雲の姫

黒作

第1話 見捨てられた城

 春。

 青の国で一番美しいと評判のユーラ様が、緑の国の三番目の王子様の元へ嫁ぐことになりました。

 いまだ先の戦の傷を引きずっていた緑の国は、めでたい報せに活気づき、冬の終わりと春の訪れを喜びます。


「青のユーラといえば、どこぞの国のお世継ぎに見初められたのに、あっさり袖にしたんだろう。そんなにお美しいってんなら、ぜひ花のかんばせ、拝んでみたいもんだが」

「でもよ、結婚式は挙げないらしいぜ」

「はあ? それじゃ俺らは、いつ見れるってんだ?」

「俺が知るかね。それにしたって、リルザ様に嫁ぐたぁね。それもこの話、青国からの申し出だったらしいぜ」

「まさか! だって以前ならともかく、今のリルザ様といやぁ……あれだろ?」

「ああ。あれさ」

「なんだ……、またきなくさい話だったのかい。せっかく少し落ち着いてきたと思っていたのによ」

「ま、権力者の結婚なんて、そんなもんなんだろうよ。俺ら平民ごとき、うかがい知る事もできませんて」

「ちがいねえや」

 緑の国、ある街角にて。



  ***



 足をじたばたさせたり、両手を組んで何度も強く握り合わせたり。

 子供の頃からある、緊張したときのわたしの癖。

「どうしよう、華姫。心臓が止まらないよ」

「いいんじゃないの。人間って心臓止まると困るんだろ」

「もうすぐ参の城よ……言ってたもの、山をふたつ越えて、草原をひとつ越えたら参の城だって。どうしよう、わたしどうしたらいいの?」

「どうもこうも。この馬車の中でおとなしく座ってる以外に、何かユーラができることあるの」

 どうでもよさそうによそを向く華姫の腕をつかんで、顔を近づける。

「わたし、おかしくない? 変な顔してない?」

「いつものユーラの顔だよ。それが変なら、どうにもしようがないね」

「髪は乱れてない? 鏡はどこにしまったっけ……あれ、おかしいな、ここだと思ったのに。もう、この馬車の中暗すぎるよ、鏡がよく見えないじゃない。ねえ華姫、ちょっと後ろ見て。崩れてない?」

「大丈夫だよ。ちゃんと出発したときのまま、編み上がってるよ」

「香水は? きつくない?」

「大丈夫だよ。いつものユーラの、いいにおいだよ」

 辛抱強く返してくれる華姫の言葉に、やっと少し安心。そしてようやく、彼女がぶすくれていることに気づく。

「あ……ごめんね?」

 また彼女が一番嫌いなことをしてしまった。華姫は、わたしが彼女以外のことに夢中になることをとても嫌がるのに。

 華姫は眉間にしわをよせたまま、腕を組み、足を組み。

「イイエー? 大好きな王子様のところへいけるんですからー、ショウガナイデスヨー」

「ごめんてば。華姫、好きよ。大好き」

 彼女のガリガリペタンコな体を抱きしめる。わたしはすぐお肉がつく方だから、うらやましい。身長が同じくらいだから、違いがよくわかってしまう。

「……ねえ、華姫。わたし、太って見えない? 朝から座ったままだし、やっぱりサッシュは巻き直したほうがいいよね? おしりあたりがシワになっているかも……」

「だから、そういうのは人間に聞けってば。ボクに聞くな!」

「だって! 他の誰に聞けっていうのよ?」

 怒鳴り返して睨み合う。ただし小声で。この一連、ぜーんぶ小声。

「カリンにやらせればいいじゃないか。今朝の宿まで一緒に来てたのに、なんでカリン達は帰っちゃったのさ?」

「何度も言ったでしょ、お嫁にいくのはわたしだけなのよ」

 それが、緑国がこの縁談に出した条件。だから本当は、この馬車の中にはわたし以外いてはいけない。

「でも華姫なら、ほら。ね?」

 笑顔を向けても、ご機嫌をとるには至らない。華姫はわたしを責めた目のまま、口をとがらせている。彼女の本当の不機嫌の理由は、別にある。

「ユーラ」

「なあに?」

「ほんとに、あんなヤツのところへ行くの?」

「リルザ様は立派な方よ。あの若さで、数多くの功績をあげていらっしゃる。華姫も知ってるじゃない」

「過去形だろ。だって……リルザは、頭がいかれちまったんだろ?」

 わたしは微笑んだまま、それには返さなかった。


 果たして、とうとう馬車は参の城へ到着した。

 大きくて無骨な城。以前はここらへんが国境だったんだけど、今はちがう。先の戦に緑国が勝利して、領土が拡がったからだ。隣国、赤国との現在の国境線は、ここからもっと西になる。

「寒そうな城!」

 華姫が馬車につけられた小さい窓から顔を出しながら(ただし窓枠ほかを無視して突き抜けている)、声を上げる。

「なんか、荒んでないか? 草もぼうぼうだし」

 彼女が首をひねったとき、鞭の音がかすかに響いた。馬が歩みを止め、馬車もゆっくりと止まる。

 そっと息をのむ。

「華姫」

 小さな声で名前を呼ぶと、彼女は肩をすくめながらその姿をかき消した。

 馬車の扉を叩いて合図をすると、御者のおじさんが扉を開け、降りるために手を貸してくれる。

 門の近くにひとり、男の人が立っているのが見えた。その瞬間、わたしはぎくりと止まってしまった。

 次の瞬間、自分の失態に気づく。できるだけ、なにごともなかったように定められた礼法に戻る。誰にも視線を合わせず、ゆるく前を見て、早すぎも遅すぎもしない速さで彼のもとへ向かった。

「ようこそ緑国参の城へ、ユーラ様。私はリルザイス殿下の護衛官のひとり、クロースにございます」

 彼を一瞥し、膝を沈めて返礼とする。

「ご案内いたします。お足元にご注意を」

 クロース殿は体を引き、城への道をわたしに示した。


「おかしいじゃないか!」

「華姫、声が大きい!」

 しばらく待つようにと通された部屋。

 わたしがひとりきりになるなり、華姫が姿を現して、開口一番そう言った。

「なんで青のユーラの婚礼の迎えが、たったひとりなのさ! 荷物を城に上げたヤツらも、揃いも揃ってしょぼい服着てて。青のユーラの持ち物に触れていいのは立派な身なりのヤツだけのはずだろ!」

「え、よく覚えてたわね。確かにルールではその通りよ。すっかり人間らしくなっちゃって、初めて会ったときとは大違いだわあ」

「なにのんきにしてるんだよ!」

 きーって華姫が怒る。

「ユーラ、おまえまさか、わかってたの? こうなるって」

「わたしだって驚いてたわ」

 クロース殿。門で待つ彼を見た瞬間、凝視したまま止まってしまった。彼に失礼だったし、私にしても、うろたえること自体、恥ずかしいことだ。

 ただ、彼は、黒い髪に黒い瞳だった。緑国でも青国でもない、黒国人の特徴。

 緑国と黒国は親しいし、もしかしたらハーフや緑国出身なのかもしれないけど、これは国と国のやりとり。

 花嫁の迎えに、他国を思わせる人間ひとり。

「驚くことはあるとは思ってたのに、かたまっちゃったな……うう、悔しい」

「怒るとこだろー!?」

 だって、歓迎されてないことはわかっていたのに。息をつく。

「ここに来るまで、クロース護衛官以外まったく貴族を見なかったね。というか、城内で誰ともすれちがわなかった」

 部屋におかれたテーブルを見る。客人、特に女性を迎える時は必ずテーブルに生花を飾る。この大陸で数少ない共通の決まりごとなのに、ここには花はおろか、クロスすら敷かれていない。

 カーテンも豪華ではあるものの、重たくあたたかいもの。もう春なのに、冬用のまま替えられていないんじゃないかな。意地悪く上を見れば、やはりほこりが積もっていた。

「歓迎も、されてないんだろうけど……」

 窓をのぞく。水拭きはしたらしく、せっかく高価なガラスがはまっているのに、水垢が拭いた筋のまま残っている。まともな使用人なら、空拭きをするなりなんなり、もっときれいに磨き上げるはずだ。

 正門を見下ろす。荒れ放題の庭。番が壊れて傾いた通用人扉。

 本来わたしは正門から迎えられるべきなのに、さっきはおそらく第二門だろう場所から迎えられた。

 まさか嫌がらせかと思ったけど、それよりも。

「……正門を開けるほど、人数を割けないのかな」

「なんだそりゃ!?」

「声が大きいってば」

 遠目で見ただけだし確かなことは言えないけど、あの正門、開けられなくなって久しいんじゃないだろうか。開くとき描くだろう軌跡にも、短い草が生えていた。

 ふいに華姫が、獣みたいにぴくんと扉を向いた。次の瞬間には溶けるように姿を消す。誰か来たんだろう。すぐに足音が聞こえ、扉が叩かれた。

 現れたのはクロース護衛官。やはり彼ただひとり。

「どうぞ、ユーラ様。リルザイス殿下のもとへご案内いたします」

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