2-5 二人の距離

「タリダス」


 気持ちが落ち着いてきて、ユウタは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったタリダスの服に気がつく。


「ごめん。服、汚しちゃった」

「気にしないでください」


 タリダスはユウタを抱きしめたまま、答える。

 咄嗟に抱きついてしまったが、今になってユウタは恥ずかしくなっていた。けれどもタリダスはがっちりユウタの背中に手を回し、身動きがとれない。


「あの、本当にごめん。もう大丈夫だから」

「あ、そうですね」


 タリダスはそう言ってユウタを解放する。羞恥心でいっぱいだったユウタは思わず距離をとってしまった。


「いや、でしたか?」

「う、ううん。ちょっと恥ずかしいだけ。子供みたいに泣きついちゃった」

「……私は、構いませんよ」

「タリダス。ごめん。だけどありがとう」

「お詫びもお礼もいりません。私はあなたの騎士ですから」

「僕の、アルローじゃなくて、僕の?」

「そうです。私は、ユータ様、あなたの騎士です。いつもあなたのそばにいます」


 タリダスの深い藍色の瞳がユウタを射抜く。


「ずっと私は迷っていました。あなたが誰なのか、どう接せすればいいのかと。でももう迷いません。私はあなたの騎士です。アルロー様の生まれ変わりに関係なく、私はあなたの騎士です」

「ありがとう」


 ユウタは、タリダスのことを諦め、感情に蓋をかけようとしていた。けれども彼はユウタに寄り添うことを誓ってくれた。アルローではなく、彼自身に。

 アルローは彼の前世であるが、彼自身ではない。

 なのでユウタは嬉しくなって、タリダスにまた抱きつく。

 そうすると自分の涙や鼻水で汚くなった彼の服と再び対面することになった。


「タリダス。こんなに汚してごめんなさい」

「ユータ様は顔を洗ったほうがいいですね。お湯をもってきます」

「ありがとう」


 タリダスが部屋から出ていき、ユウタは一人になる。魔物が活動しない日中に睡眠をとるように伝えているため、喧騒は聞こえてこない。遠くから微かな物音や聞き取れないほどの話し声が耳に届くくらいだ。


「僕は、恵まれている」


 日本にいた時は、頼れる人が誰もいなく、それ以上傷つかないように心に蓋をするのに必死だった。暴力も振るわれたくないから、抵抗すらしなかった。


 魔王になった少年のことをユウタを思う。

 容姿が両親たちと異なるため、迫害された少年。

 最後は殺されかけた。

 彼が何をしたのだろうか。


 魔王になっても当然だとユウタは彼の気持ちに同調できた。

 聖剣の担い手であり、魔王は倒す存在だ。

 魔王を消滅させない限り、魔物が消えない。

 人々を脅かし続ける。


「だけど、その子を僕は殺せるの?」


 彼は確かに村の人を殺した。魔物を生み出し、人の領域を侵攻しようとしている。


「僕は、彼を助けたい」


 彼から魔を取り出すことができれば助けられる。 

 けれども聖剣が見せてくれた過去の魔王討伐の記録で、そのことを試みたものは誰もいなかった。


 ☆


 ユウタの天幕を出て、タリダスは少しだけ冷静になった。

 そして勢いで彼を抱きしめ、その額に唇を落としたことを思い出す。

 抱きしめたのは初めてではない。しかし、キスをしたのは初めてだった。

 親愛の印。

 ユウタに対する愛情が溢れてきて、反射的にタリダスは額に口づけた。


 親愛だ。

 あの男とは違う。

 それとも忠義か。

 タリダスはアルローに対して忠義心を持っていた。しかし彼にキスをしたことなど一度もない。

 ならば親愛だ。

 親のように、兄のように彼を守りたいと思っている。

 ケイスがユウタに近づいていると知り、胸を焦がすような痛み、怒りが込み上げてきた。

 ……ケイスがユウタを害すると思ったから、それで怒りを覚えたのだ。

 タリダスは自身をそう言って納得させる。


 近くに川が流れているが、効率を考え、そこから水を汲んで水をため込んでいる場所が野営地にはある。おかしなものがいないか常に見張りがおり、水が足りなくなる前に水を継ぎ足す者も配置している。

 桶に水を掬っていれるタリダスをとがめるものはいない。

 彼が騎士団長であり、今や英雄視されているユウタの世話役であることも知れ渡っているからだ。

 軽く敬礼され、彼はそれに返す。

 ユウタの天幕に戻り、声をかけるとユウタの声がする。

 その声を聞くだけで、喜びがあふれる自身と折り合いをつけながら、天幕に入った。

 ユウタはベッドに腰かけた姿勢のままでいた。

 彼の顔を見ると、顔を綻ばせる。

 愛しいという気持ちが込み上げてきて、今すぐユウタを抱きしめたくなった。


「どうしたの?」

「なんでもありません。顔を拭きましょう」

「自分でやるから」

「そうですか」


 子供みたいに頬を膨らませて抗議するユウタはまた小動物のようで可愛らしかった。

 前から守りたいと思っていたが、今は彼の一挙一動を愛おしく感じてしまう。

 タリダスはそんな自身に戸惑いながらも、ユウタの傍で彼を顔を拭くのを眺めていた。


「水が垂れてますよ」

「あ、本当だ」

「やはり私がしたほうが」

「少しくらい垂れてもいいんだよ」


 些細なやり取りもタリダスにとってもは嬉しく思える。

 二週間ほど感じていたぎこちない関係は元通りに戻っていた。

 むしろ以前より、距離が近く感じられるようになっている。


「服も着替えましょうか」

「うん。あ、自分でやるから。ついでに体も拭こうかな」

「お湯を持ってきましょうか?」

「ううん。水でいい」

「そうですか」


 そう言った後、沈黙が訪れる。


「タリダス。体拭きたいから、出て行ってもらってもいい?」

「あ、そうですね。失礼します」


 ユウタに言われて、タリダスは慌てて答える。

 アルローの時などは着替えを手伝ったりしていた。

 ユウタの時は、彼が嫌がるので手伝いなどしたことはない。

 わかっていたはずなのに、タリダスは何となくこのまま手伝う気でいた。


「着替え終わったら声をかけるね」

「はい」


 タリダスが傍にいるのがさも当然とばかり、ユウタは言う。

 忙しい身であるのだが、彼は素直にその言葉に従った。

 ジニーが止めているのか、気を使われているのか、タリダスを呼びに来る者はいなかった。

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