第48話 解呪の時

「どこへ行くんだい?」


 案の定、動こうとしたわたしにロセンドが声を掛けてくる。


「あちらに、バルカザール公爵がおられますので、挨拶をと……」

「どうして君から行くの? 挨拶なら向こうから来るのを待てばいい」

「それはそうですが、公爵はもしかしたらご自身の姿を恥じてしまって、挨拶するのをためらわれているかもしれません」


 そう答えると、ロセンドは「あぁ、確かに」と呟いた。


「しかし、君から行くのは変だろう」

「そうでしょうか? 彼が、わたしをあの大変な状態の家から救い出してくれた恩人であることには違いありません。お礼も言いたいですし、それとも何か問題が?」

「……いや、構わないよ」


 ロセンドは賑わうホール内にさっと視線を走らせると言った。

 出入り口という出入口には衛兵が立ち、近くにはアグアド一族の長と甥もいる。すぐ近くにロセンドの護衛役もついていた。


 逃げられない、という確信を得たのだろう。


 わたしは言った。


「ありがとうございます、ではご挨拶して参ります」


 優雅に礼をして、わたしは立ち尽くすオルランドの元へ向かう。

 マリセルがさりげなくついてきてくれた。


 オルランドは微かに身じろぎしたものの、そこを動かない。


 近くまで来ると、わたしは精一杯の笑みを浮かべて言った。


「お久しぶりです、お元気で良かった」

「いや、君こそ……無事で良かった」


 オルランドは一瞬手をこちらに伸ばしかけ、すぐに引っ込めた。何をしたかったのか、何となくわかると、心臓の辺りが強く痛む。

 手を伸ばせば、触れられる距離にいるのに、簡単にはいかない。


「あれからずっと君を探していたが、全く行方がつかめず、場所が場所だけに、獣にさらわれたのではないか、よからぬ者にさらわれてひどい目に合っていないか、ずっと心配だった」

「ごめんなさい。本当は無事だとお伝えしたかったのですが……」

「いや、状況は理解したよ……」


 オルランドはわたしの背後にいるマリセルに視線を向ける。


「祝福する気はないが、君の無事を確かめられて良かった。本音を言えば、このまま攫って別の国に連れ去りたいくらいだ」

「……物騒なことは仰らないで下さい。貴方が捕まるところは見たくないです」

「そうなっても構わないさ……本当はここにいるのも苦痛なんだ」


 口元を笑みの形に歪めながらオルランドは言った。

 その意味を知ると、わたしは不思議と嬉しいと思った。彼が苦しんでいるのに嬉しいと思う自分が卑しい気がしたものの、確信も得た。


 この人が好きだ。


 だから―――。


 わたしはおもむろに指先を伸ばして彼の顔に触れる。

 オルランドはその行為にはっとし、一歩後ろへ下がろうとした。

 わたしは言った。


「オルランド様、わたしは貴方が好きです。愛しています……だから、少しだけわたしに機会を下さい」


 オルランドは綺麗な紫の瞳を大きく見開き、動きを止めた。

 その瞳に映る感情が何なのか、すぐには察せられない。けれど、彼は動きを止めた。それが返事だと認め、わたしは隠し持っていた水晶の腕輪をオルランドに渡した。


「これは……?」

「少し、必要なので持っていて下さい」


 わたしは囁くように告げると、彼の顔に触れた。

 今まで何度となく行ったことのある行為なのに、指先がぴりぴりと痛い。


 やはり、マリセルの言う通り彼に術を掛けた術師は相当に力が強いようだ。うまく行かなければ、オルランドに掛けられた術が倍になってわたしに降りかかる。


 その術は「枯れ木」と呼ばれていた。


 マリセルがこっそりと渡してくれた本に書かれていた術のひとつだ。


 人体の一部を永久に老いさせる術。


 元々は、魔術師の血を引く王女姉妹によって生み出されたとされる。あまりに美しい姉王女を妬んだ妹王女は、何年もかけて術を完成させて姉に掛けた。

 姉王女はその呪いを掛けられた事で恋人に去られ、絶望して湖に身を投げたという伝説が残っている。ちなみに、後に妹王女は姉の恋人である王子と結婚したものの、王子はずっと姉王女を想い続け、結婚は不幸なものになったという。


 この術を解呪するには、道具を介して、自分の魔力を呪いを掛けられた人物に注ぎ込み、直接術そのものを崩壊させるのだという。


 ――大丈夫、何度も練習して来たんだから!


 わたしは唇を引き結んでオルランドが身に着けてくれた水晶に意識を集中させる。


 屋内であるはずなのに、周囲に風が吹きはじめた。近くにいた人々が、喋るのをやめて不思議がり始める。わたしは焦る気持ちを押えて、集中した。


 しばらくして、意識の中で強い光が弾けたような感覚に襲われる。


 次いで、大きな花瓶が床に落ちたような破砕音がホールに響き渡った。


「っあ、あぁぁぁぁぁぁあああ!」


 突然、近場から絶叫が上がる。

 驚いてそちらに視線を向ければ、絨毯の上で目を押えて転げまわる男性が見えた。


 一瞬、何が起こったのかわからなかったが、彼の手の指の隙間から血が滴り落ちるのが見える。わずかの逡巡のあと、それがアグアド一族の長が紹介した時期後継者の男性であることに気がつく。


 一体どうして……?


 その疑問は、再びオルランドを見た時に解決した。


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