第六章 後継者の条件

27 理性では分かった上で

 都市部とは比較にならないほど、村落の夜闇は深い。


 その日は嫌な夜だった。薄っすらと広がる雲が微かな星明かりすら遮り、皆が寝静まってしまえば音もなく、昼間に降った雨のせいか熱も奪われてしまう。まるで冬の寒気が身体の芯まで入り込んでくるような、そんな夜。


 本来なら僕も、自作の羽毛布団にぬくぬくと包まっていたかったんだけど。


「……今晩はずいぶん冷え込むね」


 僕が声を掛けると、その人影はゆっくりとこちらを振り返る。

 亜空間からランタン魔道具を取り出して地面に置けば、暗視スキルを用いた視界は昼間のように明るくなって、彼の顔もはっきりと認識できた。


「私が来ることを予想していたのかい?」

「当然だよ。そもそも、あの程度の刺客にレシーナが殺れるわけがないからね。暗殺のためにわざわざ複合魔法毒を使うような用意周到な人間なら、何か他に狙いがあるはずだと思ってさ」


 僕は懐から小瓶を取り出す。

 その中には、一匹の百足がウネウネと身体を捩って脱出を試みていた。


「戦闘のどさくさに紛れてレシーナの服にこの子が入り込もうとしてたから隔離したけど……仕掛けた毒虫を操作するには、ある程度近づく必要がある。そう遠くないうちに、貴方が忍び寄ってくることは予想がついた」

「……ただの百足だろう」

「分かってるくせに。レシーナの強烈な魔力を浴びてなお、彼女に近づこうとしている虫が、普通の生き物なわけないよね」


 魔法で虫を操って、邪魔な相手を葬る。

 レシーナを相手にそんな魔法を使える者なんて本当に限られているだろうし、残念ながら僕の知っている範囲では一人しか該当者がいない。本当に残念だけど。


「メディス・サイネリア。組長の長男にして、医務部門の頭。レシーナと組長に毒を盛り、暗殺を企てた黒幕は……貴方だったんだね」


 出来ることなら、間違いであって欲しかった。

 彼はレシーナから見れば伯父であり、組に来たばかりの僕にとても優しくしてくれた人だったから。もちろんあの態度には裏があってのことだと、頭では理解はしてるけど。


「ククク、やはり君は優秀だ。そうだ。少しだけ、私の昔話に付き合ってくれるかな」

「昔話?」

「私はね……とある一人の貴族を、憎たらしいと思っていたんだ」


 メディスはそう言って、近くに生えている木に背中を預ける。


 これが時間稼ぎだというのは分かりきっていたことだが、腹を割って話す機会が欲しいのは僕も同じだった。

 彼が一体何を考えていたのか。この後に避けようのない闘争が待っているのだとしても、僕らが命をかけて戦う理由はちゃんと知っておきたかったから。


「帝都にある帝国中央学園には、アズカイ帝国の各地から優秀な若者が集められる。人質のような意味もあるんだろうね、帝国貴族の子女は強制的に入学させられるんだ。一方で、平民の子は難しい入学試験を課せられるわけだが……私は将来サイネリア組を継ぐための社会勉強として、入試を突破し学園に通うことになった。そしてそこで、一人の女の子と出会った」


 メディスが出会った女の子は、とある帝国貴族の娘だった。

 彼女はとても横暴な性格で、自分がこうと決めたことは誰が何と言おうと頑として曲げなかった。時には皇子すら正々堂々と論破し、皆に煙たがられても歯牙にもかけない。一応、学園内で身分を振りかざしてはならない決まりとはいえ、学園外では様々な利害関係がある。帝国貴族としては、ずいぶんと型破りな少女だったのだろう。


「最初の出会いは、皇子から無茶を命じられた私を、彼女が助けてくれたことだった。まぁ私としては、学園を卒業してからじっくりと復讐していく心積もりだったのだが……とにかく、彼女は私を庇うように胸を張って立つと、皇子に説教を始めたのさ」


 出会いがそんな形だったため、メディスは当初、彼女を好ましく思っていたらしい。

 しかし時が経つにつれて、その評価も徐々に変わっていく。彼女があまりにも身分を無視して自分勝手に振る舞っていたため、婚約者の貴族男子はいよいよ限界だと彼女に婚約破棄を叩きつけた。彼女の実家である伯爵家は勘当同然で支援を打ち切り、やがて彼女は貴族生徒からも平民生徒からも煙たがられるようになっていったのだ。

 そして離れていった者の中には、メディス自身も含まれていた。


「そんな風にして、学園に入学して一年が過ぎた頃。孤立していた彼女の状況が変わったのは……私の弟、アドルスが入学してきてからだった」


 アドルスは何を考えたのか、彼女を手厚く支援した。

 自分の資産を切り崩し、ボロボロにされてしまった彼女の制服や学用品を新調する。彼女が皇子に直談判する際には、隣で一緒になって魔力による威圧をかける。学園生活の裏側で少しずつ生徒を掌握し、いつしか彼と彼女の周囲は常に優秀な配下で固められるようになった。


「アドルスの支援によって、彼女は以前の横暴さを取り戻した。実家との関係もある程度改善したようだな。さらにあいつは、彼女の実家を起点に数多の貴族たちと商取引を行い、掌握した配下の就職先まで見つけてやって恩を売ったり……そうやって、短期間で一気に勢力を拡大していったんだ」


 彼のやり方は多くの味方を作る一方、皇子との仲は決定的に悪くなってしまう。

 もしこれが貴族家であれば、実家から静止の声も入ったのだろうが……しかし、彼はあくまでヤクザの息子である。組員からはむしろ尊敬の眼差しを向けられ、当時の組長からは「もっとやれるだろう」「その程度か」と盛大に煽られたらしい。


「アドルスが入学してたった一年。あいつは彼女と婚約すると同時に、次期若頭候補筆頭と呼ばれるようになった。そしてそのまま功績を重ね、数年後には本当に若頭になってしまったんだ。忌々しい。本来なら、私がサイネリア組を継ぐはずだったのに……彼女のことだって、伯爵家から正式に追放されれば私が拾ってやるつもりだったのに……」


 そんな風にして、メディスは跡目争いに敗北した。その後の彼は、サイネリア組の幹部として医務部門を取り仕切るほど出世しながら、それでもずっと若頭の座を奪おうと機会を伺っていたのだという。


「親父は言っていたよ。私には後継者の資質が欠けている。それが一体何なのか、ずっと理解不能だったのだが……クロウ。君を見ていて、最近はようやく少し分かってきたんだ。アドルスやクロウにあって、私にないもの。それがきっと、後継者の条件だった」

「ふーん。僕には分からないけど。メディスはそれが理解できていて、まだレシーナを狙うの?」

「あぁ。私はもう、引き返せないところまで来てしまったからね。進むか死ぬか。私に残された選択肢は、もうそれだけなんだよ」


 そうして、メディスは少し宙を見上げる。

 彼の目に映っているのは、一体何なのか。


「アドルスと結婚した彼女は……ペルティーナは、娘のレシーナを産んで五年ほどで死んだ」

「流行り病だったと聞いたけど」

「あぁ。想定外の出来事だった。この腹の底に渦巻く濁った想いを彼女に叩きつける機会は、永遠に失われてしまった……だからその矛先は、娘であるレシーナに向かうことになったのさ。あの子は、ペルティーナとよく似ているからね」


 なるほどなぁ。

 そういう理由でレシーナに危害を加えるのは、完全に八つ当たりだと思うけど、僕が指摘するまでもなく、それはメディス自身も理解しているだろう。理性ではちゃんと分かった上で、どうしても感情的になってしまう自分を抑えられなくて……そうして、レシーナに毒を盛ったんだ。


「逆に私には、君の行動の方が分からないがね。クロウ、君の野望は辺境スローライフ、だったかな。レシーナはそれを阻む敵ではないのかい? 最初に彼女を手助けしたのはその場の流れだったとしても、どうして今に至るまで彼女を支援し続けているんだ。このままでは、君は望んでもいない後継者に祭り上げられてしまうぞ」


 あ、うん。それはそう。

 きっと辺境スローライフを実現しようと思ったら、今すぐにでも全てをかなぐり捨てて、一人で出奔してしまうのが正解なんだろう。サイネリア組がどうなろうと本来は僕には関係のないことだし、レシーナの短刀ドスを使ったコミュニケーションもどうなんだろうと思うよ。


「僕もたぶん、メディスと同じなんだろうな」

「同じ……私と君がか?」

「うん、そうだよ。メディスだって理性では、レシーナに対する仕打ちがただの八つ当たりでしかないって理解してるでしょ。だって貴方の目的を考えれば、組長を殺して本部を掌握すれば、それで済む話だったんだから……それでも、貴方はレシーナを放っておけず執拗に命を狙った。仕方ないよ、人間の行動選択には理性だけじゃなくて感情も強く絡むものだから」


 人間は理性だけじゃ生きられない。

 貴方も、僕も。


「僕も同じだ。辺境スローライフは絶対諦めないけど、それとは別に、ただ純粋に感情として……嫌なんだよね。どうしたってレシーナを見捨てるような行動を選択することはできない。だから――」


 まったく、人生はままならないものだけど。


「僕は彼女の側にいるし、彼女を守るし、彼女のために戦うよ。辺境スローライフを目指しながらね」

「滅茶苦茶だな」

「本当にそう思うよ。だけどまぁ、理屈なら後付けでどうとでも語れるさ……さて、時間稼ぎはそろそろいいだろう。始めようか」


 そう言って、僕は体内で練り込んだ魔力を一気に放出した。

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