一章 激化する趨勢

第六話 大怨霊は妬みたい!

幕間 異入門

 そこは、瞳を鮮烈に焼かんばかりの茜の色に満ちる病室であった。


 純白の病室を暴力的に塗り潰すあけの光芒を放つのは、西の地平線に沈み行く巨大な斜陽である。


 そんな一日の終わりを感じさせる黄昏に溢れる病室のベッドには、西日に美しい横顔を濡らしている一人の人物が体を起こして座っていた。


 彼女の名前は神楽愛咲、とある宗教団体による凄惨な拉致監禁から救出されたばかりの高校一年生である。


 彼女は教団の構成員から受けた暴行等により病院に移送されたのだが、命に別状は無い為、早期に退院出来るだろうとの事であった。


 まぁ、それよりも先にカウンセラーが必要かもしれないが。


 そんな少女、神楽は暴行による青紫色のあざが発する鈍い痛みを引き摺りながらも、確かな希望と大きな安堵を感じていた。


 これも全て、神楽を救ったマーリンと言う人物による物である。


 神楽はその人物を知らない。


 だが、彼女は自身を救った見ず知らずの”英雄”に今一度、面と向かって感謝を伝えたいと思っていたのであった。


 神楽が心の底から安心した様に柔和に目を細めて、少し傷の付いたクマのキーホルダーを眺めていると、


「――失礼します」


 ――突如として、病室の戸が開かれる。


 病室の扉を開いて努めて静かに部屋に入って来る人物は、淡い萌黄色の髪をボブカットにして、穏健で優しげな光を放つ錆色の瞳が特徴的な中肉中背の男であった。


 神楽は黒色のスーツに身を包んだその男性に覚えは無かった。


「……どなた様ですか?」


 豊かな胸を圧する焦燥に駆られて、警戒に身を固くした神楽は男性を訝しんで素性を問う。


 ギュッとキーホルダーを握り締めた神楽の不安そうな言葉に、男は変わらず泰然とした様子を崩さずに告げて来る。


「――『八咫烏』に所属する東木あずまぎみのると申します。心配せずとも、病院から”許可”は得ております。貴方をどうこうしようと言う気はございません。わたくしはお話をしに来たのです」


 優美に深々と一礼をして、飄々とした様子を崩さない東木は怖がらせない様にする為か、神楽へ緩慢に歩み寄って行く。


(……また変な奴が来た……狂信者あいつらの仲間?)


 神楽が辟易と言った様子で心の内に溜息を吐いていると、東木は神楽が座り込むベッドの傍で立ち止まる。


「それで……何の用なんですか?」


 神楽の少し目線を鋭くした怪訝そうな言葉を受けて、東木は目尻を柔らかくして一言一句丁寧に寛厚な声音で言葉を紡ぐ。


「どうやら、貴方は警察の方々に『空虚なる黄昏教団』と言う宗教組織に拉致されたと言う旨の発言をしていたそうですね」


「そうですけど……それが何か?」


「あぁ、それがどうと言う話ではございませんが、我々は『空虚なる黄昏教団』と少し因縁がありましてね。ともかく、ここでお話ししておきたい事は、貴方が『怪人』の被害を受けた事ですね」


「……怪人? その怪人とやらの被害を受けたからどうだって言うんですか?」


 東木の放つ『怪人』と言う単語の意味は分からないにしても、それによって東木は何故に神楽のもとを訪れたのか。


 東木は超然とした微笑を崩さずに、


「――貴方の記憶を消去させて頂きます」


 少々、底冷えする様な冷然さを伴った東木の言葉に、神楽は一瞬思考が停止してしまっていた。


 それ程、突拍子も無く、荒唐無稽な言葉であったからだ。


「……はぁ!? 記憶を消す!? 何だってそんな話になるの!?」


 神楽の魂からの無理解の叫びを聞いて、東木は少し困った様な顔をして頬を指で掻いている。


「と言うか、記憶を消したいんだったら、黙ってすれば良かったんじゃない!?」


 そのもっとも神楽の咆哮を耳にした東木は、


「――そう、本来ならば『八咫烏』の規定により、異能に関わった一般人の記憶は消去する決まりとなっております。当然、それを当人に説明する義務もございません。だからこそ、ここからがこのお話の本質なのですよ」


 芝居めいた仕草で勿体ぶった様に言葉を中断させた東木は、その柔和な瞳に強い意思の光を灯らせて声を発する。


「単刀直入に申し上げます、神楽愛咲さん。『八咫烏』に来て、共に怪物を討伐して頂けませんでしょうか?」


 東木の凄絶な意思の籠る錆色の瞳が神楽を射抜き、極めて真剣に用件を伝えて来るが、神楽は何が何だか理解出来ない。


「……そもそも、『八咫烏』だとか、『怪物』だとか、『怪人』だとか……意味分かんないですよ。もう少し分かりやすく教えてください」


 神楽の明らかに不機嫌そうな声音の声に、東木はハッとした様子で、


「申し訳ございません、配慮に欠けていましたね……この世界には、『異能』と呼ばれる魔術や呪術と言った物が存在し、ゾンビやヴァンパイアと言った『怪物』が存在します。これは冗談の類ではありません。そう言った異形の生命体は、この人間社会に害をもたらします。当然、『異能』をもって人間社会に被害を齎す人間も存在します。それは『怪人』と呼ばれているのです」


 彼の口から語られる超常の世界、神楽はそれを押し黙って聞き入っている。


「そして、そう言った『怪物』や『怪人』は殺さなければ人間社会に多大なる被害を齎してしまいます。『八咫烏』は『怪物』や『怪人』を討伐する為に日夜行動している組織なのです……ここまでの話、貴方には心当たりがあるのではないでしょうか?」


 そう、記憶が不確かとは言え、神楽は確かに虚空から火炎を放つ男、渡辺を目撃していた。


 信じざるを得ない、その様な体験をしたばかりの神楽の脳裏にはこの言葉が克明に浮かんでいた。


「貴方を襲った『空虚なる黄昏教団』、これらも怪人集団と分類されます。まぁ、それはいいでしょう。ここで本題に移りましょう。調査の結果、貴方は『聖人』と言う特異体質であると認められました。その力を利用して、怪物を共に討伐しませんか?」


(……『聖人』? 私が? 褒めてくれてる?)


 高度なナンパの類かと錯覚してしまう神楽であったが、困惑する彼女の様子を鑑みた東木は更に詳しく補足を加えて来る。


「そうですね、『聖人』とは生物が本来持つ筈が無い”聖なるエネルギー”を先天的に体に宿す特異体質の事です。平たく言えば、聖なる性質を持つ人間の事ですね。ここ数十年は生まれなかった、”不浄の者”に対抗出来る途轍も無い才能ですよ。かの有名なイエス・キリストもこの体質だったのではないかと言われていますね」


 神楽が自分の内に宿した途方も無い才能について言及する東木は、面食らって何も言えない彼女に、


「聖人であれば、ゾンビやヴァンパイアなどのアンデッド、邪気を持った不浄の者に凄まじいダメージを与える事が可能でしょう」


 そうして説明を終えた東木は、凄絶な決意の光が瞬く瞳で神楽を射抜いて問い掛ける。


「――さて、神楽愛咲さん。貴方の力は他の人間には真似が出来ない、そんな果てしない力です。『八咫烏』に来てはくれないでしょうか? その力で、人々を救う一助となって頂きたいのです」


 騎士の様に恭しく一礼をして、懇切丁寧に頼み込んで来る東木の言葉に、神楽の心臓は不快に律動を乱していた。


(……もしかしたら……『八咫烏』に入れば沢山の人を助けられる? 私みたいな目に遭う人を……少しでも減らせるのかな? 私の力……誰かに使うべきだよね)


 神楽の持つ生来の責任感の強さと度を超えた優しさ、それによってか神楽の心は揺らいでいた。


「……東木さん、『八咫烏』に所属すれば、人を助けられるんですね?」


 その念入りな確認に東木は少々目を細めて言い放つ。


「えぇ、私の所感にはなりますが、これは人を助ける仕事です。ですが、神楽さんが『八咫烏』に所属すると決まれば、貴方の関係者には記憶処理が施されると思います。神楽愛咲と言う存在は人々の記憶からは消え去ってしまう。それも考えた方が良いでしょう」


 神楽の言葉を肯定した東木の放つ、記憶処理と言う単語は同時にある事実を示していた。


(……記憶処理……そうなったら、私を覚えていてくれる人は居なくなっちゃうの?)


 神楽の脳裏に過る、数多の幸福な追憶。


 そこには当然、彼女の父親の事や神喰朔人との昔の記憶も存在している。


 吐き出してしまいそうな程の緊迫感と冷や汗を掻いてしまう程の焦燥、神楽愛咲はまさしく人生の岐路に立たされていたのだ。


「……東木さん。私、『八咫烏』に入ろうと思います」


「……公平であるべき立場上、口に出してはいけないのですが、貴方は記憶処理を施されて幸せに暮らして行くべきだと思います。私は『八咫烏』から遣わされただけであって、貴方の様な小さい少女を戦場に駆り出すのは……」


 壮絶な決意の炎が宿る神楽の炯々とした瞳に捉えられた東木は、狼狽してその凛とした顔を曇らせてしまっているが、彼女の決意は揺らぐ事が無いらしい。


 その危うい程に灼々と燃え上がる意志の炎を伴った神楽は、狼狽える東木を置き去りにして、ベッドから立ち上がると、病室の扉に向かって行く。


「――問題ありません。私は、自分の力の責任を果たします」


 どこか、物悲しげな顔をして神楽を視界に映す東木を背にして、神楽は病室の扉を開け放つ。


 神楽愛咲は、自分の様に異能によって凄惨な目に遭う人々をこれ以上生まない為にも、自身の力を振るう事を決めたのだ。


 ――だが、この選択を確定的に決定付けたのは他でも無い、彼らの存在であった。


(――もう、お父さんと朔人を泣かせない。絶対に……!)


 ――少女の行方は、未だ知れず。

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