世主です! あなたは私をゴライアス・ベアの爪から救ってくださっただけでなく、レオンさんを、そして同時に、この村の未来までを救ってくださった――」




 リーシャは声を震わせて続けた。




「人間と獣の間に命の差などないと、あなたは確かにそう言った。私はこの言葉を生涯忘れません。あなた様は私たちが半ば諦めかけていた、私たち人間の命の尊厳を思い出させてくれた。私たちは生きていい、裁きに怯えて生きなくてもいいのだと、あなたは確かに私たちに教えてくれた――ああ、深く感謝致します、まことに尊き神の御使いよ――」




 そのリーシャの一言に、おおお、と恐れを為したような声を上げた村人たちまで病室にまろび出てきて、俺に向かって頭を垂れ始めた。


 人に感謝されることには不慣れだし、ましてや拝まれた経験など一度もないので、どうしていいかわからなかった。


 いや、あの、その、などと俺がおろおろと慌てていると、フッ、とアズマネ様が笑って助け舟を出してくれた。




「これ、そこな娘。本当にバンジに感謝しとるならば跪いて祈りなど捧げとる場合か」

「え――?」

「こんな辺鄙な寒村とはいえ、この村にも酒ぐらいあるじゃろう?」



 

 ニヤリ、とアズマネ様が笑った。




「それに、そこの呪いから救われた娘の快気祝いもせねばならぬ。こういうときは祈りなど捧げんでもよい、飲めや歌えやで祝えばよろしい……そうじゃろう?」

「おおっ、なんだか変わった格好のお嬢さん、アンタの言う通りだぜ!」



 

 すっかり体調が回復したらしいレオンがガハハと笑い声を上げた。




「こっちは都合3日間も断酒しちまったしなぁ! オイ村のみんな、今日の仕事はもう仕舞いにして宴だ! 私の命の恩人の客人を徹底的に潰すまで終わんねぇぞ!!」




 レオンの豪快な笑い声に、村人たちが顔を合わせて色めき立った。


 うはははは、と笑い声を上げるレオンにバシバシと背中を叩かれながらも、内心は俺も浮足立っていた。


 何を隠そう、秋田は日本有数の酒豪揃いのお国であり、こう見えても俺も酒は結構イケる口だ。


 何よりもマタギたちは猟の終了後、獣を授かった満足感に浸りながら宴を催し、夜が更けるまで語り合うものなのだ。


 


「よぉーし皆さん、今日は季節外れのお祭り騒ぎと行きましょう! 準備が出来たら村の広場に集まってください!」




 リーシャの声に、村人たちは皆一様に嬉しそうな表情を浮かべた。







今回更新分から更新遅くなります。


「面白かった」

「続きが気になる」

「もっと読ませろ」


そう思っていただけましたら下の方から「☆」で評価くださいませ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る