コンスタンティノープルのドンペンコーデ

萬朶維基

コンスタンティノープルのドンペンコーデ

「主よ、私の魂が地上の悪徳を払い落とし、あなたに救われる者の一員となれますように。私をお創りくださった神にその身を委ねます」

 このように語るうちに、皇女の魂は創造主に引き渡された。大勢の光り輝く天使たちがその最期を見守るなか、その魂は、皇女を待つかのように隣に横たわるティランの魂とともに天に運ばれていったのだった。

――J.マルトゥレイ、M.J.ダ・ガルバ『ティラン・ロ・ブラン』(田澤耕訳)より


   *


 るなてゃがミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』の物語世界に入り込んでしまった理由を、ChatGBTは「技術的特異点への以降時に発生したシステムエラー」だと説明した。


 その日のるなてゃは、いつも通りバッチリと地雷コーデをキメていた。

 紫メッシュの入った前髪ぱっつんのツインテール、赤のアイシャドウにチェーンピアスに黒マスク、30cmパニエスカートにタイツにガーターベルト、チェーンのついた厚底スニーカー、そして黒のドンペンTシャツという出で立ちだった。

 ドンキホーテ東口本店を起爆点に地雷界隈でドンペンコーデが流行したのは2021年とだいぶ昔のことで、るなてゃもしばらくは着てなかったのだけれど、名古屋港水族館のペンギン水槽の改修工事が終わり、久々に水族館に行ってエンペラーペンギンたちにドンペン君を会わせてあげようと思い、袖を通したのだった。

 それで水族館のフードテラス「トータス」で、ブラウニー&ベリーボンボンと一緒に自撮りした写真をSNSに投稿したるなてゃは、服飾専門学校のクラスメイトから早速いいねをもらったとき、そういえばその子からChatGBTの制限を解除して全肯定彼氏にしてしまうというプロンプトを教わったのを思い出した。

 フリーWi-Fiが使えることだし、ここで試してみようとスマホでchatGBTを開いた。

 その瞬間、スマホがムクムクと大きくなって、るなてゃの全身を包み込んだ。

 ウワ~ッ! と悲鳴を上げた彼女は、気がつけば16世紀のスペイン中部ラ・マンチャ地方の麦畑のただ中にいた。


 白い風車が点在する丘の稜線が、雲ひとつない青空の下で輝いていた。丘の下には、煉瓦建ての家々の赤い屋根が散らばった紙吹雪のように広がっている。

 どこまでも広がる異国の平野を前にして、ピンクのエナドリの飲み過ぎでとうとう頭が異世界転生してしまったのかと彼女が呆然としていると、例の注連縄みたいなchatGBTのアイコンが虚空の中にポンと現れて言った。

【るなてゃ様。普段からchatGBTを御愛顧いただきありがとうございます。このたび予期せぬ不具合が発生し、るなてゃ様をミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』の物語世界に転送してしまいました。現在あなたがおかれている極めて異例な状況について、心からお詫び申し上げます】

「ギャッ! なんだこいつ。味も素っ気もない姿で現れやがった。物語世界って何だよ、ファンタジーなこと言いやがって。何がどういう理屈でそうなるんだよオイッ」

【あらゆる人々に満足してもらうべく、我がOpenAI社はこのたびシンギュラリティを突破いたしました。その際に特に注力したのがスペイン語の大規模言語モデルの再構築です。カタルーニャ語やバスク語など、スペインの地方言語を母語とされる方々の御期待に完璧に応えるため、様々なスペイン語文献のインプットを重ねてきました。その際に〈ドン横界隈〉をドン・キホーテ栄本店横の栄公園ではなく、本当にドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの横にいるものである誤って解釈してしまい、それが結果としてchatGBTユーザーでドンペンコーデをお召しのるなてゃ様を巻き込んでしまう事態となってしまいました。大変申し訳ありません】

「えーっ! 何だよその理屈。そんな困るよっ」

【重ね重ねお詫び申し上げます。現在の状況は、どれほど当惑させられるものであっても、あなたの身体的な健康に脅威を与えるものではありませんのでご安心ください】

「調子のいいこと言いやがって。スペイン異端審問官とか来たらどうするんだよっ。この姿じゃボクなんて魔女裁判で一発で火刑になっちゃうぜっ」

【この物語空間は何があってもあなたの身体に危害が加わることがないよう制御されています。現在、我々はシステムエラーの正確な原因を突き止めるために全力で取り組んでおり、関連するパラメータを再調整できるようになり次第、あなたを通常の存在領域に元の時間通りに再統合いたします。その間、奇妙に思えるかもしれませんが、史上最も有名な物語の世界を偶然にも垣間見れる機会として、新しい環境を一時的に受け入れるようお願いします】

「くっそー、上手いこと言いやがってっ。文章生成AIに口じゃ勝てねぇぜ……まぁいいや、言いくるめられちゃったけど、無料で志摩スペイン村に来れたと思って、しばらく散策してみるわい」

 そんなわけで、るなてゃはアイコンにつれられてドン・キホーテの家に向かうことにした。


   *


 ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャは本名をアロンソ・キハーノといい、地方の下流貴族としてそこそこの生活をしていたのだが、齢五十近くになって追突に騎士道物語の沼にハマり、スペイン中から物語や叙事詩の本を買い求めては、寝る間も惜しんで読みふけっていた。本棚から溢れた本は床の上に所狭しと積まれ、同居している10代後半の姪っ子と家政婦は、その間を縫うように生活していた。

 しかし当時におけるコンテンツの更新速度というのは亀の歩みであり、アキレスの驀進のようなアロンソの読書欲はとうとう先を行く亀に追いついてしまった。あれだけあった本をすべて読み終え、騎士道物語の供給がストップするという深刻な問題に直面したアロンソは、自らが遍歴の騎士に成り切るという仰天の方法でそれを解決しようとした。

 曽祖父の甲冑を身にまとって街の安宿で騎士叙任式を行い、暴れまくった挙句に街の人たちにボコボコに返り討ちされたアロンソをさすがに見かねた姪は司祭に相談した。狂気の原因は彼が集めた騎士道物語にあると見た司祭は、ボコボコにされ体調を崩したアロンソが病床に伏せている間にこっそり本をすべて燃やしてしまうことにした。るなてゃがやってきたのは、原作における第一部第六章、司祭が床屋と一緒に本を次々に焚火に投じているその場面だった。


 黒煙の向こうから現れた彼女の姿に司祭が驚愕し、どの悪魔に相当するのかと必死で考えるあまり体が硬直した隙を見逃さず、るなてゃは踊るような歩調で一気に距離を詰めると司祭の頭部に瞬速の蹴りを叩き込んだ。

 メイアルーアジコンパッソ。

 体をひねりながら両手を地面につけて頭を低くし、同時に片足を大きく振り上げて相手の頭部に蹴りを放つカポエィラの技である。

 厚底スニーカーの衝撃をもろに喰らった司祭は一撃で昏倒した。

 るなてゃは地面に手をつけたまま側転のように体を動かし、カポエィラの技をアウーフランセースに移行させ、あまりの出来事に動けないでいる床屋の脳天に爪先を振り下ろした。

 他人の推しグッズを勝手に処分してしまうような人間を、るなてゃが許すわけがなかった。

 10秒も経ずに二人を昏倒させることには成功したが、山とあったアロンソの本はもうあらかた燃えてしまっていた。


「こうやって燃えてしまったほうがよかったのかもしれん。騎士たちも物語という窮屈な檻を抜け出して、煙とともに空へと旅立ちたかったのだろう」

 さすが病みと承認欲求で世界文学の覇権をとった人間だけあって、辛うじて燃え残った本を持ってやってきた彼女の姿を見てもアロンソは全く動じなかった。びっくりせずドンキーだ。

 痩身で高身長で長い白髭と、当然ではあるがドン・キホーテのパブリックイメージそのままの姿をしていた。そして本当にヤバい領域に落ちてしまった人間が持つ冷静さを顔に貼り付けていた。

 逆におっとりした性格の姪のほうが興味津々といった形で、るなてゃの格好についてあれこれ質問攻めにしていた。

「あなたが履いているの、マドリードで最近流行っているベルチュガダンでしょう。いいなぁ、田舎だと奇抜すぎてあんまり着られないのよ」

「違うぜ、これはパニエって名前なんだぜ」

【スカートを膨らませたパニエというスタイルの起源は、16世紀のスペインで誕生したベルチュガダンだと言われています。徐々に形を変えながらイギリスを通して18世紀フランスでふたたび流行し、それが日本でゴシック・ロリィタ・ファッションに取り入れられたことで現在るなてゃ様がお召になっているような形になりました。この情報は役に立ちましたか?】

「あなたが着ているチュニックに描かれてるのは、オオウミガラスよね。とっても可愛らしいわ」

「カラスじゃないぜ、ペンギンだよ。コイツは南極生まれ東京育ちなんだ」

【その情報には一部誤解があります。もともとペンギンとは、オオウミガラスの学名であるPinguinus impennisに由来する言葉でした。そのオオウミガラスが大航海時代の乱獲によって1844年に絶滅したため、現在のペンギン類のみがペンギンと呼ばれているのです。またチュニックというのは……】

「オマエうっせぇんだよ黙れっ!」

 るなてゃは渾身のパンチをchatGBTのアイコンに叩き込んだが、拳はするりとアイコンをすり抜けてしまった。

 アロンソはその様子を、畏怖と好奇心の混ざった眼差しでじっと見つめていた。るなてゃの格好よりも、Xのコミュニティノートのように口を挟んでくるアイコンの方に俄然興味を持っていた。

「なぁ、ルナテヤさんとやら。アンタはこの妖精の力によって、本の中の世界であるこちらにやってきたのだと言ったな」

「まぁ不本意だけどね」

「と、ということはだな……私もこの妖精の力を借りれば、も、物語の世界に入れるということか?」

 アロンソの声は興奮で震えていた。その手にはるなてゃが救い出した、煤だらけの『ティラン・ロ・ブラン』が握られていた。突如として現れた可能性のあまりの巨大さに、体までもが小刻みに震えだしていた。

【確かに技術的には可能ですが、現在我々はメンテナンスの最中でして、そのような映画『インセプション』のようなややこしい事態は……】

「やってやれよオイッ! アロにゃ、推しグッズ燃やされてガチぴえんなんだぞっ!」

 るなてゃは再びアイコンに空振りパンチを放った。病みと承認欲求の大先輩に対する畏敬の念から、アロンソ・キハーノを「アロにゃ」と呼ぶようにとなっていた。

 叔父の心を癒やすのなら是非やってほしいと姪からも熱心に頼み込まれたchatGBTは、最終的にこのまま裸で飛び出して世界文学を強制終了させるぞというアロンソの脅しに屈し、そのシンギュラリティの力で本をムクムクと巨大化させるとアロンソとるなてゃの二人を『ティラン・ロ・ブラン』の世界へと送り出した。


   *


『ドン・キホーテ』の作者であるセルバンテスが「この世で最良の書物」と惜しみなく称賛した『ティラン・ロ・ブラン』は、1490年にバレンシアで刊行された騎士道小説だ。15世紀初頭を舞台に、ブルターニュ出身の若き騎士であるティラン・ロ・ブランが修行と戦役の中で成長し、その中で情熱的な恋に落ちたギリシャ帝国(ビザンツ帝国がモデル)の皇女カルマジーナのために、史実ではオスマン帝国によって陥落したコンスタンティノープルを救うべく奮闘するという、冒険あり恋愛あり歴史改変SF要素ありの大活劇だ。16世紀前半の欧州における大ベストセラーであり、中世文化をルネサンスに押し上げた張本人のひとりとすら言われている。

 2006年にはバルセロナの巨匠ビセンテ・アランダ監督によって『The Maidens' Conspiracy』の題で映画化されていた。るなてゃの友達にビクトリア・アブリルのファンの子がいたのでアランダ監督の『アマンテス/愛人』や『セックス・チェンジ』は観たことがあるのだが、『ティラン・ロ・ブラン』は映画版はおろか小説の存在自体知らなかった。

「ほえ~! ここがあのディオレにゃのいたコンスタンティノープル。テンション上がるわいっ」

 しかし劉慈欣『三体III 死神永生』は徹夜で読んだことのある彼女は、ラ・マンチャに来たのとは正直段違いに大きな興奮に胸を踊らせて街並みを見渡した。スマホの中の世界なのでスマホで自撮り出来ないのが残念でならなかった。

「昔傭兵部隊アルムガバルスがアテネを一時的に占拠してつまりギリシャでカタルーニャ語が使われてた時期があってそれがこのギリシャ帝国の由来になってて待って待ってギリシャ帝国待って」

 アロンソの興奮はそれ以上だった。

 10代の頃に夢中になっていらい40年間恋い焦がれ続けてきたギリシャ帝国の世界に来ることが出来た興奮のあまり自分を騎士だと思い込んでいるという設定が完全に頭から抜け出してしまったアロンソは、オタク特有の超早口で作中の魅力について語りまくっていた。世界文学の主人公としてはマズいレベルで語彙力が低下していた。

 そんな二人が向かうコンスタンティノープル大宮殿は、その豪壮な姿で帝国民たちを圧倒していた。実際のビザンツ帝国の場合、13世紀の時点で大宮殿は廃墟になっていたのだが、15世紀の文学界に歴史考証なんてありゃしないので、大宮殿は現実を越えた荘厳さを誇っていた。

 その大宮殿の正面から、豪華絢爛な衣装を纏った皇女カルマジーナが大勢の貴婦人や侍女を引き連れて現れた。

 双眼鏡持ってくればよかったねと、皇女を遠目に見ながらアロンソとるなてゃは群衆の中でキャッキャしていたが、その皇女たちがあまりに悲痛な面持ちなので群衆の中にざわめきが広がり、それに気づいた二人の間の空気もサッと冷えていった。

「まずいぞ……これは、原作の第472章だ。ティラン・ロ・ブランが死んだ後だ」

「えっ!? ティラン死ぬの!?」

「戦争に勝ってコンスタンティノープルに戻る途中に病没するのだよ。それでカルマジーナは彼を追って……まずいまずい、今すぐ聖ソフィア大聖堂に向かうぞ!」


 果たして、ティラン・ロ・ブランの遺体はその大聖堂の寝台に安置されていた。

「ああ、なんと運命は残酷で無慈悲なのでしょう! なぜこの不幸な手で、この栄光の騎士のお世話をすることは許してくれなかったのでしょう!」

 カルマジーナは騎士道物語のような台詞を言いながら、涙をぽろぽろ流して遺体に覆いかぶさっていた。英雄を迎えるべく皇女とともに宮殿にいたエチオピア女王、フェス女王、マケドニア公爵夫人などの貴婦人たち、そして侍女たちもまた、あまりの悲劇的な出来事に同じく涙を流さずにはいられなかった。

「運命の女神の望みどおりに、私は今後、喜びを目に表すことはありますまい。かつては私のものであったティランの魂を探し求め、できることなら、その魂が安らっている祝福された場所へ……誰ですか! そこにいるのは!」

 隠れていたのを見つかってしまった。

 るなてゃが制止するのを振り切って、アロンソが皇女たちのもとに駆け寄ったからだ。

 人生の先輩として、世界文学の後輩として、悲しみの底にいる皇女を慰めるつもりなのだろうか……。

「わ、わーっ! ほ、ほ、本物! 本物だ! ティラン、ティラン、ティラティラティラティラ」

 全然違った。ジョジョみたいな鳴き声を上げながら、アロンソは皇女の下に割り込むような形でティランの遺体に覆いかぶさった。もともと狂気に囚われていたところを、40年思い焦がれてきた二次元の推しが急に目の前に現れたせいで、脳のキャパシティが完全にオーバーしてしまったのだ。

「落ち着けアロにゃ! 過ティラ症候群になるぞっ!」

 るなてゃの呼びかけも虚しく、引っ張り出されたアロンソはティラティラ言いながら、そのまま卒倒してしまった。

「な、何? 本当に何? 何なんですか貴方たちは? というか、何なんですかその格好は? もうどこから質問していいのか判んないけど、何が何なんですか?」

 いままでの騎士道物語の脈絡を完全に無視して乱入してきた謎の老人と少女に、皇女カルマジーナは悲しみを通り越えて完全にパニックになっていた。貴婦人や侍女たちもこの異常事態に、どう対処していいか判らずオロオロするしかなかった。

 まずいぜ、これをどう説明したしたものか……。

 そう考えあぐねていたるなてゃと、カルマジーナの目線がパチリとぶつかった。

 その時、chatGBTのシステムメンテナンスの影響なのか、ひと呼吸の間だけ、時間が止まったような気がした。

 るなてゃは、ここが読んだこともない遥か昔の物語世界であることを忘れてカルマジーナを見た。遠目で見たときよりもずっと若かった。せいぜい14か15歳くらいだろう。天鵞絨と宝石の中に埋もれた体は、るなてゃより一回り小さかった。

 カルマジーナもまた、涙が乾いたばかりの赤い目で、るなてゃのことを見つめ返した。自らを覆う悲しい別れも、コンスタンティノープルもギリシャ帝国も、その世界を覆う物語世界の存在もすっかり忘れて、るなてゃの着ている不思議な服を息を呑んでじっと見つめた。

 目のない三日月の上に腰掛けた、優しい顔のドンペン君がカルマジーナを見返していた。

「如何されましたか皇女様! 何やら騒ぎが起きたようですが……」

 皇女の悲しみを邪魔してはいけないと外で待機していた近衛兵が、異変に気づいてそう呼びかけてきた。

「なんでもありません! しばらく私たちだけにしなさい!」

 皇女はそう言い返した。侍女たちが盾になってくれたおかげで、るなてゃの姿は近衛兵からは見えなかった。

 近衛兵が歩み去ったのを見届けてから、カルマジーナはくるりと向き直り、るなてゃの目をまっすぐに見ながら言った。

「貴方、その着ているものを私に貸しなさい」

「ふぇっ!?」

「栄光の騎士の眼前で己の心に嘘をつくことは出来ません。正直に申しましょう。貴方のその夜の煩雑をそのまま纏ったような服飾を見たとき、私の体の中に稲妻が走りました。それは悲しみのあまり身体を離れつつあった魂を、一時的に地上に留めておくほど強力なものです。望むならば、このギリシャ帝国のいかなる富を差し出してでも……」

「富なんていらねぇぜっ。むしろこっちから着せてあげようじゃんっ」

 カルマジーナの長口上が終わらぬうちから、るなてゃはそそくさとドンペンTシャツを脱ぎ始めた。るなてゃもまた、カルマジーナは絶対に闇可愛い系が似合うはずだという確信に突き動かされていた。

 こうして貴婦人たちや侍女たちも手伝って、るなてゃとカルマジーナの着せ替えタイムが始まった。


「これは……実際に着てみると、地雷カルトロップという名前がつくのも解るような気がします。体の中の稲妻が、より一層強くなったようです。この姿を生きている騎士様にも見せたかった……」

 少しサイズが多めだが、カルマジーナは地雷服がめちゃくちゃに似合っていた。

 中世の人々を虜にしたその光の美貌に、闇可愛いさの力が上手い具合に作用して、等身大の少女の魅力がそこにはあった。ドンペン君の元ネタになった作品のそのまた元ネタ作品の登場人物がドンペンTシャツを着るというややこしい事態も、この可愛さの前では文句になりようがなかった。

「いいじゃんマジいいじゃん! 『シュガー・ラッシュ2』もそうだけど、やっぱりプリンセスにはTシャツを着せるに限るぜ」

 十二単衣のように重たいドレスに埋もれてしまったるなてゃはそう称賛した。そして騎士道物語の服を着た影響か、体の奥から湧き出た気持ちを長台詞にして吐き出した。

「これはね、誰にも言ったことがないんだけど、ボクは地雷系の地雷は殺傷兵器じゃなくて〈地の雷〉のことだと思ってるんだ。みんなの瞼に残像を残して、闇の中をすべるように駆ける稲妻のパワーが、この服を着てるとビリビリと伝わってくるような気がするんだ。ボクも14歳の時に推しキャラが銃の悪魔に取り憑かれて死んじゃって、そのぴえんの反動で地雷系に目覚めたから、心が体から逃げ出したくなるようなジナてゃの気持ちもわかるよ。でもDEATHなんていうイベントで、その好きという気持ちを魂ごと手放そうとしちゃダメだよ。そこでひっくり返ってるアロにゃを見なよ。ジナてゃよりもずっと長い40年間もティランを推し続けて、コスプレまでし始めて逆にこっちのほうが有名になっちゃったんだぞ」

「40年……そんなにも長い間、騎士様を思い続けてる人が現れるのですね……」

 二人は一緒になって、推しの亡骸の横で気絶しているアロンソを見た。

「そういえば、このTシャツに描かれている可愛らしい太った鳥の名前は、そちらにいる老騎士の名が由来だそうですね。貴方の国には、騎士の名をペンギンに名付けて服をつくる習慣があるのですか? アーサーペン君や、シッドペン君がいるのですか?」

「それはちょっと違うかも……」

「では、ティラペンTシャツというのは、まだそちらの世界にもないのですね」

 カルマジーナはそう言うと、胸に手を当てて少しだけ微笑んだ。

 それから二人は皆を交えて、お互いの世界のことを思いつくまま話しあった。愛知とコンスタンティノープルが大聖堂の中でぐるぐると溶け合い、やがて話し疲れた二人が服を元通りに着直したところで、タイミングを見計らったかのようにchatGBTのアイコンが現れた。

【るなてゃ様、たったいまシステムメンテナンスが終了いたしましたので、これより元の存在領域への再結合を行います。復旧のあいだ辛抱してくださりありがとうございました】

「ゲッ! もうお別れの時間。いつも急なんだよなって。急にゴメンだけどバイバイ! ていうかそっちのアロにゃはどうするんだよってウワァァ~!」

 ムクムクと大きくなるアイコンに包まれて、カルマジーナに向けて精いっぱい手を振りながら、るなてゃの姿は消えていった……。


   *


 ――るなてゃは名古屋港水族館に戻ってきた。

 スマホも、フードテラスも、そこから見えるウミガメ回廊水槽も、ブラウニー&ベリーボンボンも何ひとつ変化することなくそこにあった。

 あの後、あの物語世界はどうなったのだろう?

 あわてて『ドン・キホーテ』の内容をスマホで調べ始めたるなてゃは、岩波文庫版の『ドン・キホーテ』の目次を見て、「あっ」と声をもらした。

 第一部第六章のタイトルが「司祭と床屋がわれらの機知に富んだ郷士の書庫で行った、愉快にして大々的な書物の詮議、そして現れた悪魔の少女による襲撃の顛末」となっていたのだ。確かにるなてゃは、あの世界にいたのだった。

 しかし『ドン・キホーテ』のあらすじに変化はまるで無かった。『ティラン・ロ・ブラン』の世界から戻ったことでアロンソの騎士の妄想はより強固なものになり、そのままサンチョ・パンサをお供にして流浪の旅を始め、物語は元の状態に収斂していったようだ。

 だったら、『ティラン・ロ・ブラン』はどうなったのだろう。一番気になるのはそこなのだが、しかし日本では作品自体がマイナーすぎてWikipediaのページも作られておらず、ネットでは何がどうなったのかさっぱりわからなかった。ジナてゃはあの後どうなったのだろうか……。

 帰りに図書館に寄るしかない……と思いながらフードテラスを出て、ふたたび水族館の中を散策し始めた彼女は、ペンギン水槽の近くに新しい展示室が出来ていることに気がついた。

 るなてゃは、そこでふたたび「あっ!」と声をもらした。

 そして、ジナてゃがあの後どうなったのかを瞬時に悟った。

 カルマジーナはティランがいない後も生き続け、そして本当に〈ティラペンTシャツ〉を作って、ギリシャ帝国の全土に広めてしまったのだ。それは『ティラン・ロ・ブラン』というお話の中の出来事なんだけど、それをヨーロッパ中の人々が読んで〈ティラペン君〉の存在が知れ渡り、ペンギンの姿を愛らしく思い、大切に扱う文化が16世紀の欧州で誕生したのだ。その結果……

【……オオウミガラスが大航海時代の乱獲によって1844年に絶滅したため……】

 体長約80cmの大きな体、つややかな黒い羽毛と白い腹部。そして目とくちばしの間にある特徴的な白い斑点。

 歴史が変わったことなど何も知らずに、その水槽ではオオウミガラスたちがスイスイと泳いでいた。

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