こちら、水泳部ですが何か?

ほしレモン

入部した先は個性豊かな仲間が集う水泳部でした!?

第1話 ここから始まる水泳部

『ナギ君!』


 小さな黒髪の頭が、青い群青色の波に消えていく。

 一生懸命、手をのばす。

 ナギ君が遠くに行かないように。


 本当は駆けつけたかったけど、私の腕をがっちりと拘束する大人の腕から、逃げることなどできなかった。


『いやっ! 離してっ‼』

『こら、落ち着くんだ! あの子は私たちが助けるから、君はここで……』


 本当に助けてくれるんだよね。

 私の知らないところになんて、行かないよね。

 

 青ざめた顔をしながら大人たちが言う『大丈夫』は、とても信じられなくて。

 

 大人の腕を振り払いながら、小さい私はそれでも手をのばした。


『ナギくーん!!!』


 私の声は、ざあざあとなる波の音でかき消された。




 その出来事から、2年が経ったある日……。



 ◇◆◇


「うーん……」


 ゆっくりと、重たい瞼を開ける。

 カーテンの隙間からあふれる光がまぶしくて手で顔をガードした。


まいー! 遅れるわよー!」


 ……お母さんの声だ。


 視界がぼやけたまま、顔だけ動かして右に置かれた目覚まし時計を見る。

 6時50分……⁉


 毎日7時20分には家を出てるから、急がないと……!

 ハッと体を起こして、ぱちぱちと瞬きする。

 ドンドンドン、と不機嫌そうに階段を上がってくる音がして、あわてて立ち上がる。


 バタンッという音がするとともに、扉が全開になった。

 そこにいたのはエプロン姿のお母さん。

 

「起きてるって……」

「もう、早く着替えないと間に合わないよ?」

「わかってるよ……」

「朝ごはんには目玉焼き焼いたから、それ食べてね」


 忙しそうにエプロンを脱ぎ、仕事に行く準備を始めるお母さんを見ながら、私は起き上がって階段を降り、真っ先に洗面所へ行く。

 冷たい水で顔を洗うと、ぼんやりしていた頭が一気に目覚める。


 リビングへ戻って、テーブルの上に用意された朝ご飯を食べ始める。


 私——水森舞みずもりまい——は両親と暮らしていて、今年から波夜なみよ中学の生徒になった。

 入学式があったのは3週間ほど前。

 やっと学校に慣れてきた感じだ。


 朝ごはんを食べ終え、急いで制服を着る。

 まだ制服に聞慣れていないせいか、Yシャツの第一ボタンがしめにくい。

 私が通っている中学校、波夜中は茶色のチェックのスカートがかわいいと評判だ。

 最後に赤色のリボンをつければ、オッケー。


 姿見で確認し、髪を低い位置で1つにまとめて家を出る。


 ちょっと急ぎ足になりながらも、いつも通りの時間に間に合った。

 ホッとしながら、教室に向かうと、さっそく隣の席の友達が声をかけてきた。


「おっはよー!」

「おはよう、あかりん。……なんかいいことでもあった?」


 あかりん――清原きよはら朱里あかり——は私の小学校からの友達で、今みたいに挨拶だけでなんとなくのことは予想できる。

 

 ずっと本を読んで目立たないようにひっそりと過ごしている私にとって、クラスの中心に立っているようなあかりんは、全くと言っていいほどタイプが逆。

 それでも仲良しなんだから、やっぱり友達って不思議だ。


「えっへへー。実はね、水泳部の王子様に話しかけられたんだぁ~!」

「ええっ! 本当っ⁉ なんて?」

「まーだいたい委員会のことだったんだけど、最後に、水泳部に来ない? って。……まあ、あたしは水泳できないからねえ……」


 キャッキャと頬を赤く染めながら、やっぱり無理かあ、とため息をつく姿はまるで百面相だ。

 そんなあかりんの姿を見てふふっと思わず笑いがこぼれた。

 水泳部の王子様かあ。

 どんな人か、少ししか見たことないからあんまりわからないけど……すっごくかっこいいって噂になっている。


「水泳部、入ればいいじゃん。そうしたら、王子様に教えてもらえたりするかもよ?」


 私が思わずそうささやくと、あかりんはそれを想像したのかほえーっと感嘆のため息をついた。


「それなら、やってみようかなあ……。じゃあさ、今日の部活動見学、いっしょに行ってみない?」

「ええー。私も?」

「そうに決まってるじゃん! ……あ、確かまいまいも水泳習ってたことあったよね? もう一回やればいいじゃん」


 「よーし、きまり!」と元気よくそう言って自分の席に着いたあかりんを見て、私も自分の席に着く。

 さっきはあかりんの手前、明るく振る舞ったけど、本当はきっぱり断りたかった。

 ガタン、と座ってぼーっと前の黒板を見る。


 ――『水泳習ってたことあったよね?』


 確かに私は習ってた。

 小学校中学年くらいから始めて、今では4泳法は完璧だ。


 ――でも、私にはもう水泳ができない。


 そう、あの日から。

 水泳というものが嫌いになってしまったのだ。



 大丈夫だよね、あれはもう昔のことなんだから。


 そうして結局、放課後に行ってみることになったのだった。


 もし、この選択がなければ私はトラウマを抱え続けたままだっただろう。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る