第9話 決着と契約
「う……ぁ、一体、何が……?」
カルミアは状況がまったくつかめず、混乱の中にいた。分かるのは頭に走る鈍痛と、自身が地面に倒れているということのみ。
リースペトラに直撃すれば勝ち、直撃しなくとも水の魔法とぶつかることで生まれる水蒸気を隠れ蓑にし、追撃をするつもりだった。
しかし、その当てが外れたばかりか、なぜ自分が倒れているのかわからない状況。
カルミアはそんな中でも立ち上がろうと身体に力を入れるも、頭に響く鈍痛が枷となってそれもままならない。
「魔力をよく視ろ、と言ったはずだぞ」
焦るカルミアの目の前にやってきたリースペトラが言う。しかし、カルミアはそれに言葉を返すことができず痛みに呻いた。
「……これはダメだな。ジェス!」
カルミアの返答をあきらめたリースペトラは決闘の進行を行っているジェスに声をかける。
「はいは~い、確認しますね!」
ジェスは駆け足で二人の元にやってくると、カルミアの前に膝をついた。
「魔力の損耗を確認。次は瞳孔……」
ジェスは手慣れた手つきでカルミアを診ていく。魔物の研究家というのは人間にも詳しいモノなのか、とリースペトラは思った。
さほど時間はかからずジェスが立ち上がる。
すると先ほどまでざわざわとしていた観衆が静まり返り、視線がジェスに集中した。
「
「すげぇ! 今何が起こった!?」
「レクトシルヴァのカルミアが負けた……?」
ジェスが声を張り上げて宣言すると、ざわざわとした喧騒が爆発するように膨れ上がった。
興奮、驚き、興味、種類を選ばず様々な意思を持った視線がリースペトラとカルミアに降り注ぐ。
その様子に気が付いたリースペトラは手慣れた様子で胸に手を当てると、頭を下げて観衆に応えた。
「カルミア!」
「大丈夫ですか!?」
急遽勃発した余興に気分を乗せられた観衆が盛り上がる中、レクトシルヴァの面々が二人の元へ駆け寄ってくる。
斧使いと弓使いは意識を失ったカルミアの身体を支え、声を投げかけた。
「リースペトラ殿」
カルミアたちの様子を見ているリースペトラに立ち会い人のシルヴィアが声をかける。
リースペトラはシルヴィアの声に振り向くと、一言。
「いい勝負だった。
「承知した。――感謝する」
シルヴィアはそう言って軽く頭を下げると、カルミアの元に向かった。
「我の活躍、見てくれたか?」
広場の人だかりを背伸びしながらキョロキョロと見回したリースペトラは、目的の人物を見つけると表情を明るくさせて駆け寄る。
リースペトラの言葉を受けた青年は表情を難しくさせて唸った。
「……あぁ。だが、何が起こったのかは正確には分からん」
青年の言葉にきょとんとした表情を見せたリースペトラだったが、少し遅れてその意味を理解すると、ニヤァっとした趣味の悪い笑みを浮かべて青年を見た。
続けて青年の横腹をからかうように肘でつつく。
「ほぅほぅ、お主ほどの実力があっても我の魔法を見切ることができなかったのか?」
青年は素晴らしい体幹で肘による攻撃をものともしない。しかし、表情には悔しさが若干にじみ出ており、リースペトラに図星をつかれた為かだる絡みを甘んじて受け入れた。
青年はぶっきらぼうな口調と険しい表情の陰に、向上心と負けず嫌いの性格、さらに少しの誠実さを隠していたのだ。
「お主にだけは種明かしをしてやってもいいぞ? だが、条件がある」
そんな青年の中身を知ってかしらでか、リースペトラが取引を持ち掛ける。
「……ほんとか?」
青年は少しの逡巡の末、ニヤリと笑うリースペトラに問うた。その
「本当だ。魔女は契約を大事にするぞ」
即答したリースペトラをチラリとみる青年。怪しい笑みのまま首を傾けるリースペトラ。二人の視線が交錯し、沈黙が降りてくる。
「条件は?」
沈黙を破ったのは青年の方。その言葉を待ってましたと言わんばかりにリースペトラが口を開く。
「リース、と呼んでほしい」
「は?」
リースペトラの言葉に驚く青年。その様子を見たリースペトラはへらぁっと珍しい笑みを浮かべた。
「お主、我のことをおい、とかあんた、としか言わないだろう。いい加減名前で呼んでもらおうかと思ってな。――ケラスよ」
リースペトラは少し間を開けてから青年の名前を口にすると、今度はプンスカと頬を膨らませてケラスに迫る。
「第一、我はお主の名前を教えてもらってなかったんだからな! 我も聞くのを忘れていたが……それはどうでもいい!」
ぐいっと顔を近づけてケラスに言い募るリースペトラ。二人の額がくっついてしまいそうになるほどの距離感で、青年はリースペトラの蒼い右目に射抜かれることになる。
息をのんだケラスが言葉を紡げないでいると、リースペトラは不満げに眉尻を下げた。
「せっかくこれから親しい仲になっていこうというのに……我はケラスに捨てられてしまうのか?」
突如、我はケラスに捨てられてしまうのか、という言葉だけがやけに周囲に響き渡った。
決闘で注目を集めていたリースペトラの言葉に周囲の観衆はころッと流され、特に女性からケラスに冷たい視線が向けられる。
ケラスはその視線に敏感に気が付くと、冷や汗を垂らした。
と同時に、ケラスはリースペトラの声のか細さと音量が釣り合わないことに違和感を覚え、さらにギルド内でのことを思い出す。
「……お前! まさかあの時も拡声魔法を!?」
「さて、どうだろうな?」
先ほどまでのか細い声はどこへやら、ケラスは自身に向けられた笑みが悪魔の物だと錯覚する。
しかし、その間にも広がった声の意味をめぐってケラスに様々な視線が向けられていた。
冒険者は娯楽と荒事、さらに人の情事が大好きであることをケラスは思い出す。
「……うぅ」
リースペトラは浮かべた笑みをゆっくりと、ケラスに見せつけるように変化させて泣き顔を作っていき……
「分かった! 分かったから。――リース、これ以上はやめろッ」
ケラスはしてやられたという表情を隠さず、不本意感を全力で醸していたが、リースペトラの名前を口にする。
「ケラスがそう言うなら、やめるのもやぶさかじゃないな」
ケラスは悪魔の微笑みの中に少しだけ、ほんの少しだけ天使を見たような気がした。
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