第21話「あーあ、経済こわれちゃった」

「もっとだ、もっと金を作らないと!」



 大規模クラン<アルビオンサーガ>の女性マスター・ルイーネはクランが持つ銀行口座の残高表示を見ながら吠えた。



 エコ猫が実況配信で“デュプリケイター”の存在を発表した直後から、ワールド全土が狂騒で沸き返った。


 まず誰もが考えた疑問が、エコ猫はどうやって未知の複製機を発見したのかということだった。

 どこかに未発見の隠しダンジョンがあるのではないか、あるいは金丼を進化させると生産するのではないか、金丼をテイムするくらいなのだからデュプリケイターを産むレアモンスターもテイムできたのではないか、金卵から作れるドリームゲートで何らかのアイテムダンジョンに潜ったのではないか……。

 さまざまな仮説が立てられ、検証が重ねられたものの、結局誰もデュプリケイターを発見したという者は現れなかった。もっとも、発見したとしても他人に教えたかどうかは怪しいが。

 なお、ドリームゲートを生産して検証しようとした者たちが買い漁ったため、市場からは金卵の在庫が完全に消えた。ただでさえ少なくなっていたのに、もはや見ることは絶無である。


 タダで手に入れることができないなら、大金を出して買うほかない。

 資金力に自信のあるクランは商人・戦闘を問わず、オークションに向けて金を稼ごうと躍起になって金稼ぎを始めた。


 <アルビオンサーガ>もそうしたクランのひとつだ。

 彼らは交易重視の商人クランであると同時に、戦闘力に秀でたパーティを2つ抱えている戦闘クランでもある。商人クランと戦闘クランであることは矛盾しない。高い利益率を出せる交易路は道中に“赤”ゾーンがあることが多く、PKから積み荷を守るための護衛が必要になるからだ。


 護衛は戦闘クランから人を雇って済ませるという商人クランは多い。たとえばエコ猫率いる<ナインライブズ>もそうだ。<守護獣の牙ガーディアン・ファング>や<We can fly!!>といった有力なPKKクランを贔屓にしている。戦闘クラン側にとっても護衛料をもらえるうえに、ついでに自分たちで交易をすることもできるのでありがたい話だ。


 しかしこの場合、交易できるかどうかは戦闘クランの都合に左右されてしまう。戦闘クラン側の手が空いてないので交易ができない、という事態があり得るのだ。

 だから自前の戦力を確保していつでも確実に護衛できるようにする、という考え方もあり、<アルビオンサーガ>はこちらを採用していた。


 さて、そんな<アルビオンサーガ>の戦闘チームを盤石にしているのが、家宝と呼べる激レア装備“ミスト・オブ・メリュジーヌ”だ。

 腕輪型のアクセサリで、使用するとPT全員に攻撃魔法・ブレス攻撃・状態異常を20秒に渡って軽減するバリアを張り、使用しても破壊されることはなく50秒のクールタイムで再発動できる。言うまでもなく対モンスター・対PKを問わず非常に強力で、ルイーネ率いる戦闘チームはこれを駆使して数々の大物モンスターを狩ってきた。


 その強力さにふさわしく、製造難易度は至難の一言。超強力なレイドモンスターを何十体もハムハムと周回してようやく1つ得られる素材を大量に集め、高レベルの鍛冶師に製造してもらわなくてはならない。エンドコンテンツに相応しい強力さではあるが、手間も費用もものすごくかかる。

 しかし、これはどうあっても2つ欲しいアイテムだった。クールタイムをずらして使用すれば、隙間となる10秒を除いて常時バリアを張り続けることができる。そうなればより強力なモンスターに対抗できるようになるだろう。あるいは、2つある戦闘チームに分けて持たせてもいい。


 なんとかもう1つ作ろうと四苦八苦していた彼らの元に舞い込んだのが、“デュプリケイター”の存在だった。この機会を逃す手はない。

 ルイーネはクランメンバー全員を招集して、全力で資金確保に走った。


 自分が率いる戦闘チームは強力なモンスターを狩ってその素材を売却し、所有する街や村から得た交易品を使って商人たちに交易路を巡回させ、大きな販路には護衛として空いた戦闘チームをあてがう。リーダーが動かなければ下は付いてこないとの考えから、ルイーネは常に強敵と戦う側の戦闘チームに所属し、メンバーを交代で休ませながら自分は昼夜を問わず強敵を狩り続けた。“ミスト・オブ・メリュジーヌ”はルイーネが装備しているので、そうせざるを得ない。


 これがあれば、クランは大きく進歩を遂げる。輝かしい未来へ続く道が見えていた。



「マスター、これ本当に必要なことかなあ?」



 商人のひとりがそんな疑問を口にしたのは、3日目のことだった。

 何を言っているんだと、ルイーネは寝不足で憔悴した頭で応える。


 “ミスト・オブ・メリュジーヌ”がもうひとつ必要だということは初日に全員を集めて説明したし、彼らだって納得したはずじゃなかったのか。こうして一丸になって頑張っているときに、そんな士気を削ぐようなことを口にするとは。



「だってこれまで、1つで回ってたじゃない? これからも1つで充分なんじゃないかなあ。さすがに苦労に見合わないんじゃないの?」


「そんなことはない! 2つあれば本当に楽になるんだ! この機会を逃してどうする、この1週間を頑張り抜けばいいだけなんだぞ! むしろあの苦労をもう一度する方が、どれだけ大変かわからないのか!?」


「いや、だって……。俺たちが楽になるわけじゃないし……」



 ルイーネは頭を殴られたようなショックに愕然とした。


 ずっと戦闘チームを率いて戦っていたルイーネは、商人たちとの間に温度差があることをその時になってようやく知ったのだ。

 言葉を探して放心するルイーネの横で、戦闘チームのメンバーが苛立ちを隠さない様子で商人に反論する。



「何言ってるのよ! 絶対必要でしょ! 私たちの戦闘が楽になれば、アンタたちだってより高いモンスターの素材を売れるようになるし、護衛される側も助かるじゃない! なんて視野の狭いことを……!」


「でもさあ……正直ずーっと交易するの疲れてきたんだよ。まるでブラック企業じゃんか、これ。そりゃ交易も楽しいけど、強制されて昼も夜も続けるのしんどいよ。そっちはモンスターと戦ってスリリングで楽しいだろうけどさ」


「私たちだってキツいわよ! それを自分たちだけキツいみたいに! 泣き言ばかり言わないで!」


「泣き言とはなんだよ!?」



 同じクランに属していても、戦闘チームと商人の間には決定的な認識の差があった。商人たちは戦闘チームの苦労がわからないし、戦闘チームには商人たちの疲労がわからない。

 そしていかにゲームと言えども、ノルマを課されて働くのは辛いものだ。その先に素晴らしいメリットが待っているとしても、メリットを可視化できない商人側にとっては気が滅入ってくるのは仕方のないことだった。一方、戦闘チームはそのメリットの価値がわかるから、商人たちが泣き言を言っているようにしか見えない。



「マスターはどう思ってるんだよ!」


「馬鹿ね! マスターは当然このまま続行に決まってるでしょ!」



 いがみ合う商人と戦闘チームの間に挟まれ、ルイーネは頭を抱えた。

 商人と戦闘チームを両方抱えることのデメリットを、ここに来て痛感していた。


 この温度差から生まれる軋轢こそが、特化クランが存在する理由だ。混合クランは普段の活動をする分には問題がなく効率的に思える。だがいざ大きな行動をするときにメンバー間で認識の温度差があると、途端に機能不全を起こしてしまう。行き着く先は空中分解だ。

 大号令を発してメンバーを全員同じ方向に向かせるなら、同じような役割のメンバーだけで揃えるか、あるいは強力なカリスマ性を持ったリーダーが問答無用で命令に従わせなくてはならないのだ。



 だがそれでも、ルイーネは仮にも自分のクランを大規模と呼べるまでに育て上げた傑物である。カリスマだって持ち合わせているし、意に沿わない者を説得して意識を変えさせるだけの弁舌力も備えていた。



「これは祭りだと思え!!」


『!?』


「こいつは1週間限りのお祭りだ! ガンガン働き、ガンガン稼げ! 銭でできたケンカ神輿で、他のクランをぶっとばすのが目的だと考えろ! そーれ、ワッショイワッショイ!! ……お前らも私に続け! 口に出せ、ワッショイワッショイだ!!」



 困惑して顔を見合わせていた商人と戦闘チームは、やがて誰からともなく後に続く。



「……わっしょい、わっしょい」


「声が小さいぞ! 腹の底から声を出せ! ワッショイワッショイ!!」


『ワッショイワッショイ!!』


「ワッショイワッショイ!!!」


『ワッショイワッショイ!!!!!!!!』



 半ばヤケっぱちで口にしたが、そんな彼らを包んだのは謎の一体感だった。

 日本人のお祭り遺伝子が刺激されたのか、心がみるみる高揚してくる。


 期限を1週間、目的は銭で他のクランをぶちのめすことと定義されたのも良かった。期限が設定されていれば苦労も耐えやすくなるし、全員が共通の目的を持てるならそちらに向かって協力して走り出せる。


 ノリノリになってきた彼らの音頭を取りながら、ルイーネはしかしこれは一週間限りの荒業だなと冷静に観察する。それ以上はもたないし、二度と同じ激励はできない。そのときは容赦なくクランが崩壊する。



(だが、今回さえ持ちこたえられればよいのだ……!)



 このとき、<アルビオンサーガ>と同じように崩壊の危機にさらされたクランは多数存在した。ルイーネと同じ手段で乗り切ったところもあれば、別の手段で団結したところも、そもそも初手から崩壊を見越して予防手段をとっていたところもある。


 そして、制御に失敗して解散の憂き目にあったクランもいくつも出た。もっとも、崩壊して放出されたメンバーはすぐに他のクランに入り込んだり、個人商人としてたくましく生き抜いたのだが。

 国破れて山河在り、こいつらのしぶとさは特筆すべきものがあった。廃墟から這い出るGかよ。



 意図してかどうかはさておいて、お祭りムードを演出して乗り切ったクランは結構多かったようで、このときプレイヤーたちの多くはやたらハイテンションだった。みんながみんな、キまった目でお金稼ぎたのしー!!と労働に勤しんでいる。デスマーチ初日のブラック社員にありがちな空気感である。


 ワールド規模の異常が発生したのは、4日目に入ったあたりのことだった。



「……なんだ? 交易の儲けが目に見えて落ちているぞ!?」



 上がってきた収支報告と銀行残高を狩りの合間に見ていたルイーネは、しょぼしょぼする霞み目を擦りながらクラン員の商人に問い合わせた。



「まさか、誰かサボっている奴がいるのか!?」


「ち、違いますよっ! みんなちゃんと巡回してます!」


「じゃあなんで収入がこんなに下がっているんだ?」


「飽和とデフレですよ! 交易や素材売りがあまりにも活発化しすぎて、全都市でモノが余ってるんです! その一方で、みんながみんな都市からお金を引き出して手元においたせいで、都市で流通してるお金がなくなって、物価が激下がりしたんですよ!!」


「なっ……なんだと……!?」



 需要と供給のバランスは、この時点で崩壊の危機を迎えていた。

 とにかくワールド中の大手クランが熱心に交易を行ったせいで、各都市の市場に大量の在庫という過剰供給が発生。一方で彼らは“デュプリケイター”を買うための現ナマを手元に集めようとモノを買い渋ったので、需要がものすごく下がった。


 もちろんクラフト系のプレイヤーは素材を消費して上位アイテムを作るために市場からアイテムを買うから需要がなくなったわけではないが、それにしたって供給があまりにも多すぎる。となると、物価が下落するのだ。


 さらにデフレの原因はそれだけではない。街で流通する貨幣自体が減り過ぎることでも、物価は下がる。何しろそのままの額ではモノを買えなくなるのだから当然だ。

 貨幣が都市の経済を巡る血液だとすると、みんながみんな寄ってたかって血を吸い出して貧血になっているような状態である。


 さらにこの現象はひとつの街に留まらない。『ケインズガルド・オンライン』では物価は街ごとに設定されているのだが、あるアイテムを別の街でならより高く売れるとなれば、みんなそちらにアイテムを持ち込むに決まっている。そしてその街での供給が過剰になり、貨幣が流出して、物価が下がる。デフレの大感染だ!


 ルイーネは呆然とした顔で銀行口座を見つめていたが、やがて慌てて全額引出しにかかった。このままでは預金を凍結されかねない!

 みんながみんなそれをすると金融恐慌が発生する危険性は重々承知していたが、そうしなければ破産する可能性すらあった。



(どうする!? ここで手を引くか? 今手を引けば火傷はしなくて済む)



 銀行から下ろした資産をクランの金庫に収め、ごくりと唾を呑み込むルイーネ。

 引くか進むか、ここが大きな分岐点だ。

 物価は現在格段に下がってしまっている。ということは同じ交易をしても、利益はガン下がりだ。目標額までの道のりは数倍になったと言ってもいい。なにせ売るものすべてが本来の価格よりも目減りするので、売れば売るほど出血することになる。

 そこまでやって、結局落札できませんでしたとなったときのクランの士気に与えるダメージは計り知れない。


 クランマスターとして、ルイーネは悩み……。そして決断を下した。



「ここは諦……」


「でも行くしかないですよね、マスター!!」


「えっ」



 ぽかんとするルイーネに、クラン員たちは戦闘チームも商人もメラメラと燃える炎を瞳に宿しながら、元気ハツラツと意気込みを語る。



「ここまで頑張ってきたんです、今更後には引けませんよ!」


「こいつの言う通りです! 俺たちの力を他のクランに見せつけてやりましょうぜ! 銭でできたケンカ神輿だ!! ワッショイ!」


『ワッショイ! ワッショイ!!』


『イエーーーーーイ!!!』



 まずい、焚きつけ過ぎた……!!

 ワッショイワッショイとエア神輿を担いで盛り上がりまくるクラン員たちを、ルイーネは青い顔で見つめた。

 アカン感じに調子に乗ったうえに、見事にコンコルド効果にハマっている。


 ここでクランマスターの鶴の一声で無理やり止めること自体は可能だ。しかしここまで乗り気になってしまっているのに水を差しては、反動でクランが空中分解しかねないほどのダメージを受けるのではないか。

 それにせっかく彼らがやる気を出して盛り上がっているのだ。落札を狙うなら今は絶好のコンディションと言えるはず。それに、ルイーネ自身もここまで頑張って今更諦めるのはもったいないという思いがある。



「……よし、一丸となって落札を狙おう!」


『わっしょーーーーい!!』



 自身もずっぷりとコンコルド効果にハマっているのを自覚しながらも、ルイーネは奥歯を噛みしめてGOを宣言した。


 なお、ルイーネは目標額を700億ディールと想定している。

 “ミスト・オブ・メリュジーヌ”が市場で出回っているのを見たことがないので正確な値段を付けられないが、おそらく500億ほどだろう。ある廃人プレイヤーが手放した最高レアの武器が500億だったので、それと同額とみなす。つまり今回のオークションの損益分岐点は500億以下で、それを越えたら赤字になる。

 だが、問題はこれがオークション形式だということ。自分と同じく最高レアの装備を増やしたい者もいれば、投機に使いたい者、あるいは自分のクランの権勢を誇るトロフィーとしたい者もいるだろう。

 手に入れるためには500億を超える出費が必要となるのは確実で、ルイーネは自分のクランの限度額を700億と見積もった。……まだ全然足りてない!



「交易で足りなければ、クランに保存してるアイテムも売り払っていい! とにかく何としても金を集めるんだ!!」


「わっかりましたあ! 手に入らなければ大損ですけど、手に入れさえすれば無問題! どんどんいきましょうワッショーイ!」


「……ああ!」



 ルイーネは(手に入っても大損なんだがな……)という言葉を必死に飲み込みながら、大出血覚悟の道を選択した。虎穴に入らずんば虎子を得ず! 虎子を得た後無事に帰れるかは、得てから考えよう!


 大クランがそうした激痛を味わっている一方で、中小クランやこのオークションに無視を決め込んだ一部の大クランは超ハッスルしていた。



「買え! 買え! 今なら何だって激安だ!! とにかく買えるものを買えるだけ買い漁るんだ!!」



 そう、物価が落ちているということは、思いっきり買い手市場なのである。

 そしてこの大騒ぎが終わったとき、物価が元の額に戻ることは目に見えている。現時点で何を買ったとしても、元の額に戻ったときに売れば差額で濡れ手に粟の大儲けが可能なのだ!


 これに気付いた中小クランは大はしゃぎした。これはかつてないビジネスチャンス!! 金丼さんのテイムや金卵狩りなんてやってる場合じゃないぞ。乗らなきゃ、このビッグウェーブに!

 これは大クランにワンツーパンチで勝利して成り上がる絶好のチャンスだ。株でも街でも買い漁れ! いただけストレート!!


 そしてそんな中小クランに混じって、各都市の市場を札束でビンタして回る猫獣人やゴスロリ少女、ラブリーウサギの姿があったことは言うまでもない。



 市場はまさに世紀末! 大中小のクランが躍り、売りと買い、悲鳴と歓喜の絶叫が入り混じる!

 誰もが下剋上を成しうる金融戦国時代がやって来た!!



 ……だが、この悲喜劇もまだ始まりに過ぎなかったことを、このとき誰も気付いていなかったのだ。

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