第36話 どうせ逃げられないのなら

 会話の内容から、どうやらマリセルもアグアド一族の血を引くらしい。思わず質問したくなる気持ちを押し殺しながらわたしはふたりの会話に耳を傾けた。


「お前の親がどうなっても良いと言うのなら好きにしろ。だが、エルミラ様の慈悲にすがっておいた方が得策だぞ? 今まさに修行中の可愛い弟もいるだろう?」


 男の淡々とした脅しに、マリセルは何も言えなくなってしまったようだ。

 わたしは男に向かって言った。


「今日からでもわたし付の小間使いとして側に置きたいと殿下にお伝えして下さい」

「……畏まりました」


 これまでのややぞんざいな態度から一変し、男は優雅に礼をする。その所作から、もしかしたらこの男たちは軍人なのではないだろうかと思った。

 単に体格の良い従僕だと思っていたけれど、ロセンドに仕えているのだから無い話ではない。

 もしもそうなのだとしたら、ロセンドの強い意志を感じる。


 わたしはますます自分の未来が陰に包まれたような気がして、気が落ち込む。

 何重にも縄を掛けられて捕らえられているような最低の気分だった。


「マリセル、せめてあなたはわたしの側にいてね」

「……申し訳ありません」


 彼女の目に光るものが浮かぶ。

 唇は噛み締められ、悔しいのだということが伝わってくる。


「謝らないで、助けに来てくれてありがとう」

「では、一旦彼女は拘束し、殿下にお伺いして参りますので」


 そう言って、男はマリセルを強引に立たせ、部屋から出て行こうとする。しかし、わたしはそこであることを思い出して引き留めた。


「待って! ひとつだけ聞かせて。あなたが来た時に少し言っていたけれど、オルランド様はご無事なのね?」

「あ、はい! しばらくは安静になさらなければなりませんでしたが、医師の話によるとお身体の方は全く問題ないそうです。今はエルミラ様を必死で探しておられて、本当はここにおられる可能性をお伝えしたかったのですが、旦那様を危険にさらすのは避けたいと思いお伝えしないままここに来てしまいました……申し訳ありません」


 その答えに、私はとりあえず安堵したものの、マリセルの言い方が気になった。

 お身体の方は……?

 この言葉が意味することはひとつだ。


「お顔が、戻ってしまったのね?」

「はい……エルミラ様がいなくなられた翌日にはもう……申し訳ございません」

「そう」


 恐らくアグアド一族の血を引くわたしが毎日触れることで、彼に掛けられた呪いを弱めていたからこそ、美しい姿を取り戻していたのは確実だ。

 そこまで考えて、わたしはあることを思いつく。


 ロセンドにはアグアド一族と深いつながりがありそうだ。それなら、ここに留まることによって彼に術を掛けた人物を見つけられるかもしれない。

 どうせわたしにはここから逃げる術はない。

 それならせめて取引くらいしたっていいだろう。


 初めて心から好きだと思えた人のために人生を使うのは悪くないように思えた。


「そこのあなた、殿下に報告するついでに、わたしが会いたいと言っていると伝えて欲しいの、 お話があるから」

「それは構いませんが……ここからお出しすることは出来ませんよ?」

「構わないわ、そうね、昼でも夜でも良いので、一緒にお食事しましょうとお伝えして下さい」


 男はすぐに頷いた。


「畏まりました。それでは失礼致します。少しでも良いのでお休み下さい」

「わかったわ」


 そう告げて、男たちはマリセルを連れて出て行ってしまった。

 わたしは扉の向こうから響いた重々しい施錠の音を聴いてから、大きくため息をついてその場に座り込む。


 突然に色々なことが起こり過ぎていっぱいいっぱいだ。

 けれど、不思議と不安が少し減っていた。


 ここでのやるべきことを見つけたからだろう。それに、ロセンドが許可してくれればマリセルという支えを得ることもできる。

 長い間、わたしは誰の役にも立たないだめな人間だと思ってきた。でも、諦めなければもしかしたら誰かの役には立つのかもしれない。


「やれることは少ないけど、やってみよう」


 本当はオルランドの側にいて、一生彼のために術を緩和するつもりだった。でももうそれは出来ない。だけど代わりに出来ることはある。あるのだ!


「お元気で良かった……」


 何一つ情報が無いまま閉じ込められて、ずっと心配していたのだ。

 後で会えたらマリセルに感謝しなくては。

 少なくともそれが知られただけで彼女がここに来てくれた意味はあるのだと伝えよう。わたしはゆっくりと立ち上がり、寝台へ向かう。


 休まなければ。


 怯えて縮こまる自分の心と、自分より遥かに優れた相手と渡り合わなければならない。そのためには疲れている訳にはいかないではないか。

 苦しくても、眠れなくても、寝付けなくても休むのだ。


 わたしは寝台に横になり、目を閉じた。


 

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