第7話 はじまりの祭

 夏。

 結婚式もなく、祝いの施しもなく、ユーラ様を迎えたはずの参の城はただただ静かなままでした。

 人々は、ユーラ様が嫁がれたことも、そもそもお城に誰か住んでいることすらも忘れ始め、やがて来る夏の祭へと心を向けています。

「今年の祭は、去年よりずっとましになりそうだな!」

「この分なら冬に十分蓄えを残せそうだ。巡礼には中央の商人達もついてくるし、娘に櫛でも買ってやるかな」

「おいおい気をつけろよ。若い連中、去年おとなしかった分はりきってるぞ」

「上等よ。おりゃ婿なんざいらねえからな、孫さえ産まれりゃ用なしさ」

 げらげらと、あけっぴろげに。

 笑いは豊かに広がります。

 汗ばむ陽気が、迫り来る夏が、彼らをさらに煽り立てるのです。



  ***



 茶番だと彼は言った。

 話し合いでおさまるのなら、戦は存在しない。誰もが抱く本心に言葉は封じられ、会議はいっとき一切の価値を失う。

「それでも言葉は、わかりあうために造られた」

 古の詩人の言葉を借りて、おだやかに沈黙を破ったのは、緑国の若き王子。


 これはわたしが嫁ぐ前、リルザ様がまだ王子として務められていたときのこと。赤国と緑国の休戦期間が明ける間際、緑国の壱の城にて会議の席が設けられた。

 わたしはそれを見ていた。華姫に頼み込んで、姿を消し空を飛んで、緑の国王陛下が住まう壱の城に忍び込んだのだ。見つかったら殺されるよりも悪いことになったかもしれない。しかもリルザ様を捜すうち、赤緑の要人集う会議の場に迷い込んでしまったんだから、さらにとんでもないことなんだけど。

 びりびりと高まる緊張に、成り行きをただ見守っていた。


 悪意と敵意を火のごとくまとわせた屈強な赤国将軍が、鼻で笑う。

「なるほど、重みのあるお言葉だ。御名をうかがってもよろしいか。恥ずかしながら戦場にばかりいるものでな、武人の名しか耳に入らぬ」

 列席する赤国勢から嘲笑がさざめく。王族の席次は明らかで、緑国王から数えて3番目に座る彼の身分をわからない人間はこの場にいない。

 リルザ様は、将軍の正式な名を呼んだ。

「噂通り、赤国が誇る豪傑でいらっしゃるようだ。私は確かに、戦場以外で貴方に出会えたことを感謝すべきでしょう」

「これは殊勝な。それとも、刃を隠したおつもりか。それでは笑顔を隠れ蓑に、毒を飲ませ人の背を刺す、宮中の蛇と変わらぬ。緑国王子とは馬を友に、風をまといて草原を駆ける武人と謳い聞いているが?」

「ええ。私の臆病な言葉も、貴方の勇猛な言葉も、すべてこのふたりの真実の速記官が記録しています。この会議の内容は、いずれ求める者に正しく開かれましょう」

 リルザ様は、黙々とペンを走らせる、白い服に身を包んだふたりの男性を見る。将軍の動きがひたと止まる。

 それからリルザ様は、今度はどこか別の場所に視線を留めた。扉? 人? わたしは追うものの、なにを見ているかわからない。かと思うと、さらに別の場所。またさらに。

 最後に、将軍を見すえる。

「下がらせなさいますよう」

 事態をわかっていないのは、わたしだけじゃなかったと思う。でも将軍はリルザ様を睨みつけた。歯を食いしばる音が聞こえる気がするほど、くやしそうに見えた。

 華姫がぽつりと、わたしの耳だけに聞こえる声で言った。外に控える赤国の兵士がゆっくりと増えていたと。


 あとから推測したこと。会議の場に選ばれた壱の城は、緑国の喉元。それまで話し合いの場がもたれるときは国境近くを使うことが当たり前だったから、緑によほど不利な状況で飲まされたことだったんだろう。

 将軍がなにを狙っていたのか、はっきりとはわからないけど、リルザ様は速記官を使い、赤国の名誉と誇りを盾に将軍を牽制した。

 わたしは、リルザ様を見つめることにただ夢中だった。リルザ様がこの将軍を黙らせたことだけはわかったから、すてき、かっこいい、なんてのぼせて、彼が見えないはずのわたしを見たときも、こちらを向いたと偶然を喜んだ。不思議そうに向けられる綺麗な青褐色の目を、このとき限りと息も忘れて見つめていた。



  ***



「お祭りがあるのよ!」

 わたしの膝を枕にして昼寝をしていた華姫が、ひっくりかえる。

「華姫、聞いてた?お祭りがあるの」

「ユーラ……」

「シャ=ダエの祭。ふもとの街でやるのよ。豊穣と発展を祈るの」

 鼻をぎゅっとつままれた。

「あにふるの」

「ユーラは絶対、もっとボクを気遣うべきだ」

 かまわず、わたしは郷土書のページを開いて華姫に押しつける。

「ここ見て、ここ。初夏の頃、雲湧く月の最初の祝福の日に…」

「字なんて興味ない。ボクにはなんでユーラが本読むのかわかんない」

「ええ、どうしてよ」

 春にお嫁入りしてから4ヶ月。その間、本当に、びっくりするほど何事もなく。参の城でのわたしの生活は、静かで単調なものに仕上がっていた。

 午前中は図書室の掃除。午後は天気が良ければ、こっそり街へ遊びに行ったり、雨の日はまた図書室のそうじの続きをしたり。夜は本の修繕や、お裁縫や、読書などなど。このお城は貧乏で、灯りの無駄遣いはできなかったんだけど(クロースさんにやんわり断られた)、華姫がこっそり照らしてくれた。

 結局わたしは今も、華姫以外の人と口をきいていない。

 華姫はこんな状況とんでもないって怒るけど、出て行くつもりはない。ひとり遊びの好きな自分の性格を幸いに、それなりに楽しい日々を送っている。きっと訪れる変化を信じながら。

「本読むの、楽しいよ。理解できないものいっぱいあるけど。ここの本を全部制覇するのが夢なの。何年かかるかな」

「だからユーラ、そんな甘い笑顔をカビくさい本に向けてどうするんだよ。それよりボクと遊んでよ」

「郷土書と歴史書、もっと近代のものまであると思うんだけど。でも取り寄せを頼んでもきっとだめね、この国では女性は本を読んだりしないし」

「ユーラは本なんか読むより、もっとちゃんと着飾って、いろいろなところに行くべきだよ。ボクはユーラが綺麗なほうが好きだし、同じところにずっといるのは退屈だよ」

「綺麗と言えば、この国で女性が赤を着ちゃいけない理由、わかったのよ」

「………」

 その関連を書いた2冊の本を取り、ページをめくる。

「緑の国の守り神は、草原なんだって。昔々、通りすがりの炎がいたずらで草原を焼いてから、この国は赤を許さなくなったの。でもそれは女性だけね。男性は、倒した敵からそのシンボルを奪って誉とするから、敵を倒した時の勲章の色は赤になった。激戦期には、たくさんの赤国兵を倒した英雄は赤い服を着たんですって」

 そっぽを向く華姫の長い耳を引っ張ってこっちに向けて、さらに続ける。

「でも赤って女性にすごく似合うのに、もったいないよね。でね、赤国と緑国ってずっと戦っているけれど、この仲違いの伝説は、史実に基づいているようなの。緑国暦46年、赤国のカリマーって人が本当に緑国の草原を焼いちゃって……」

「祭はだめだからね。今夜だなんて」

 華姫は延々続くわたしの話を遮った。おかげで、もともとの話を思い出す。

「なんで、どうして」

「満月だもん」

「あ」

 そうだ。わたしは納得してしまい、高まっていた気分が急降下する。

「こ、こらユーラ、そんなにがっかりするなよ。かわいそうになっちゃうじゃないか」

 満月のたびに、華姫はいつもどこかへ出かける。どこへ行くのか一度説明してもらったけど、わたしには全然わからなかった。ともかく、魔獣の姫である彼女のおつとめだと理解している。そしてそれは、決して欠かしてはならないものなのだと。

「なあ、祭は一日だけなのか? 青の祭は何日もやるじゃないか」

「下の街でやるのは、今日だけなの」

 聖者シャ=ダエが、緑の国の豊穣を祈って国内を回るのだ。シャ=ダエに扮するのは、この国の神官様だとか。

「だめだぞ。絶対、ひとりで行ったりしたらだめだからな」

 わたしの顔を見て、華姫が必死に釘を刺す。

「……わかってる」

 わかってる。華姫なしで外を歩くなんて、そんなことは。

「約束だぞ?」

「わかってるってばっ」

 約束に差し出された小指を払って、まだ午後なのに、わたしはふとんにくるまった。

 子供みたい。でもあんまり楽しみにしてしまったから、消えたらとっても痛かった。


 華姫が出かけていったあと(絶対だめだぞって何回も釘を刺しながら)、届けられた夕食に見たことのないお菓子が添えられていた。赤くまるく焼きあげた生地に、溶かしかけの飴のような、やわらかな餡をはさんでいる。祭で配られるっていう、聖者シャ=ダエがもたらす豊穣の炎を模したお菓子だ。本で見たのとは少しちがったけど、すぐにわかった。

 夕陽が落ちていく。夜が始まる。

 窓を見れば、街は真っ暗。彼らはシャ=ダエの豊穣の火を待っている。

 頭を振る。華姫と約束したし。わたしひとりじゃ、なにかあっても対処できないし。

 夕食を食べる。いつも通りあたたかくておいしい。ここの料理人さんはいい人なんだろうなあって思う。最初の頃、全部食べ終えて戻すと、翌日には少しだけ量が増やされた。多かったから、全部のメニューをそれぞれ少しだけ残して戻した。一種類だけ残したら、きらいなものだと判断される気がするんだよね。そうしたらまた翌日には、ちょうどよかった量に戻っていた。ときどき花が添えてあったり、敷かれる布が変わっていたりして、ほんのりうれしい。

 食器のぶつかる音だけが響く。華姫のいない部屋はさみしすぎる。

 わあ、って遠くから歓声が聞こえた。すぐさま、窓に張りつく。色とりどりの灯りで、街が煌々と輝いている。シャ=ダエが来たんだ。

 見に行きたい。ちょっとだけなら。

 夕食が終わってから翌日の朝食まで、わたしは誰とも会う必要がない。ほんのちょっと、露店のいくつかひやかせば気が済むもの。わたしの顔を知っている人はいない。あの街の地理も、少しは知っている。

 ……ちょっとだけだから、ね! 華姫!

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