請い猫
サワラジンジャー
請い猫
私が10年以上の期間に渡ってした経験の、そのきっけとなった出来事。
それ自体はあまり珍しいものではないのかと思います。
実体験としてある人は少ないとしても、知り合いが似た経験をしたとか、同じような話をどこかで聞いたという人まで合わせれば、きっと日本人の過半数を超えるのではないでしょうか。
私は北国の田舎の県の、人口10万人ほどの地方都市の出身です。
中学三年の夏休み。私は自転車に乗って友人の家を訪れました。
もう一人の友人はそこの近所に住んでいて、待ち合わせて集まった私たち3人は近くの川に向かって出発したのです。
3人は中学入学時に同じクラスになった事で仲良くなり、それ以降ずっと親しい友人関係でした。
一年生の時、体育祭をサボって数十キロ離れた県庁所在地まで自転車で遠乗りに出かけたりしました。
また二年生の夏休みは、それ以上遠くの海まで、やはり自転車で遊びに行ったりも。
真夏の太陽の下、ハーフパンツで長時間ペダルを漕いでいたせいで、後日ふくらはぎの皮が3回も剥けたことを覚えています。
中三の夏休みと言えば、当然高校受験を意識する時期です。
もともと3人ともまじめに学業に取り組む方ではなく、遊びに費やす時間を削ってもその時間で勉強などしなかったでしょう。
ですが親に養ってもらっている身分です。その期待を完全に無視し、堂々と派手な遠乗りをする気概までは私たちにはありませんでした。
その日集まった私たちは、息苦しい日常から一時でも解放される感覚を味わいたかったのだと思います。
自転車で道をただただ真っすぐ南に。3、4キロ走ったでしょうか。市の南側を流れる一級河川に行き当たった私たちは、そのまま川沿いの広い道路を暴走しました。そのまま川を下っていけば二年生の時に行った海にたどり着きます。
「なあ! あそこにあるのってホテル?」
「あの茶色いのか?」
「ホテルって書いてあるべー」
「なんか変な名前じゃね?」
「あれラブホだって」
「何でわかるんだよ?」
「知らんけど、わかる。あれラブホ」
田舎の男子中学生の私たちは、自分たちに縁のない施設の屋上看板に書かれた珍妙な名前を、大声で連呼しながらペダルを漕ぎ続けました。
20分ほど走り、原付バイク並みの速さで緩い坂を下っていた私たちは、きっと10キロは移動していたのでしょう。
出発地点からして田舎町でしたが、そこまで行くと辺りは田んぼだらけになっていました。
見かけた自販機で糖度の高い炭酸飲料を買って、私たちは堤の階段から河原に降りて行きました。
ススキなのか、あるいはカヤとかいう種類なのか、わかりませんがイネ科の植物の死体が蓄積し、広い河原の地面は妙にふかふかとしていたことが記憶に残っています。
まだ生きている青々とした草藪の向こうに、私はなにか四角いものを見つけました。
今にして思えば、もっと慎重であってしかるべきでした。久しぶりに思い切り体を動かしたことで、その時の私は軽い興奮状態にあったのだと思います。
「あそこに段ボールあるわ。なんか入ってるかな」
「エロ本とか?」
「……いや、行くなって」
「なんで? いいじゃん」
私は歩きにくいふわふわした地面を進み、しゃがみ込んで中サイズの段ボール箱を開きました。
季節は真夏です。中身がなんであるかを認識した私は瞬間的に息を止めたことで、そのにおいまでは嗅ぐこと無く済みました。
平静を装って戻り、何だったのかと聞いてくる友人に、私は見たままを答えました。
「猫の赤ん坊。3匹。もう死んでる」
「うわ、マジで」
「……やめろって言ったべ」
もともと、高校受験の重圧から逃避するように出てきた私たちは、そのまま遊び続ける元気まではありませんでした。
埋葬するべきか、少しだけ話し合いましたが、スコップなどを取りに十数キロ走り、また戻ってくるほどの義侠心は私たちにはありませんでした。
あるいは一年前、自分たちの将来を現実的に考えることなど無かった無邪気な私たちであれば、可哀相な3つの亡骸を自分たちなりの優しさで葬っていたのかもしれません。
そのまま家に帰り、自分としては何食わぬ顔をしていたつもりでした。
男らしさというものにあこがれる時期の子供です。何か悪いことをしたわけでもなければ実害を受けたわけでもありません。
ですが夕飯の支度をしていた母は私の顔色を見てすぐに何かを悟り、何があったのかを聞いてきました。
ありのまま、起きたことを話しました。その時母がどんな反応を示したのかを私は覚えていません。
台所と繋がった居間で、同居していた祖母が話したことの印象が強く、その日の夜の記憶はそれだけです。
祖母の時代、動物愛護という概念も無ければ、猫の去勢避妊手術というものも一般的ではありませんでした。
猫はペットではなくネズミを避けるための家畜であり、放っておけば勝手に増える猫の子供を処分する場所と言えばもっぱら川だった。そう祖母は言いました。
そして農家の子供であった祖母もまた、自らの手で何匹もの猫の子供を処分したらしきことを仄めかしていました。
それまで私は、罪というものはどこか自分や自分たちの外側にあるだと思っていました。
人によっては中学三年までそんなふうなつもりでいたことを、幼稚だというかもしれません。
ともかく、人間の悪意が自分たちの身近に存在することを初めて実感した経験。
特に珍しくもない、誰でも聞いたことのある話かもしれません。
夏休み以降の追い込みにより、私は地元の準進学校のような高校に入学しました。
一緒に自転車で遠乗りをしていた二人とは進学先が異なり、疎遠になったまま高校時代は過ぎました。
もともと人に流されやすい性格だった私は、成績至上主義的な高校の雰囲気に流され、部活やその他、いわゆる青春らしいことにほとんど触れずに高校時代を過ごしました。
特に頑張ったわけでもないですが成績はそれなりによく、大学受験にも成功しました。
現役で公立の大学に合格したことで、そこまで裕福ではなかった家の経済に貢献できたと、誇らしかったことを覚えています。
大学は関東地方にあり、18歳で始まった一人暮らしは順調でした。
理系の学部でしたが初年度前期の単位を無難にとり終わり、長い夏休みの始め。
生物学の実習がありました。いわゆるフィールドワークというものです。
ローカル線の電車にゆられ、10人程度のグループで目的地に赴きました。
関東にもこんな田舎があるのかという感想を漏らしましたが、地元出身の学生たちは当たり前だというようなことを言っていた気がします。
実習と言っても、まだ教養の授業がメインの一年生のことです。
日本の里山の生態系の実相を見て、たった一枚レポートを仕上げる。そんなレクリエーションのような実習でした。
遠足気分でぶらぶらと、講師であったか、助教授であったか。引率者の後を10人ほどの学生たちでついて行きました。
舗装もされていない山道を進むと木々の葉に陽光が遮られ、辺りは薄暗く、そして夏とは思えないほどに涼しくなってきました。
先を行く学生が何か騒いでいます。右側の笹薮を避けるように進んでいく彼らが何をしているのかわからず、私はそのまま道を進んでいきました。
真横の位置まで私が進むと、笹薮から白い何かが這いだし、私の足に纏わりつきました。
それは小さな猫の子供でした。
蹴り払うとか、強く振り払うような真似はしませんでした。
ただ、私は逃げ回りました。
みゃぁ、みゃぁ、と弱弱しい声で繰り返し、繰り返し鳴くその子猫は、何故か私だけを追いかけ続けます。
それは微笑ましい光景などではありませんでした。
その子猫は明らかにやせ細り、もはやその命が長くないことが見て取れました。
普通なら近寄って見なければ分からないと思うのですが、何故か私にはの子猫の目頭から鼻にかけ、小さなウジ虫が無数に
無言で逃げ続ける私に、他の学生たちも何も言わず、先を急ぎました。
おそらく生まれて間もなく、まともな健康状態では絶対にないその子猫。
それにしては信じられないくらいの速さで追いすがってきましたが、その折れそうな、か弱そうな足の長さと人間の歩幅とは桁が違います。
私たちはその白い子猫を置き去りにして森の奥に進みました。
私たちの事を不人情だと思うのは当然のことと思います。
今ならそんな時、たとえ他人に偽善だと言われようが、精いっぱい子猫を救おうと努力することが正しいと断言できます。
ですがその時、私たちは理系の大学生として、無慈悲な弱肉強食の自然の中で生物学を学ぶためにそこに居ました。
猫が死ねば、その死体はカラスや、その他、何者かの命の糧となる。それが自然の生態系というものです。
学期中の授業では罪もない実験用マウスを生きたまま解剖するということもしています。
猫が可愛いからという理由だけで、その命を特別扱いすることは、その時の私たちには違和感のある行為だったのです。
今ならば、感情や感傷というものが理屈や理論と同じか、それ以上に価値のあるものだと分かります。
ですが、当時の「
実際の問題として、動物病院の費用や、仮に助かった場合の飼育のコストを支払える者はその場に居なかったようにも思います。
フィールドワークを終え、帰りの電車の中で学生たちは残りの夏休みをどう過ごすかの話などしていました。
話が途切れ、私たちの間に沈黙が流れます。
一人の女子学生が、ぽつりと言いました。
「……あの子猫さ、なんで石田くんのことばっかり追いかけたんだろうね」
「あーそれ、俺わかるよ」
石田というのは私の名です。軽薄な声で女子学生の疑問に答えたのは、同じ一年ですが少し年上の男子でした。
「なんでなの?」
「ネットで見たんだけどさ、猫ってジーパンの匂いが好きなんだって。石田くんのジーパン、それ生デニムってやつでしょ? 染料の匂いが強かったんだよ、きっと」
その時私は派遣バイトで稼いだお金で買った5桁の値段のデニムパンツをはいていました。
古着風加工などしていない、真っ青のデニムパンツは購入後一度洗っただけであり、その時知らずにいっしょに洗ったTシャツは白かったものが水色に染まってしまったことを覚えています。
猫がデニムを好むという話を、その時初めて知りました。
しかし、そのことに納得したのは私の理性の部分だけでした。
私に纏わりつき、帰り道では居なくなっていた子猫。
汚れていましたが基本的に白く、対照的に真っ黒な瞳。
左目の周りだけが、まるでフィクションに出てくる海賊の眼帯のように黒いブチになっているその特徴。
当時から数えて4年も前の出来事でしたが、私にははっきりと中三の夏の記憶がよみがえっていました。
段ボール箱の中の、3つの死骸。
それぞれに毛色は違っていましたが、その中の一匹。
白い毛並みに、左目のブチ。
薄く開かれたまぶた。少し白濁した眼球。光彩の色は黒。
猫の毛色などそれほど多様なわけでもありません。
ただの偶然の一致でしかない。誰に聞いてもそう答えるはずであり、理性的であろうと心がけていた私も、頭ではそう納得していました。
裏腹に、何故か自己破壊衝動のようなものにとらわれた私は、その夏から喫煙を始め、カロリー代わりにニコチンを摂取するような生活によりひと夏で10キロ以上やせてしまいました。
現役合格で大学に入ったと書きましたが、当然、そのときはまだ20歳になってはいませんでした。
その後の大学生活を消極的に過ごした私の成績は良かったとは言えません。
就職活動にも本気になることが出来ず、4年になり、卒業も間近となってなお就職先が決まっていませんでした。
冬休みになり、年の暮れと正月を家族と過ごすために私は実家に帰りました。
その冬はやけに雪が多く、たった5日間の帰省の間に三度も雪かきを手伝う羽目になりました。
大晦日を翌日に控え、二階の部屋で私は寝ていました。オイルヒーターが一つあり、畳の上に布団が一組あるだけの部屋です。
もともとは自分が使っていた子供部屋でしたが、自分の荷物はほどんど大学生活のためのアパートに送り届けられていて、こまごまとした物は処分済み。
そこはもはや他人の部屋と同じでした。
深夜。目を覚ました私は時刻を把握できませんでした。
部屋に時計が無いのです。スマホの充電器をアパートに忘れてきた私は、スマホをほとんど使っていない母の充電器を借りていて、それは一階のコンセントに接続されていました。
雪が降っていて、気温は氷点下を大きく下回っている。
天気予報ではそのはずでした。
窓の外から猫の声が聞こえてきます。
みゃぁ みゃぁ みゃぁん みゃぁん。
何度も、何度も繰り返し、鳴いています。
北国の、それほど古くはない家です。
自然の中にぽつんと建つ家ではなく、住宅街の中にある、木造ですが、高気密住宅と言われる家です。
窓は二重サッシになっていて、二枚重なっている窓ガラスを通じて、小さな音は普段聞こえてきません。
みゃぁ みゃぁ みゃぁん みゃぁん。
いつまでも変わらぬ調子で鳴き続けるその声は、信じられないほど大きい音でした。
まるで窓のすぐそば、軒下にでも居るような、それにしても大きすぎるような。
大人の猫の声ならばわかります。発情期にメスを求めて鳴くオス猫の声は、思わず笑ってしまうほど大きな声だという事は、皆さんお分かりの事と思います。
ですが、感覚的に30分ほど。既に100回は繰り返して聞こえ続けるその声。
笛の音のようにも聞こえる、かん高い鳴き声は明らかに、生まれたてのような子猫の声でした。
真冬の降りしきる雪の中。子猫が屋外で凍えているなら探し出して助けるべきでしょう。
これを読んでいる方の多くがそういう行動に出るのだと思います。
ですが、私にはそれが出来なかった。理由は色々ありました。
深夜です。寝静まっている家族の中で、起きていたのは私だけのはずでした。
私が大学2年の時に脳梗塞を患い、半ば寝たきりであった祖母。そして祖母の介護のために疲弊し、会わない間に一気に年老いた母。
私が猫を救いに出て、そして面倒を見ようとすれば家族を起こしてしまいます。
それでも仮に、実家が自然の中に建つ一軒の家であれば、私は猫を救いに出たかもしれません。ですがたくさんの家が密集する、庶民的な住宅街です。
あれだけ大きな声で鳴いているのだから、私以外の誰か、他の人が助けに出るべきなのではないか。
就職も決まっておらず、将来の展望もない。当時の私は猫どころか自分の口さえ食べさせる見込みのない、弱い人間でした。
無責任に小さな命を救ったところで、他の誰かに負担を強いるだけ。
そんな言い訳を考えているうちに時間は過ぎていきました。
色々な思いを抱えて、布団の中で動き出せずにいた私の心中は、やがて感傷的な気分が違和感に変わり、そして最後には恐怖と言って差し支えない感情に満たされました。
時計が無いので正確にはわかりません。ですが、既に2時間以上。
数十秒おきに、まったく同じ大きさで繰り返されるその猫の鳴き声。
みゃぁ みゃぁ みゃぁん みゃぁん。
その声。
大学一年の夏の実習、関東地方の県の田舎の里山で聞いた、あの子猫の声と、そっくり同じ。
赤ん坊猫の声など、どれも大差は無いことでしょう。
赤ん坊猫の体力が命のかかった状況で、実際にどれほどの強さを見せるものなのか、私には知識がありません。
しかし、氷点下を下回る気温の中で、何時間ものあいだ、生まれたばかりの子猫が大きな声で鳴き続けることなど、あるのでしょうか。
外に出たとして、そこに居るのは本当にまともな子猫なのか。
答えは今でもわかりません。
夜が明け、その鳴き声が聞こえなくなるまで。
まるで永遠に近く感じられた時の間、私は眠ることが出来ませんでした。
家族の生活音が聞こえてきて、ようやく気絶するように意識を手放すことが出来ました。
昼頃になって明るい太陽の下で近隣を探してみましたが、猫がいたような形跡は見つけることが出来ませんでした。雪が覆い隠してしまったのでしょうか。
祖母が亡くなったのはその3日後。正月2日のことでした。
原因は心不全。
つまりは、何が原因なのかはっきりとは分からないという意味でした。
そのせいもあって、私には子猫という存在がどうしても不吉な印象と重なり合って感じられてしまうのです。
立派な体格を持つ、生命力あふれる大人の猫ならば、気になりません。
わざわざネットで動画を見たりはしませんが、テレビに映る大人猫の滑稽な映像など見れば楽しく笑えます。
ですが、子猫は無理になりました。
握りつぶせば死んでしまいそうな、あの弱弱しい姿を見ると、私は目をそらしてしまうようになったのです。
ここまでを読み進め、あなたはこう思うのかもしれません。
ただ無気力で、無力で、人情の無い冷たい男が一人いて。
かわいそうな子猫に対して行動を起こすことが出来ず、勝手に罪の意識と被害妄想にとらわれているだけ。
そう言う方に対して私は反論の言葉を持ちません。
そんな男の独白を聞く気はない。そう思う方はここで読むのをやめてもらって構いません。
私が弱い人間であり、そして明らかな実害を受けてはいないこともまた確かだからです。
ですが、今になってなお、深層心理ではともかく。
客観的に見れば私自身には罪がないと考えてしまいます。
私の経験した出来事において、結果として子猫の命が失われたとしても、誰かに罪があるとすれば、それは最初に子猫の保護責任を放棄した者にあるはずです。
当時の私もそう考え、自分の心を立て直し、どうにか己の人生くらいは自力で歩んでいこうともがきました。
卒業のための単位を無理やりに取り終え、私はそれほど親しくも無かったゼミの先輩のコネで大学近くの食品系の企業に就職することが出来ました。
中小企業の、小の方の企業です。
人に自慢できるような部分のひとつもない会社でしたが、人数が少ないなりに。
地元ではそこそこ有名な大学出身者だという事で私は大事にされていたと思います。
小さな会社なので、明確な部署といえるものはありません。
就職して4年目の春。事務的な仕事を中心に、ある程度の責任を伴って任されるようになった私に部下ができました。
部下と言っても半分はパート従業員のようなものです。
県内に実家があり、独り暮らしをしてみたいという理由で就職をした20歳の女性でした。
坂本さんという、その小柄な女性は会社の誰に対しても愛想がよく、皆に可愛がられていました。私自身も彼女を嫌う理由など一つもありません。
同じ内勤中心の同僚の中で一番年齢が近かったためでしょうか、あるいは仕事のやり方を私なりに丁寧に教えたためかもしれません。
坂本さんは私に対して特に友好的でした。
社外で昼食を取るときはほとんど一緒になるようになり、時々は手作りの弁当なども食べさせてもらうようになっていました。
坂本さんはいわゆる5月病を発症することも無く、6月になりました。
昼食を食べに出る時に、私は先輩らしくおごったりすることはしていません。会計時に端数を負担する程度が関の山でした。
それに対して彼女が手作りの弁当を皆にばれないように渡してくれた回数はもう5回を超えていました。
私は日頃のお礼と称し、彼女を夕食に誘いました。
会社のある立地より少し海に近い、郊外ではありますが別荘地が近くにある、洒落たイタリア料理のレストランです。
彼女に承諾をもらってから、電話をして予約を入れました。
店の近くに駅は無いので、タクシーで向かいます。
彼女は会社で事務仕事をしている時とは違う、ベージュのワンピースにいつの間にか着替えていました。
コース料理を注文し、あまり高くない白ワインを飲みつつ食事は楽しく進んでいきました。
昼間に会う時よりも彼女はずっとよく話し、目を細めて笑います。
メインディッシュのアマダイの料理を食べ終わり、あまりアルコールに強くない私はデザートが来るのを待ち、グラスに入ったワインをちびちび飲んでいました。
相変わらずにこやかに、頬を少し赤く染めた坂本さんが話しかけてきます。
「石田さんって、犬派ですか? 猫派ですか?」
「……えーっと……」
「犬と猫の、どちらが可愛いと思いますか?」
よくある、雑談のきっかけの話題です。普通は深い意味など無い、そういう質問です。
「どうなんだろうね。そういうのって実はその生き物を飼ったことがあるかどうかって話だと思うんだよね。子供のころ犬を飼ってたら犬派になるし、逆なら、逆になる。そういうものじゃないの?」
「そうですか? わたしは一人暮らししてから猫派になりました」
「……ご実家では、たしかトイプードルを飼ってるって」
もう年寄りでよぼよぼだけどかわいくて仕方ないんです。
彼女が入社してすぐの頃ですが、そう言ってスマホの写真を見せられていました。
茶色の、かわいらしいふわふわの犬でした。
「はい。それで、先月から猫を飼ってるんです。私のマンションってペット可じゃないですか」
「そうなんだ」
「夜中に鳴き声が聞こえてきて、可哀相になって外に出てみたらマンションの生垣の所に一匹で居たんですよ。すごく痩せてて、あのままじゃ死んじゃいそうでした」
「そっか……。坂本さんは優しいんだね」
彼女は笑いました。口角を斜めに持ち上げ、きれいな真っ白の前歯が覗きます。
細められた両目のまぶたが白目を覆い隠していました。
「石田さん、今夜うちの猫に会いに来ませんか? きっとあの子も会いたがってると思うんです」
「え? どうかな。ちょっと、あの——」
この話になるまでは、そのつもりでした。もちろん猫の事ではなく、彼女の部屋に行けるなら、それは願っても無いことのはずでした。
「私が石田さんの話をすると、あの子とても喜ぶんです。私、猫のいう事がわかるようになったんですよ」
「坂本さん、この話、ちょっと止めにしない? 理由は…… あれなんだけど、その——」
「拾った時は痩せてましたけど今は少しずつ元気になってかわいいですよ。まだ名前を付けていないので石田さんにつけてほしいなぁ」
そのとき、彼女の話に感じた違和感を思い出し、私は聞きました。
「……坂本さん、確かマンションの最上階に住んでるって言ってなかった? 5階建ての。オートロックで防音もしっかりしてるって……」
「はい」
彼女は表情を消し、何も言い訳することなく真っすぐに私を見つめます。
まるで無邪気な、生まれて間もない赤ん坊のような表情をして。
「それで、会いに来てくれますよね。写真を見ますか? スマホで撮ったんです。本当にかわいいんです」
言葉が出てきませんでした。私の体は震えていました。
背骨を支える筋肉が細かく痙攣し、皮膚表面の血がすべて引き、脳や内臓といった、生命維持に重要な器官に集まっていました。
鼓動が信じがたいほどに早くなり、生まれて初めて、心臓にも痛みがあるのだと気づきます。
自分の喉が、息を吸うたびに聞いたことのない音を立てていました。
「やめよう、俺は行かない」
「今出します。たくさん撮ってあるんです」
「やめろ…… 俺は見ないっ!」
スマホを操作し、「あった」と一言。
彼女は無邪気な顔のまま、それを私に差し出してきました。
画面に映るものを、決して見ないように私は目をそらし「やめてくれ!」と、叫びながら蹴るようにして席を立ちました。
「見てください、本当にかわいいんです。きっと、石田さんも好きになってくれます。ほら。白くて、左目の周りだけが海賊みたいに黒いんですよ」
その後、どうなったのかはよく覚えていません。誰かに訴えられたりしていないので、食事代は払って帰ったのだと思います。
坂本さんにはその後一度も会う事は無く、私は社長に直接、社外で連絡をとり会社を辞めました。
求人サイトで探した新たな職場は、自分の故郷とも大学とも離れた、遠くの県の電子機器製造の工場でした。
実のところ、給与や勤務条件など、転職前よりも向上しています。
空気の澄んだ山深い立地にあるのが電子機器工場です。私の実家のある市よりも、今住んでいる社員寮のある町のほうがより田舎です。
一度、心霊スポットに悪戯に行った同僚が、地元の霊媒師に診てもらいに行くというので同行しました。
いかにも胡散臭い、わざとらしい恰好をした中年女は同僚の軽挙を叱りつけていました。
私もついでに診てもらいましたが、神道で使う紙垂とかいうものを振り回した後、中年女は「執着しているような人の霊は憑いていない」とだけ言いました。
それは、そうでしょう。
近年になり、保護猫活動やボランティア有志による去勢手術などにより、野良猫というものは減ってきたのではないでしょうか。
ペットを飼う人のモラルも向上し、私が中学三年の夏に経験したようなことはこれからも減っていくのだと思います。
とても素晴らしいことであり、そういった活動をしている人たちに対し、私は尊敬の念を抱くばかりです。
ですが、私自身はそう言った活動に関わる気になれません。
また言い訳ばかりで何も行動しない、そんな私は死ぬまで幸せになどなれないのでしょう。
それでも私は、一生涯、猫にかかわりを持ちたいとは思いません。
ここまで読んでくださったあなたになら、理由は分かってもらえるものと思います。拙文失礼いたしました。
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