第2話 藤原 八百


藤原 八百(ふじわら やお)は、とある出版社の新人社員である。

入社初日から藤原は上司である猿賀について仕事をしているが、この猿賀という男がなかなか曲者だった。

見目は悪くなく、40半ばの実年齢よりかなり若く見えるほど身なりはきちんとしており、若い女にモテる。

彼はその容姿を活かして話題性のある女性芸能人やインフルエンサーの取材を担当している。

猿賀は取材が上手い。単純に記者としての能力が他よりもずば抜けているのは確かだが色恋とでも言うのだろうか、取材相手を心身共に骨抜きにして情報を搾取する。如何にもという手段で常にトップの成績を維持している。

藤原は猿賀に習い、猿賀チルドレンとして社内では地位を獲得していた。だからといって何か高尚な成績を上げている訳では無い。ただの新入社員だ。

仕事が出来る人間に“選ばれた者”として今後の業績に期待されているのだけのブリキ人形でかない。まるで見世物だ。

心が鉛のように重くなるのを毎朝感じていた。

なんでもない大学を適当に卒業し、やりたいことも無く偶然合格した出版社に入社しただけの女に、そこまでの価値はあるのだろうか。

猿賀の隣の席で先程取材してきた人気キャバ嬢の記事をまとめていると、ひと段落付いたのか暇そうに珈琲を飲む猿賀に肩を叩かれた。


「いいこと教えてやるよ」


「いいことですか。」


「次からのデカい仕事、豚箱に入ってる犯罪者への取材だ」


「犯罪者…?」


そんなことよりも豚箱なんてドラマの中でしか聞いたことがない。実際に使うことがあるなんて、と藤原は萎縮した。

猿賀は更に続ける。


「今年入社したばかりのお前には怖い話かもしれないが、これも記者の仕事だと割り切れ、割り切れないようであればジャンルが向いていない。YouTuberのくだらないスキャンダルだけを追いかける部署に異動願をさっさと出すことだな。」


一瞬たりとも否定や拒否をした覚えはないが、それを指摘するのも面倒だった。確かに夜職は闇の部分が多く、我々が取り扱う記事はキャバ嬢から聞き出した裏事情をまとめあげたものだ。

定時まであと15分、今日中にこの記事を仕上げろと命令してきたのは猿賀なのだから、邪魔をするな。とは言わないにしても、上司として気を使って欲しいとは思ってしまう。

しかしそこで思い出した、猿賀は部下の育成が得意では無い事を。今まで一匹狼として自社の売上に貢献してきたが部下は立て続けに辞めているらしく、入社直後の飲み会の席で部長が嘆いていた。

部長は猿賀には自由に仕事をして貰えればいいと思っているようだが、役職柄そんな事も言っていられず、そのまた上から指摘されてしまったらしい。そこで育てやすそうだという単純な理由で藤原に白羽の矢が立った。自分は拒否したが半ば強制的に組まされたのだと、猿賀は初日から面倒くさそうにガムの包装を解きつつ呟いた。


「まあ、少なくとも俺が育てた奴は最長で3ヶ月だ。それ以上この部屋に出勤して、この椅子に座りながら冷静に俺と話が出来るようであれば、お前はこの道に進むしかない。才能があるんだからな。」


先程運ばれてきた珈琲の味が気に入らないのか、少し苛立ったような口調で猿賀は更に続ける。


「新卒はよく言うよ「やりたい事があるなら入社しました」なんて夢見事をな。

世の中“好きなことをして生きている人間”なんて指折りの天才しかいない。俺らみたいな凡才は天才からお零れを貰って惨めに毎度重くもない頭を下げてお願いするんだ。「明日までの締切をどうにか間に合わせてください」とな。

こんな仕事誰がしたいんだよ、でも誰かがしなきゃ経済は回っていかない。不思議なもんでな、世界は誰かの嫌いな事で成り立ってる。

1部を覗いて、な。」


何をそんなにイラついているのか、普段饒舌とは言えない猿賀が脱線した会話を永遠続けている。

しかし、その1部とは、一体何を指しているのだろう。


「お前はどっちになりたいんだ?」

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