第11話

 憧れて、憧れて、憧れた人。

 ――ユーラ、またそれ読んでるのか?

 いつもの華姫の呆れた顔。

 わたしの手元には、何度も読み返した報告書の写し。

 事実を淡々と綴っただけのそれから読み取れる、隣国の若き王子様の活躍が大好きだった。


 整然と並んだ文字をなでる。



  ***



「どうしたんですか。もう危険は去ったかと思いますが」

 わたしの様子に、リルザ様はすぐに気づいて下さった。でも重ねられた問いに答えることができない。

 リルザ様が本来の意識を取り戻されたのに。

「………、……!」

 どうしてこの喉は声が出ないの。

「なにを!」

 喉をかきむしったわたしの腕をリルザ様がつかむ。

 リルザ様に向かって叫ぶ。でも声にならない。

 突然、リルザ様がわたしの腕を痛いほどに握った。驚いて見上げる。瞬間、こわいと感じた。

 リルザ様は静かにわたしを見ている。

 どういうおつもりなのかわからなくて、目をしばたかせる。

 リルザ様は、人差し指を立ててご自分の口にあてた。

 静かに? しゃべるなってこと?

 沈黙は、戸惑うほどには長かった。寝静まった夜。そのうち、自分の呼吸が聞こえた。

 音が聞こえたら、視界が広がった。捨てられた毒の剣。こうしている間にも横たわったままの、たくさんの亡骸。わたしの腕をつかむのは、彼らを殺した人。

 すっと、理解した。

 わたし、こわかったんだ。この夜の全部が。この人を、含めて。

 涙が頬を伝う。

「言いたいことがあるんですね。声以外で伝えることはできますか?」

 リルザ様の手がゆるむ。ふわっと、体に血が通いだすのがわかった。

「……ルザ、さま」

 今度はリルザ様のほうが、驚いた顔をした。

 呪いを解かれたように声が溶けて出た。おかしいかもしれないけど、自分がこわかったってわかったら、こわくなくなった。

「はい」

 目を細めて、笑ってくださる。

「おねがい、します……ちからを、かしてください」

「え?」

「子供達がつかまって、いるはずなんです、まだ間に合うかも、しれない……!」

「どこに向かえばいいんです」

 尋ねながらリルザ様は、倒れている男の服の上着を奪って着込む。暗い色の上着が、彼の白い服を隠す。

「港へ……ごめんなさい、場所がわからなくなってしまったんですけど、海を目指せばわかると思うんです。一隻、大きな船があって」

 闇雲に逃げたし、回り込まれるたび方向を変えて、どちらから逃げてきたのかわからない。でもわたしが走れる距離なんてたかが知れているから、そう離れてもいないはず。

「海はあちらですね」

 リルザ様は目線を向けた。どうしてわかるんだろう。でも頼もしくてほっとする。

 彼は遺体からさらに布を奪い、返り血を拭う。それから剣と弓、矢筒。

「走れますか?」

「はい!」

 リルザ様はわたしがついていける程度の速さで走ってくれた。彼だけならもっと速く走れると思うと、情けない。

 潮で褪せた赤い扉を過ぎると、家屋が途切れて一気に視界がひらけた。

 港だ。

 探すまでもなく、暗い海に黒く大きな船が停泊しているのが見えた。満月から少し欠けた月が船を浮かび上がらせている。あの月の痩せた分だけ、わたし達は参の城を離れた。

「あれですね」

 暗闇の中で影が動いた。目をこらすと、闇にまぎれるように黒い服を着込んだ数人の人間。

 一瞬、飛び出しかけて、リルザ様に制される。彼らが囲う中に、寄り添うような小さな人影。その中のひとりは、地面に倒れこんでいた。

「子供は3人みたいですね。全部少年のようだ」

「わ、わたしが注意を引きますから子供達をお願いします。わたしの髪は目立ちますから、きっと」

「捕まらないように逃げる自信があるんですか?」

 彼らを見たまま、リルザ様が聞いてくる。……もちろん答えられない。

「でも、リルザ様がお強くても、子供達をあちらにとられたままでは身動きが」

「少し驚かせましょう」

「驚かせる?」

 リルザ様は、空いている手の指を二本立てて口に当てた。指笛みたいに見える。

「まがまがのよるかぜはなし、やせてきえるきいろづき、たまがりあらわれにえさがす」

 小さな声でささやきはじめる。リルザ様のお声は大好きだけど、抑揚のない、表情のない音色に少しぞっとする。

 なにをなさっているんだろう。と思ったら、見張りの男のひとりが驚いたように体をはねさせた。きょろきょろとまわりを見回している。

「しぬはたか、しぬはたか、しぬはこえとかぜをきいたもの」

 男は挙動怪しく、そこから離れる。聞こえているの?

 リルザ様が静かに矢をつがえる。ぎり、と引き絞る音。

 集団が、離れた男の様子に気づいた。その中のひとりが怯える男へ近づく。きっと、どうした、と尋ねながら。

 リルザ様が矢を離した。空気を切って、矢はあやまたず近づいた男を射抜く。怯えていた男が悲鳴を上げた。

 射抜かれ、倒れた男に集まった人間をリルザ様はさらに射る。男達が襲撃と認識し、こちらに気づいて剣を抜いたとき、子供達は反対の方向へと走り出した。

 矢が尽きたところでリルザ様は弓を放る。剣を抜いて、男達へと走り出した。


 累々、またしても横たわる死体を極力視界に入れないよう努める。情けないけど、今のわたしにはこれが限界のようです。

「ポリトのねえちゃん!」

 どこかで様子を見ていたのか、逃げた子供達が駆け戻ってきた。やっぱり、騒ぎの張本人の少年達。

「よかった、何人もあんたのこと追っかけていったから心配してたんだ」

 一番背の高い子が、わたしを見て笑う。まだ心配してくれてたの。元気そうだけど、あなた達は傷だらけなのに。うれしかったり、ほっとしたり、痛ましかったり、涙が出てしまう。

「泣くなよー、ねえちゃん泣き虫だな」

 生意気そうな子に呆れられる。まったくだ。

「他のみんなは、逃げられたの?」

「俺らのあとは逃げたと思う。でも、男の人達は先に連れてかれちゃったから」

 縛られてた人達だ。彼らは先に馬車に乗せられて、行ってしまった。

「そう」

 声が沈む。それに、ミリーもあの女の人達も。逃げられたのはいいけど、この知らない土地に彼女達はぽんと放り出されてしまった。

 戻ってきてくれれば、きっとリルザ様がなんとかして下さる。でも彼女達がここに戻ってくることは、きっとない。

 男の子が申し訳なさそうにうなだれた。

「ごめん、みんなを助けられなくて」

「ちがうの、あなた達には本当に感謝してるの。とても勇敢だった」

 彼の手をとって必死に伝えると、思いきり困ったように首を振られた。

 一番小さな子が、リルザ様に向かって首を傾げた。

「ひょっとして、寝てたにーちゃん?」

「ああ、俺、寝てた?」

 返り血を浴びて恐ろしげな様子なのに、男の子に返したリルザ様の声はひどくのんきで。男の子も臆せず、こくりとうなずく。

「うん。覚えてないの?」

「さっぱり」

 リルザ様が肩をすくめて笑う。思いがけず、人好きのする笑顔。え、そういうふうにお笑いになれたんですか。相手が子供だからでしょうか。とたんに生まれた気安さに、子供達が、えーっと非難の声を上げる。

「あ、そうだよ。早くどこかに逃げなきゃ」

 口を開けたままになったわたしを、少年達が急かす。


 わたしは、よくひとつのことで頭がいっぱいになってしまうんだけど。

 だからいまごろ、リルザ様が戻ったことを自覚した。顔に熱が集まる。

 リルザ様だ……!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る