第2話
画業五十周年、なのだそうだ。今年が。
私は一応画家という肩書でやってきてはいるのだが、それほど名が通っているわけでもない。ただ、私の絵を気に入ってくれた人が多少は居て、その伝手でなんとかやってきたようなものだった。
額装した絵を買ってくれる固定の顧客も少しはいたが、どちらかというと本や雑誌の表紙や挿絵で少し名が売れ細々と暮らしてきた。
元々初期は美人画を多く描いていたのだが、仕事の方は有難いことに千差万別だったので一つのジャンルに縛られることはなかった。
私はいつ頃から絵を描き始めたのか? あまりきちんとした記憶はない。
おそらく物心つく前からだろうと思う。
最近家の片づけをしていて、出てきた絵がある。
川辺……どこか山奥の清流、岩棚の上に一人の女が立っている。
妙齢の美女、と呼ぶには少々若すぎるか。といって、この絵を描いた当時の私よりは歳上だろう。
絵は安物の、当時の小学校で支給されるような水準の画用紙に描かれている。
技術の拙さや、絵具・紙質から推してみるに本当に私が小さい頃の作品だと思われた。
この絵を描いた時の記憶は全くない。しかし、これは私が意識して絵画に仕上げた最初の作品であろうという、確信に近いものがあった。
アトリエの倉庫を整理していてこの絵を見つけた時、私は雷撃に撃たれたような衝撃を受けた。
私は今でも自分の作品を描く時、なんとなくこの女を画面のどこかに入れてしまう。それは大きく目立つ時もあれば、隅の方に小さく目立たないこともある。
これは癖のようなもので、画題やモチーフとは関係のない場合が多い。
都市や田舎、寺社建築、港の風景などを描いているが何か物足りない。
構成か、色か、構図からやり直したほうが……等、首を捻っていてハッと気づく。そうだ。〝あの女〟がいなかった。
絵の趣を壊さぬよう、そういう時は後ろ姿や窓に映る影のようにその女を描く。
自分でも何故これを描くのかわからなかったのだ。挿絵や表紙絵以外、要するに頼まれ仕事以外で、私は歳を取ってからは人物がメインのモチーフになる絵を滅多に描かなかった。猫、犬、鳥、動物もあまり趣味ではない。
野山や川、たまに海。夕暮れの街角等を表現する時、私は思い出したように〝その女〟をそっと付け足すのだ。自分でもよくわからぬ衝動に従って。
頼まれ仕事の方でも女を足してしまうことはあるが、描いたとしてもそれは分かるか分からぬかの境くらいのものでちょっとした茶目っ気である。
今回思いがけず、謎だった自分のルーツの源流のようなものにぶち当たったわけである。私は苦笑いした。
私が幼少の頃描いたと思われるこの絵は、どことなく奇妙で現実感がなかった。
女の服装……いや、雰囲気か? なんなのだろう? 何かそぐわない。しかし今見ても惹かれる。自分の絵に対しての感想としては少々気恥ずかしいが。
今の自分の絵に描かれる〝その女〟は、私ももう流石に手馴れているので、構図としても画風としても確立している。
しかしそれでも眺めていると、この絵の女は何か演劇の方でいう〝異化効果〟のようなものだろうか(そうだとすればその効果は私にとってのみ発揮されるものであろう)、兎に角ぼんやりと私を不安にさせる、落ち着かない気分にさせる何かがあるのだった。
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