第6話
赤い夕陽が落ちると、夜の足は早い。
クロースは少しだけ足を止めて、闇色の広がるさまを見届けた。
夕食を終えれば、残る仕事はひとつだけ。やるべきことは山とあるが、経費削減に灯りの使用を抑えているため、日が沈めばできることはない。
手にしたひとり分の夕食に目を落とす。半球のふたを取れば、まだあたたかな湯気が立つはずだ。
壁や柱にも灯りはなく、早々に真っ暗になった通路を、手持ちの灯りを頼りに進む。
主の部屋へと続く階段に近づいたとき、クロースは目をしばたかせた。闇の中、ゆらりと揺れる影。
一瞬魔物の類かと思ったが、それはまだあまり見慣れないこの城の新しい住人だった。
「ユーラ様」
クロースに気づいていなかったようで、ぱっと猫のようにこちらに顔を向けた。髪飾りがしゃらりと軽い音を立てる。
「……殿下に、会いにこられたのですか」
声がかげる。こくりとうなずかれ、クロースは迷った。
黙ったままこちらを見つめる女性は、リルザに迎え入れられていないために声を発することができない。不便だろうし、おそろしいだろうに、しきたりを守ろうとする態度には健気さを感じる。
でもいざこの人物が口を利いたら、クロースは驚くだろう。稀有の美しさ、見慣れぬ銀の髪と白い肌、そこに埋め込まれた赤い目は色濃く、血の色のよう。心惹かれる部分はあるが、遠く月の住人のように感じていた。
――あの女が、俺達にとって良きものであるはずがない。
ガルディスは繰り返す。いまだ継承権を失わぬ第三王子に、良からぬことを考えているのだと。否定より同意が勝る。主人の伴侶と歓迎するよりも、警戒すべき理由のほうが多かった。
けれど、今会わせなかったところで、それは無駄な先延ばしだ。クロースは気づかれないよう、小さく一度息を吐いた。
「……これから、殿下に食事をお届けいたします。足元にお気をつけくださいますよう」
彼女がなにを考えているのか、クロースにはまったく感じ取れない。言葉が通じているかすら疑問に思う。
それでもユーラは、クロースが階段を昇り始めると、距離を保ちながらついてきた。
リルザの普段の行動をクロースは知らない。気の向くまま歩き回っているようで、捜すのは難しい。ただ朝にはたいてい自分のベッドで寝ていて、十分に日が出た頃に、料理長が朝にこさえるお弁当を持って出ていく。
夕食はクロースが毎晩届けにきているけれども、会えるときと、諦めて食事だけ置いて戻るときは半々だった。
今日は来ないといい。そう思いながら、扉の前で足を止める。
「こちらが殿下のお部屋になります」
ノックをし、そっと開ける。
風がひゅうっと通り過ぎた。この部屋の窓はリルザが出入りするせいで、いつでも開け放されている。体調を崩すのではと冬には気を揉んだが、当のリルザはどう過ごしていたのか、けろっとしたものだった。
「リルザ殿下、クロースです」
いてもいなくても、返事がないことはわかっている。壁の灯りに自分の火を分けてまわる。それからテーブルに食事を置いた。
「今夜はいらっしゃらないようです。食事をおいて戻ろうと思います」
いつもならもうしばらく主を待つところだが、そのまま扉に向かう。だが、肝心のユーラがついてこない。
振り向くと、彼女は闇の一点を凝視していた。
「ユーラ様、戻りましょう」
「だれ」
誰何のそれは、ユーラの声ではなかった。その声音の危険さに、クロースの胸がざわめく。
この声はだめだ。これは。
「だれだ、おまえは!」
窓から戻ってきたリルザは、強くユーラに言った。
ユーラはリルザを見つめ、立ち尽くす。
「でていけ!」
「リルザ!」
激した青年がテーブルを薙ぐ。食事が派手な音を立てて床に撒き散らされる。
「でていけ。でていけ! おれに、ちかよるな!」
リルザが言葉として発したのは、そこまでだった。壁の角が削れてつぶてを飛ばし、ベッドのシーツが風に引き裂かれた。獣のように怒りに染まった声が、精霊を煽り立てる。
クロースはリルザに向いたまま、ユーラを背で押すように下がった。ユーラは足をもつれさせながら、廊下へと逃げる。
「ガルディス!」
王子と護衛官達とを結ぶ耳飾りをつかんで、叫ぶ。
心を閉ざしたリルザには効かなくなったが、血の交換をしたガルディスにはこれで届く。ガルディスはすぐに駆けつけた。説明をしなくても、彼は状況を理解した。
「近頃は落ち着いていたものを」
忌まわしげにユーラに呪詛を投げつけ、顔をかばいながら部屋へと入っていく。
真っ白な顔で震えるユーラに、クロースは告げた。
「もうここへは近づかないでください。リルザ殿下は身分の高い人間、特に女性を嫌います。彼は、あなたを受け入れない」
***
お月様がきれいだ。わたしは、自分の部屋のベッドに倒れこんだ。
華姫はなんにも言わないでくれている。正直、助かる。
やわらかなシーツに顔をうずめて暗闇を感じると、涙がこみ上げた。泣き出してもなにかが引っかかっているようで、うまく泣けなかった。
ひんやりとした手が肩におりる。華姫はわたしの体に乗りかかるように寄り添った。彼女の体重も、体温も、あってないようなもの。
「本当に、ユーラはバカだ。まったく理解できないよ」
憮然とした声。
「あんな嫌がられてんのに、どうせあきらめてないんだろう」
思わず、泣いたまま笑った。
「うん」
顔を上げて、はしたなくおもいっきりはなをすすった。口から深く息を吐く。深呼吸を繰り返しながら、華姫が手品みたいに出してくれたハンカチで顔を拭く。
「ボク、あの部屋でまたなにかユーラに当たってたら、あいつら殺してたかも」
「やめてよ」
睨みつけると華姫は、べーって舌を出す。怒ってくれる彼女がうれしい。
「でも、わたしが悪いものね」
ああいう状態のリルザ様に、無理やり嫁いだ。わたしの兄が同じ立場だったら、わたしはどれだけ怒るかわからない。
だけど、帰らない。ずうずうしいのは承知している。嫌われることも、承知している。
「それでもそばにいないと、できないことだもの」
もう一度、ゆっくり深呼吸。
「どうしても、リルザ様を幸せにしたい」
華姫が無感動に肩をすくめる。
「人間はそういうの、ありがた迷惑って言うんだろ」
わたしは華姫を引っぱたいた。
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