デジタルヒューマン

棚霧書生

前編

 司会からの紹介が終わり、壇上へ足を向ける。カメラのフラッシュが連続でたかれた。あちこちからの強い光に視界が少し白む。二、三秒待ってから、えー先ほどご紹介に預かりました廻神えがみタスクです、と俺は口を開いた。

「こちらに来るのは久しぶりなので、少々緊張しております」

 後半の緊張してるってのは嘘だけど、そう言っておいたほうが民衆は親しみが持てるだろう。

「廻神さん、今回は荒木賞の受賞おめでとうございます!」

 司会の大げさな声に続けて会場からの拍手が続いた。パチパチパチパチ、こっちも結構大きめの音だ。耳が痛いかも。

「ありがとうございます。この歴史ある賞をまさか私のようなものが書いた作品に審査員の皆さまが与えてくださるとは思ってもみなかったので、正直驚いております」

 照れたふりで視線を下に落とすと赤い絨毯が目に入った。祝い事の場で赤い絨毯を敷くのはなんでなんだろう。そういえば調べたことないな、と余所事を考えてしまう。

「荒木賞を含めその他の文学賞でも、デジタルヒューマン、それも廻神さんのような仮想空間で生まれ育った生粋のデジタルヒューマンが受賞されることは歴史上初のことですからね。皆さん大注目されてますよ!」

 司会の言葉にハッと我に返り、すぐに応答をするモードに頭を切り替える。

「まあ、そうでしょうね。ニュースとかいっぱい流れると思うので、これをきっかけにデジタルヒューマンのことを知ってもらって、身近に感じてもらえるといいかなと思っています。私ら、物理的な肉体を有していないだけで、人間とほぼ同じなので。考えてることとか感じてることとかも変わらない、そういうとこをわかってもらえるといいなと思います」

 まあ、一部の人間には理解されないだろうけど。でも別に人間の全員から人間と変わらない扱いを受けたいってわけじゃない。差別されたり忌避されたり、なんか面倒くさい反応をされることが少なくなればいい。

「廻神さんは、今回の受賞作『ユウジン』にどんな想いをこめたのでしょうか」

「そうですね、先ほど言ったこととかぶるのですが、私は……えっ?」

 壇上に男が突然上がってきた。係員が止める間もなく、こちらに迫ってくる。手にはナイフを持っていた。

「人形に荒木賞をやるな! これは文学に対する冒瀆である!」

「はぁ……マジかぁ……」

 刺された。

 もうしっかりきっちり首のとこにナイフが刺さっちゃってる。キュウンとメイン電源が落ちる音が頭に響き、俺の意識はブラックアウトした。


「おいッス、いまどんな状況〜?」

 ソファの空いているスペースに勢いよくどっかりと腰かけ、隣に座っている男の横顔を見る。

「現場はちょっと混乱したけど、君をナイフで刺した男は拘束されて会場からつまみ出されたとこだよ」

 虚空を見つめていた伊龍いりゅうツムギに尋ねたところ、即座に応えが返ってきた。ちゃんと友人が出る受賞式の生配信を見ていたらしい。

 俺も網膜に当該チャンネルを映し出すとまだ配信は続いていた。会場にいた人間はかなり動揺しているようで、大勢が喋っているのか音声がざわざわしている。

「こっちから、無事の連絡してあげたら?」

 ツムギが提案してくる。さすが研究所長を務めているだけあって、すごくまともな意見だ。

「心配させたほうが後々、有利だと思わないか?」

「なにに有利になるの?」

「首を刺されたとき、私は消えてしまうのだと思いましたッ! 仮想空間で意識が戻ってからもなにが起きたのかすぐにはわからなくて放心していて……」

 オーバーめに感情を乗せて、セリフを作る。それを聞いたツムギは怒りも笑いもしなかった。 

「同情を誘いたいってことね。いいんじゃないの、まったくの嘘でもないんだし。あんな突然、憑依体の電源が落ちたら人格データが吹っ飛ぶこともあるんだから」

「うわっ、怖っ。お前が言うと説得力あるなあ。おっと、そうこうしてるうちに向こうから電話がきたわ。めちゃくちゃ被害者ぶろ〜、モノホン被害者だし」

 電話の内容は主催者からの安否確認だった。できるだけ、悲壮感を出した声で無事を伝える。主催者も動揺しているようで、声が震えていた。そして、警備の不備についてひたすらに謝られた。

「ええ、あの……私も恐ろしい目に遭いましたが、それは加害者が悪いのであって、そちらの警備に文句を言おうとは思っていませんので……」

 まあ、本当は一言くらい文句を言いたいけど。だけど、これからSNSで会場側も死ぬほど叩かれるだろうし、それを考えると俺から物申さなくてもいいかと思った。

 まばたきで電話を切り、思いっきり伸びをする。

「はぁ~、疲れた」

「災難だったね。これからの対応どうするって?」

「喋んのだるい。さっきの通話記録のデータ転送する」

 パチッ、パチッとまばたきしながらツムギにデータを送る準備をしていたところ

「受け取り拒否で」

 と言われてしまう。

「なんでだよッ」

「そういうのって、プライバシーの侵害だろ。警察や司法に提出するなら別だけど、こういうことでデータ転送はしないほうがいいよ」

「そんな法律ないじゃん!」

「まだ、ないけどさ。そういう行動の積み重ねがデジタルヒューマンの印象につながっていくから。君たちが気味悪がられたり、避けられたりするのって、人間にはできないことを簡単にできるってとこにもあるんだよ」

「君たちって、お前もデジタルヒューマンのくせに部外者みたいな喋り方」

「僕はもともと人間で、あとからデジタルヒューマンになったからね。そういう感覚の違いは、タスクよりもわかると思うよ」

「わかったよ……。データ転送はしない。口で話せば問題ないんだろ」

 デジタルヒューマン同士ならデータ転送のほうが明らかに手間が少ないし、齟齬が発生する確率だってグンッと下がるのに。そうは思いつつもツムギが言っていることもわからないわけではないので、彼の意見に素直に従うことにする。

「ありがとう、タスク」

 ツムギが優しく笑った。その表情がいいなと感じる。なんでいいなと思うのかはわからないけど。なんか色々と計算された結果、俺の頭にはツムギの笑顔っていいなと弾き出されている。俺が人間とデジタルヒューマンがそんなに変わらないと思っている理由の一つがこれだった。


 俺が強襲されたので受賞式は延期になっていた。一ヶ月ほど経った後、開催の日取りがようやく決まった。しかし、ここで問題になったのが、俺の式への出席方法だった。

 会場にモニターを用意して、俺は仮想空間からビデオ通話をつないで参加するか。それとも前回のように憑依体と呼ばれるデジタルヒューマンが現世で活動するためのアンドロイドを使用するか。

 前回よりも、もちろんセキュリティは強化してくれるはずだが、身の安全を考えると仮想空間から参加したほうがいい。

 しかし、脅しに屈しない姿を演出するならばやはり憑依体を使って演説してみせるのが一番だろう。あの事件があってから、世間の目も俺、ひいてはデジタルヒューマンに向いている。報道されるときの絵的にも憑依体であったほうが訴求力があるだろう。

「で、悩んでるわけよ。ツムギはどっちのほうがいいと思う?」

 ソファのいつもの位置に座っているツムギはやっぱり虚空を見つめている。なにか仕事をしているのだろうが、ツムギが虚空を見つめ出してからそろそろ十時間ほど経つ。いくら待っても終わることはないと知っているので、俺は俺の都合でツムギに話しかけることにしている。

「ちょっと待ってね」

 ツムギが何度かまばたきをすると俺と目を合わせた。

「いくら疲労しないからってぶっ通しで仕事をするのって、ちょっとキモいぜ」

 ツムギは元人間なのに、人間っぽくないところが多々ある。いや、だからこそツムギはデジタルヒューマンになったのかもしれないが。

「仕事にどれくらい取り組むかなんて僕の勝手さ。人間の頃は二年に一度くらい倒れていたけど、デジタルヒューマンになってからはいくらでも働ける。これは利点の一つなんだよ」

「それを利点って言うのお前くらいだよ……」

 ツムギは筋金入りのワーカホリックで、デジタルヒューマンは休息をとらなくても大丈夫だからと朝も昼も夜も、なにかしらの作業をしている。二十四時間戦えます、という大昔の標語を思い出す。

「気がおかしくなるだろ、普通は……」

 デジタルヒューマンにも気が滅入るという感覚はある。肉体の怪我や病気はないかわりに、デジタルヒューマンは精神病にはかかる。むしろ、肉体の病苦がないかわりに精神的な苦しみに苛まれるやつは多い気がする。

「ワークアズライフ、僕は生きることに仕事が組み込まれているんだよ」

 ツムギはそういう苦しみとは、あまり縁がないみたいだが。

「うーん、わからないな……。疲れないって言っても飽きるだろ」

「そこは違う作業を交互にやっていけばいいんだよ。最適なスケジュールの組み立ては計算機がやってくれるしね」

「そういうもんか?」

「それより、僕に相談したいことがあるんでしょ? 受賞式のこと?」

 ツムギが手元に俺の受賞作『ユウジン』を指を鳴らして出現させた。表紙を指でなぞっている。

「ああ、憑依体を使うか、ビデオ通話で済ませてしまうかで迷ってる」

 『ユウジン』を見つめたままツムギはうなった。ハの字に寄せられた眉が時折、ぴくっと動く。この表情もいいなと思う。デジタルヒューマンは見たものを完全に記憶できるが、これは誇っていい能力の一つだろう。またいいものを記憶してしまった。

「……安全面には十分に配慮してもらう予定なんだろう、それなら憑依体で交流をしたほうが……って、なにをニヤニヤしているんだ?」

「俺のために一生懸命考えてるツムギ、オモロい」

「ひとの顔を見て、オモロいとはなんだい。もう真面目に考えてあげないよ」

 ツムギが呆れたように笑う。こっちもなんだか笑えてくる。

「タスクは憑依体で参加することに恐怖はないのかい?」

「さすがにまた刺されるってことはないだろうから、そんなに怖くないね」

 だいたい刺されること自体、脅威ではない。痛覚はある程度強くなると遮断されるし、怪我だってしない。ただ憑依体はめちゃくちゃ金をかけて作られているので、傷つけられると修理費などがえげつない額になるが、それでも払うのは俺じゃないからダメージは別にない。

「憑依体の修理費、やっぱり俺も出そうか?」

 憑依体を俺に提供しているのは、研究の片手間にツムギが経営する会社だ。ツムギとしては高価な憑依体を壊されたくはないだろう。

「お金のことは気にしてないよ。刺してきた相手からも民事で損害賠償はしてもらう予定だしね」

「あんな馬鹿なことをするやつが金持ってんのか?」

 俺を刺してきたのがどんなやつなのか、全然知らない。報道された情報によると自称小説家らしいのだが、聞いたこともない名前だったしペンネームも出てこない時点で執筆なしの妄想作家だったのではないかと噂されている。

「お金は持ってないだろうけど、やったことの報いは受けてもらわないと気が済まないだろ。刑事裁判じゃあ、器物損壊罪が適応されるだろうから、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金で、前科はつくだろうけど刑罰は大したことないし……」

「憑依体はモノだからな」

「あのときはタスクの意識が中にあったんだから、殺人未遂じゃないかと僕なんかは思うけどね」

 ツムギが『ユウジン』で顔を隠しながら深いため息をついた。

「これをきっかけにデジタルヒューマンの扱いについて話し合いが進めば、それでいいんだよ。むしろ刺されて話題になってよかったとすら俺は思ってる」

「それ、僕の前では言わないで。キレそうになる」

「えっ、ああ、うん……ゴメンナサイ……」

 ツムギの顔が怖い。俺はツムギの色々な表情が好きだけど、これはあんまり好きじゃない。登壇でも緊張しないのに、逃げ出したくてたまらなくなる。

 沈黙の中、突如ツムギがソファから立ち上がる。そして、くるっと俺のほうを振り向いた。

「僕も受賞式に憑依体でついていこうかな。うん、それがいい気がする」

 ツムギが虚空を見つめ出す。思いついたら即行動のツムギは、すでに受賞式に参加するために手を打ち始めたらしい。

「えっ、ツムギも来るのか? てか、憑依体を二体も用意できんの?」

 一体だけでも動かせるようにするのは大変だと聞いているのに、二体分となるとかなり骨が折れるのではないか。しかし、俺の予想をツムギはまたたくまに覆す。

「今、処理をした。問題ないよ」

 そういえば、ツムギは世界を動かず超人ベスト百に選ばれたこともある大天才だったなと思い返す。


中編へ続く

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