第10話

 船倉が開かれ、冷えた新鮮な空気が流れ込んできた。そのわりに明るくないっていうことは、今は夜なんだろうか。みんな一列に並ばされて、わたしの位置から外はよくわからない。

 若い男の人達は最初に連れていかれてしまった。力なくよろめいても、殴られてせきたてられながら。

 男達が、残った女の人と子供達を縛り直していく。両手を縛り、足は数人の奴隷同士でつなぐ。縄を打たれただけで、人が奴隷へと名を変える様が不思議だった。

 淡々と作業は進み、もうすぐわたし達というとき。

 足を縛られていた少年が、自分に向かってひざまづいていた男のあごを蹴り上げた。

「ぐっ……」

 空を仰ぎ、口から飛沫を飛ばしながら背中から倒れこむ。

 蹴り上げた少年の近くに、いつのまにか、同じく少年達が集まっていた。彼らは気を失ったらしい男から剣を奪い、さらに周りから棒や縄などを得て、暴れだす。あわてて止めようと割り込んできた男達の手をかいくぐり、すばしっこく周囲を走り回りだした。

 ゆうべ言っていた騒ぎって、これのこと。

「逃げろ!」

 少年の声が闇を裂く。これを機と知った人々が、一斉に思い思いの方向へ駆け出す。

「てめえら、戻れ! 戻らないと、殺すぞ!」

 罵声が飛ぶ。逃げ出そうとする女の人達を捕らえなおそうとする男達に、さっきの少年達が剣をもって打ちかかった。

 思わず足が止まる。真っ向から向かったらいけない。彼らの体じゃとても大人の男には敵わない。男達は怒っている。もう一度つかまったら、殺されてしまうかもしれない!

 逃げなきゃ。でも。気持ちの方向が引っ張り合って、足が動かない。

 逃げて行く誰かが、わたしの隣にいたリルザ様にぶつかった。

 彼はただ騒ぎを見ている。ぼんやりと、自分には関わりのないことだと。

 手をつかんで、強く引く。

 帰さなきゃ。

 でも、ようやく決めて桟橋へと飛び出したところで、ひどい眩暈に襲われた。

 足が言うことを聞かなくて、よろけた拍子に桟橋のどこかに頭をぶつける。釘かなにかが飛び出ていたようで、帽子ごと髪を引っ掛けた。髪の毛が根こそぎ抜けちゃったんじゃないかって思うほどの痛みに思わずうめく。

「痛っ……」

 そのまま、わたしの銀の髪が解ける。

 男達と目が合う。

 彼らは、わたしに向かって走り出した。

「待て、こっちだ! 俺が相手だ」

 誰かが注意を引こうとしてくれた。でも男達はそちらを見ない。

 リルザ様の手をつかんで、必死で走り出す。


 地理もあるらしい彼らは、がむしゃらに逃げるわたし達を上手に人気の少ない場所へと追い立てていく。

 人の見えなくなった細い路地で、背を突き飛ばされた。勢い余って、かばいきれず顔から地面へ転がる。

「おら、こっち向け。手間かけさせんじゃねえよ」

 胸元をつかんで持ち上げられる。頭を揺さぶられて、苦しくて目を閉じて耐えると、いつのまにか他の男達も揃って顔をのぞきこんでいた。

「……いいじゃねえか」

「これ! これ、城へ行く途中のとこで拾った奴っすよ、やっぱり俺の目に狂いはなかったんだ」

「ばーか。ただの偶然のくせに。まあ、もし貴族だったりしたら儲けもんだ。他はどれだけ回収できたかわからねえが、うまく行けばお咎めも減るかもな」

 満足そうに笑う彼に、下っ端らしい男が小さい声で言う。

「えっと……他ったって、ほとんどここにいますけど」

「ああ!? みんなこいつを追ってきちまったのかよ!」

「そりゃ、ガキ追うよりいいですもん……」

「役立たずどもが!」

 罵倒された子分は不満そうだったけど、すんません、といかにも口先だけで謝る。

 わたしをつかんでいる男は、細いベルトのようなものを取り出した。ベルトというには長さが半端だ。

 それをわたしの首に巻いて留めた。

 首輪。

 呆然と、男の手へと繋がれた細い鎖を見る。

「男はどうします? やっぱこいつ、頭おかしいっすよね」

「使えなさそうだな」

「でも、女に好かれそうな顔してますよ。意外と好きな客がいるかも」

「それじゃ、役に立つかてめえが調べろよ」

「お、俺がっすかぁ?」

「いいじゃねえか、やさしくしてやれよ!」

 とたん、彼らははじけたように笑い出した。人の笑い声で胸がこんなに悪くなるのは、あまり経験がない。

「騒ぐな。面倒だから殺しちまえ。早く戻って、女の身元を調べるぞ」

 殺す?

 殺すって、リルザ様を?

 男のひとりが、リルザ様に向かって、剣を引き抜いた。

「やめて」

 リルザ様。見えているでしょう? どうして動いてくれないの。

 剣がためらいなく振り上げられる。

「やめて!」

 わたしを捕らえた男を突き飛ばして、リルザ様に駆け寄る。油断していたのか鎖は一度は手放されたものの、すぐに別の誰かにつかまれてたぐりよせられた。首に衝撃を受けて地面に転がる。咳き込む。

 やめて。殺さないで。

「暴れるんじゃねえよ、おまえに傷を増やしたくねえんだからよ」

「逃げて、リルザ様。逃げて」

 誰に願えばいいのかわからない。

「リルザ様!」


 わたしには何が起きたのかよくわからなかった。

 ただ、リルザ様は斬られていなかった。彼を斬るはずだった剣が、地面に転がって乾いた音を立てている。

 リルザ様は右手の腹を、こめかみに当てて目をつむっている。頭痛をこらえるような……もしくは、不機嫌をこらえるような。

 男達は剣とリルザ様を交互に見て、多分わたしもこんな間抜けな感じの顔になっているんだと思う。

 リルザ様はゆっくり目を開けると、まわりを見ながら立ち上がった。

「……で、おまえたちは誰ですか」

「はあ!? そりゃ、こっちの台詞だろうよ!」

「頭が痛い」

「知るかーっ! ため息ついてんじゃねえ!」

 男が剣を拾い、またリルザ様に襲いかかる。

 今度は、わたしにもわかった。

 リルザ様は彼の振り下ろす剣の軌跡をすいと避けて、剣を握るその手をこぶしで払い落とした。

 痛い。それは絶対痛い。男が地面を転げまわる。思わず目で追うと、やっぱり、指が曲がっちゃいけない方向に曲がってる。リルザ様、剣じゃなくて、手そのものを狙った。

 リルザ様は落ちた剣を拾い、重さを確かめるように何度か振った。

「よくわかりませんけど、まだ剣を向けてくるなら容赦はしませんよ」

「ふっ……ふざけてろよ!」

 男達はいっせいにリルザ様に襲いかかった。といっても狭い路地、3、4人が剣を振ろうとすれば味方に当たる距離。リルザ様は、剣を突き出しては、引く刃で男達の体を裂く。致命傷にならなくても、ひるんだ男達がどんどん後ろへ下がっていく。

 その中を、剣の持ち主だった男があとずさりだす。

「おい! なにやってんだ、勝手に引くな!」

「あ、でも……、あ……」

「まさか逃げようってんじゃねえだろ、相手はひとりだぞ」

「すんませ……すんません……!」

 彼のおびえようは、どこか異常な気がした。結局、頭格らしい男の脅しじみた制止を振り切ってわたし達に背を向け、彼は全力で駆け出した。

「畜生が! 誰か追いかけろ、あいつも殺せ!」

 怒鳴ったあと、男はわたしを見て思いついたように鎖を引く。首を吊られて、苦しくなった呼吸にあえぐ。

「動くな、それ以上動いたらこの女から……」

 リルザ様は最後まで言わせなかった。わたしを盾にしようと姿勢を変えているところで、男を斬り払ってしまった。

 悲鳴を上げる彼を蹴り飛ばし、わたしから離すと、鎖を拾って渡してくる。自分で持っていろ、ってことだと思う。

 気がついたら、立っているのはわたし達だけだった。……どうして?

 腕を斬られただけの人もいたはず。でもみんな、うずくまっている。動かなくなって、いく。

 リルザ様は、持っていた剣を投げ捨てた。

「毒が塗ってありました」

 男の逃げ去ったほうを見る。もう、影も形もない。

「仲間にも知らせてなかったようですね。先頭切って剣を抜く立ち位置だったなら、あの男なりの工夫だったのかもしれません」

 もう誰も動かない。

「私はここから離れます。あなたはどうしますか」

 瞬く間に亡骸と変わった彼らの姿に、意識の全部を奪われていた。リルザ様の声に、やっと、はじかれるように彼を見た。

 強い理性の宿った目。

 そうだ。これはあの日のリルザ様。

「口はきけるでしょう。あんなに大きな声で、私を呼んだのだから」

 答えようとして、わたしの喉から、ひゅるひゅると空気がもれた。

「どうしました」

 ぱくぱく、魚みたいに口を開ける。

 リルザ様は眉根を寄せた。


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