第23話「旅に出よう! 経済(セカイ)が終わる前に」
デュプリケイターの発表によって、世界はデフレの炎に包まれた。
しかしエコ猫が黄金都市への交易を終わらせてからデュプリケイターを発表するまでには、空白の1週間が存在する。
この期間に<ナインライブズ>は何をしていたのかというと……。
世界各地へと楽しく旅行をしていたのだった。
「わあー、これが有名なソーダ湖かぁ」
「本当にいつでもぶくぶく泡が立ってるんだね」
「糖分入りの天然の炭酸水が湧いているらしいですね。あれを瓶詰めしたソーダや、沸騰して取り出した青砂糖が近くの村の特産品として売られているのだそうです」
青く輝く大きな湖のほとりで、カズハ、エコ猫、ラブラビの3人は雄大で物珍しい光景に見入っていた。
湖面は常に気泡が立っており、炭酸飲料をコップに注いだときのようなシュワアアッという音が聞こえている。こんなジュースの中では生物は棲めないと思いきや、水の奥でソーダフィッシュと呼ばれる細長い魚が泳ぎまわっているのがかすかに見えた。刺身にするとグミキャンディのような食感があり、これを薄く輪切りにしたものが近隣の村で名物料理として提供されている。
現実では絶対にありえない、不思議な光景だった。
「こういうファンタジーな光景も楽しめるのが、VRの面白いところだよね」
「絵本の中のような世界を実際に歩いて旅できますからね。作る側は大変でしょうけど」
「アイデアさえ出せばほぼAIが作ってくれるって聞くけどね。まあアイデアを出すのも一苦労か」
エコ猫とラブラビが話しているのを背に、カズハはガルちゃんと一緒に湖面を覗き込み、ソーダフィッシュを眺めている。
「ガルちゃん、あのお魚獲ってこれる?」
「がるるぅ」
「そっかあ。ガルちゃん山育ちだもんね、泳ぎは苦手かぁ。じゃああのお魚テイムするのってどう? 泳ぎが得意な子、仲間にいないよね」
「がるがる」
「うん、確かにお魚は水の中でしか生きられないもんね。水陸両用の子、どっかにいればいいんだけど」
そのとき、湖面が俄かにぶくぶくとひときわ大きく泡立つ。
なんだろうと湖面に顔を近づけるカズハだが、ガルちゃんは大急ぎで彼女のスカートの裾を引っ張って後ろへと引き倒した。
のけぞった彼女の顔をかすめるように湖中から巨大な顎が飛び出し、ばくりと中空で閉じる。
「わわっ!? びっくりした!」
「ガルルルウッ!!」
尻もちをついたカズハの前にガルちゃんが飛び出し、威嚇の唸り声を発する。
そんな彼女たちの前に、ざばぁと音を立てて現れたのは大きなカバだった。体長5メートルほどはあり、全高もカズハからすれば見上げるほどに大きい。茶色く分厚い肌にはいくつもの傷跡が刻まれており、獲物を食らい損ねた大顎から涎を流しながら、巨大な牙と臼歯をガチガチと打ち鳴らしていた。
その名を“タンクヒポポタマス”。強靭な装甲と凄まじい突進力、鋼鉄の鎧をも砕く咬合力を兼ね備えた恐るべきモンスターだ。プレイヤーからは“戦車カバ”と呼ばれて恐れられている。その強さは元より、一度攻撃対象としてロックオンすると、どれだけ逃げても死ぬまで追跡して殺しにかかるという凶悪な特性を持つためだ。
いくら攻撃を受けても怯むことなく、狙った獲物をどこまでも追いかけて噛み砕くその姿は、まさに生ける戦車の名に相応しい。そんなモンスターが今、カズハを狙って涎を垂らしていた。
「カズハちゃん!?」
我に返ったエコ猫とラブラビは急いで荷物を捨て、背負っていた黄金銃を抜き放ち、タンクヒポポタマスに向けて構える。
「【マネーチャージ:100万ディール】!」
大金を惜しみなく注ぎ込んだエコ猫の銭投げ弾が戦車カバへと殺到する。
しかし戦車カバはその弾丸を顔面でブロックすると、ぐもおおおおおおおおと威嚇の咆哮を上げた。
「……効いてない!?」
「マスター、カバの顔面は分厚い頭蓋骨があって一番固い部分です! 銃弾でダメージを与えるなら腹を狙ってください!」
「くっ……! カズハちゃん、ひとまず逃げて!!」
まだ尻もちをついてへたり込んでいるカズハに、エコ猫は絞り出すような悲鳴で逃走を呼びかける。
カズハはぎゅっと拳を握り絞めると、自分を捕食しようとしている凶獣を見上げて叫んだ。
「水陸両用の子、みーーっけ♪」
「がるぅ」
ガルちゃんは一瞬呆れたような顔になりつつも、顔を引き締めて主人と戦車カバの間に立ちはだかる。
そしてその姿がほんのわずかにブレたかと思うと、次の瞬間には戦車カバの喉元へとかぶりついていた!
「がるるるるぁ!!」
「ブモオオオオオオオオッ!!」
ガルちゃんのスキル【デスバイト】!
クレセントセイバーの名の由来となる強靭な円月の牙にはかえしが付いており、獲物の肉にしっかりと食い込んでなかなか外れない。その威力たるや、一度噛みついたら自分か敵のどちらかが死ぬまで外れないとまで言われる、攻撃と足止めを兼ねた技だった。決してブラックすぎて死を覚悟するアルバイトのことではない!
戦車カバは喉元に食らいついた蒼狼を振り払おうと、けたたましい咆哮を上げながら顎をぶんぶんと左右に振り、ドスンドスンと5トンもの巨体で地ならしを行う。その衝撃に揺さぶられながらも、ガルちゃんは主人を守ろうと必死に牙を突き立てて抵抗する!
「ガルちゃん、えらい! そのまま抑えてて! おいで、コンちゃん!」
「ケーーーン!」
カズハの影が膨らみ、中から狐が飛び出してくる。
体長は2メートルほどで、すらりとした優美なシルエット。どこか雅と高貴さを感じさせる女性的な顔立ちで、体は純白の毛で包まれ、その毛先にはチリチリと常に青い炎がまとわりついていた。
前日に旅行した和風フィールドでテイムしたばかりの新入りモンスター、その名も“シラヌイ”のコンちゃんである。
『……あるじ。わらわ一応、結構な高位モンスターなのですが。そのコンちゃんという名前はあまりにも安いのでは……』
「そういうのいいから! 【蒼の焔】で援護だよ!」
『むう。活躍したら、もっと風雅な名前をくださいませ』
ぼやきながらもコンちゃんが一声吠えると、彼女の周囲に青い人魂がいくつも浮かび上がる。そのひとつひとつが人間の頭よりも一回りも大きく、内部には思わず背筋も凍るような怨嗟の色を浮かべた二対の瞳が燃えていた。
「ケーン!」
遠吠えするかのようにのけ反りながらコンちゃんが吠えると、青い人魂はすさまじい勢いですっ飛んでいき、戦車カバを取り囲んでメラメラと炙り始める。
「ブモオオオオオオオオオオッ!!」
大きな熱ダメージと身の内から湧き上がるような冷や汗に、戦車カバは苦悶の声を上げた。何者にも怯まず目標を殺すはずの戦車カバが、動きを封じられている。
【蒼の焔】は炎属性の大ダメージを与えると同時に、対象に恐慌デバフを付与するスキルだ。恐慌状態に陥った対象は、一定確率でアクションがとれなくなる。発動にランダム性があるとはいえ、うまくハマってくれれば隙を晒してくれる。そう、目の前で熱と恐怖に身もだえている戦車カバのように。
「よし! 後は任せて!!」
「よくもカズハ様を狙いましたね!!」
すさかず敵の斜めに回り込んだエコ猫とラブラビが、胴体へと黄金銃の照準を合わせる。エコ猫は右斜め、ラブラビは左斜めから、致命の一撃を繰り出そうと――
「あ、殺さないでね! この子ほしいんだから!」
「善処はする!」
「殺さないのは苦手ですが、頑張ります!」
ラブラビさん何か物騒なこと言いませんでしたか。
ともかくカズハの声に応えて、エコ猫とラブラビの銃が火を噴いた。
『【マネーチャージ:100万ディール】!』
金の弾丸が、狙い過たず戦車カバの胴体を貫通する!
戦車カバのHPはゴリッと減少し、一気に瀕死へと追い込まれた。
これが……俺たちの金の力だッ!!
「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
しかし死期を悟った戦車カバはスキル【火事場のカバ
HPが10%以下になったとき、10秒の間だけ攻撃力とスピードに強力なバフを与えるスキルだ。
「きゃうんっ!?」
戦車カバが後ろ脚を地面に叩き付けると、ドスンと大地が揺れるほどの地響きが轟き、その衝撃でガルちゃんが振りほどかれる。
戦車カバはせめてカズハを道連れにしようと、爛々と真っ赤に染まった瞳で獲物を睨み付け、顎を大きく開きながら彼女に飛びかかった。
「ぐるるるるぁっ!!」
バウンドして地面に叩き付けられたガルちゃんは、主人に逃げるように必死で呼びかける。
しかし彼の主人は、一歩もその場を動かない。それは恐怖に身が竦んでいるのでもなく、パニックに陥っているのでもなく。ただ必要な動作だけを淡々と行った。
「ハイパーテイムボール、いっけえ!」
ぽいっと無造作に放り投げられた捕獲アイテムから発せられた光が、突進を仕掛ける戦車カバを包み込んでいく。そのまま戦車カバはボールに吸い込まれ、ころころとカズハの足元に転がってきた。
うにゅん。うにゅん。ぴたっ!
≪おめでとう! タンクヒポポタマスのテイムに成功しました!≫
「やったあ! ゲットだぜ!」
カズハはうきうきとボールを拾い上げると、トロフィーのように頭上に掲げる。その表情はどんなレアなドロップアイテムを得たときよりも嬉しそうな笑顔だった。
「お、良かったじゃん。新しいお友達だね」
「うんっ! ありがとう、お姉ちゃん!」
「ふふ、カズハちゃんが喜んでくれるなら全然大したことじゃないよ」
喜ぶカズハに目を細め、エコ猫はうんうんと頷く。
ひとしきり幸せを噛みしめたところで、エコ猫は思い出したようにフォローに入った。
「……でも私だけじゃなくて、ラブラビやお友達にもお礼を言った方がいいと思うよ」
「うん! ありがとう、ラブラビさん!」
「いえいえ、どういたしまして。良かったですね、カズハちゃん」
ハートのエプロンの裾を軽く持ち上げて、ラブラビが微笑む。
「それからガルちゃんとコンちゃんも、頑張ったね! えらい!」
『当然のことです。むしろ最後に主人を危険にさらしたことが悔やまれます……』
『でしょう。わらわは役に立つのです。ですのでそれに相応しく薫り高い芳名をひとつ』
「あ、名前は変えないよ? なんで嫌がるのかな、コンちゃんって可愛いのに」
『で、でもわらわ人型に変化できるのですよ? 人間に化けたときコンちゃんという名はあまりに違和感が』
「変化させるつもりは永遠にないし、勝手に人型になったら解雇するからね」
「こおーーーーん!!」
コンちゃんの訴えをスルーして影に引っ込めたので、最後の方はドップラー効果で「ぉーん」と小さく遠ざかっていった。アワレ!
そしてカズハはいそいそと、新しい仲間をボールから取り出す。
体長3メートルほどに縮んだ戦車カバは、先ほどの凶暴さとは打って変わり、のんびりとしたつぶらな瞳で新しい主人を見つめていた。
「あなたは……ブモちゃんはなんか違うな。よし、ヒッポちゃんで!」
「ぶもー」
名前をもらった戦車カバは、カズハにすりすりと顔を擦りつけて恭順の意を示す。
そのとき、ピロンと音を立ててカズハの視界にシステムメッセージが表示された。
≪ミッション条件達成:レアリティ7以上のモンスター5体をテイムした≫
≪条件を達成したので、称号【熟練のテイマー】を獲得しました≫
≪称号と同名のスキルを習得可能になります。スキルポイントに余裕があるため自動習得します≫
「おおー」
突然のシステム通知にカズハは目をぱちくりさせる。
どんなスキルなのかなと、早速チェックしてみると……。
【熟練のテイマー】
『テイムモンスターを同時に3体まで呼び出せる』
「おっ! カズハちゃんすごーい! おめでとう!」
「一人前のテイマーの証ですね。高レベル帯のテイマーには必須のスキルです」
ぱちぱちと拍手して祝福するエコ猫とラブラビに、カズハはえへへと照れる。
しかしやがて少し冷静な顔になると、カズハは顎に人差し指を添えた。
「……でも、いいのかな? ボク、別にレア度7のモンスターを5人捕まえたわけじゃなくて、ガルちゃんやピーちゃんにペットフード食べさせて育てたんだけど。これズルじゃない?」
「いいのいいの! 別にそんなこと気にしなくたって。MMOなんてパワーレベリングだって許される世界なんだし、そんなのアリアリでしょ!」
「そうですね。というか、ゴールデンペットフードで進化させる方が明らかに難しいので何も問題はないと思います」
エコ猫とラブラビの言葉を受けて、カズハはにぱっと屈託なく笑顔を浮かべた。
「そっかあ。じゃあいいか! えへへ、これからはずっと3人出して冒険できるね!」
「がるぅ」
「ぶもー」
「ぴぃ」
カズハの声に、彼女が使役するガルちゃんとヒッポちゃん、そしてピーちゃんが応える。……いや、お前いつの間に這い出てきてんだよファッキン死神バード。
しかもヒッポちゃんの口の中に入り込んで、嬉しそうにぴぃぴぃと囀っていた。
『なんだかなんだか居心地いいわ! 暗くて広くて落ち着くわ! ここをピィの別荘にしてあげる! 綺麗に可愛く飾り付けてあげる!』
『ええ……? キミはなんなのだ……。まあいっか』
『いいのですか? 図体だけでなく器までデカいのですね貴君』
そのまま噛み潰しちまえよとエコ猫は思ったが、口には出さなかった。
戦闘と同時に放り出したリュックを担ぎ直し、仲間たちに声を掛ける。
「さて、じゃあ旅を再開しましょっか。今日はあと3つくらい都市を開拓しておきたいから」
「そうですね。デュプリケイターを発表する前に、主要都市は全部訪れておきたいですし」
「はーい。じゃあみんな、影に入ってね」
彼女たちとて、別にただの物見遊山の観光旅行を楽しんでいるわけではない。
その目的は、
『ケインズガルド・オンライン』では都市に存在するゲートを使用することで、別の都市へとファストトラベルすることができる。しかしゲーム開始直後からすべての都市へ行けるわけではない。一度は自分の足で訪れた都市にのみファストトラベルできる仕様なのだ。
商人としてアイテムを売り歩くには、ぜひともファストトラベル先を開拓しておく必要がある。交易中はファストトラベルできないとしても、別に装備品や消費アイテムを売り歩いてもいいし、交易の起点となる街への移動も格段に楽になる。
これまではファストトラベル先を増やそうにも戦力不足で旅ができなかったが、ゴールデンペットフードでのテイムモンスターの強化や、多額の資金で銭投げできるようになった今なら話は別だ。
モンスターはテイムモンスターや銭投げで蹴散らし、PKに出会ったらピーちゃんの歌とハイドクロークでMPKして、3人は次々と新しい都市を訪れていた。ちなみにドンちゃんはカズハが身バレしてしまうので使用禁止である。ぐるるぅ……。
カズハが弱体化してしまうのでエコ猫とラブラビしか同行できないが、他のクランメンバーも独自に護衛を雇って交易がてらに、新しい街を巡っていた。
何しろ1週間後には世界が荒れてしまうので、安全に旅行できるのは今だけなのだ。まあ荒らすのもエコ猫なんですけどね!
「次の都市にはアレ、あるかなあ?」
「算盤には反応してたし、まだいくつか売りに出されてるんじゃない?」
「逃さず回収しておきませんとね」
3人はのんびり会話しながら、のどかな青空の下をてくてくと歩いていく。
これからは忙しくなるから、こうしてゆっくりした時間を過ごせる機会は当分ないかもしれない。その貴重さを噛みしめるように、エコ猫は愛してやまない妹を目に焼き付ける。
「こんな日がずっと続いてくれたらいいのになぁ」
「ふふっ。でもきっと、それはそれで退屈しますよ」
「そうだねえ。ままならないなあ」
「ボクはお姉ちゃんと一緒にいられたらそれで幸せだよ。忙しい日も、暇な日も」
「奇遇だね、私もだよ」
妹と顔を見合わせて穏やかに微笑むエコ猫。
道をすれ違う誰が見ようとも、彼女の姿はとてもこの5日後にデュプリケイターを発表して世界を荒らす女には見えなかっただろう。
そしてこの楽しい旅行が経済にトドメを刺す一手とは、誰も気付かなかったに違いない。
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