第9話「若きベンチャー経営者の悩み」

 こうしてPKクラン2つの崩壊を伴った<金丼事件>は幕を閉じた。


 実況動画サイトではエコ猫のチャンネルが大きく登録数を伸ばす。

 さらにはその転載動画がいくつも作られ、<ナインライブズ>のクラン員を自称する者やエコ猫の中の人を自称する者たちの動画が次々とアップされ……まあ、いつもの流れだな!


 しかしエコ猫はこの後しばらく、実況動画を配信することはなかった。

 そんな些事に構ってらんないほど忙しいことになっていたからだ。



「お声がけいただきありがとうございます。ゴールデンエッグの販売については、現在他のクライアント様からもお声をいただいておりまして……」


「申し訳ございませんが、弊クランの誰がテイマーなのか、テイムのコツを教えてほしいといったご質問にはお答えできません」


「弊クランを合併する前提で買い取りたい、と。ありがたいお話ですが、それはご遠慮させていただければ。テイマー以外のクラン員も大切に扱っていただける……と。いえ、そういうことではなく……」




 次から次へと舞い込んでくる、大規模クランからのオファーの数々。


 ゴールデンエッグの定期納品を求める案件から、テイム技術の講座を開いてくれないかという依頼、<ナインライブズ>を吸収合併する見返りにエコ猫個人に多額の報酬を渡すという実質的な買収案まで。


 ベンチャー企業には軌道に乗るまで経営してビジネスモデルを構築したら、M&Aで他企業に売りつけて、次は別のビジネスモデルの構築を始める……というビジネスモデルがあると聞いたが、なるほどこういう感じかーとエコ猫は納得した。



「なんだかすごいことになってますね、マスター」



 <ナインライブズ>のクランハウスに設けられたマスターの執務室で、椅子にぐたーともたれかかるエコ猫。

 そんな彼女の前に、ことんと音を立ててホットココア入りのマグカップが差し出された。



「一息つかれてはどうでしょうか」


「ああ、ありがとう、ラブラビ」



 休憩の提案をしてきたのは、エコ猫の専属秘書ことラブラビだった。

 ウサギ型の獣人アバターで、いつもほわほわとした笑顔を浮かべている人好きのする女性だ。全体的にウサギが主人公のイギリスの有名童話に出てくるお母さんウサギに似ていて、ピンクのハートをあしらった愛らしいエプロンがトレードマーク。名前の由来の“ラブリーラビット”にふさわしい温厚さで、しかも事務処理能力に長ける。

 誰に対しても親切でクランメンバーからも大変慕われており、エコ猫にとってかけがえのない右腕だ。


 そんな頼れる秘書が勧めるままに、エコ猫はホカホカと湯気を立てるココアを口にした。

 コク深い甘味に、ほっと息を漏れる。あくまでもVRなので実際には糖分やカフェインが脳に行きわたりはしないが、やはり甘味は心を癒してくれる。



「そうねぇ。なんだか自分がベンチャービジネスで大成功した若手実業家みたいな気分になるわ」


「実際その通りでしょう? 急にチヤホヤされるのも、歴史の浅さも、後ろ盾のなさも含めて」


「……それもそうね」



 ふふっと微笑みながら、ラブラビは執務室のソファーでくつろぐカズハの前にもマグカップを置いた。



「はい、カズハちゃんもあったかいものどうぞ」


「あったかいものどうも、ラブラビさん」


「マシュマロもあるから、お好みで溶かして飲んでね」



 ラブラビからココアを受け取ったカズハは、勧められた通りマシュマロを浮かべた。ウサギや猫の顔を象った可愛いマシュマロが溶けていくのを眺めながら、両手でマグカップを抱えてちびちび舐めている。


 人間嫌いのカズハだが、獣人アバターの相手には比較的態度が柔らかい。このゲームの獣人のケモ度がかなり高いせいもあるのだろう。絶対開発者に重度のケモナーがいるぜこれ。

 カズハと相性がよさそうな者を重点的にスカウトしたため、<ナインライブズ>所属の20名のクラン員の大半は穏やかな性格をした商人クラスの獣人アバターだ。人間アバターはカズハと、傭兵のレッカとクロードくらい。優しいケモノたちに囲まれて、カズハは毎日幸せそうである。特にラブラビにはよく懐いていた。


 ウサギのお姉さんに甘やかされる銀髪ゴスロリ少女という癒しの光景を眺めながら、エコ猫はずずっとココアを啜った。

 同時に頭の中でパチパチとそろばんを弾きながら、今後のプランを考える。



(合併併合や買収は全面的にNG。このクランに集まって来てくれた子たちの安全と自由を確保するためにも、人事権は手放せない。そもそも私がマスターじゃないとマネーゲームの面白さを味わえない)


(でもなー、やっぱりカズハちゃんのことを考えたら寄らば大樹の陰ではあるんだよね。何不自由なくペットモンスターの世話して暮らすのがカズハちゃん的には一番プレイスタイルには合ってるだろうし。それを考えたらでかいクランに所属した方が安心だし。とにかくできるだけカズハちゃんが幸せでいられる環境がほしい。それならクランは大きい方がいいに決まってる)


(ただ、でかいクランだと逆にカズハちゃんにちょっかい出してくる奴が出てストレスになるかもという懸念もあるし。温厚な獣人に囲まれてる今が、カズハちゃんとしては理想の環境なんだよね。いっそ<守護獣の牙>と合併すれば私の目が届くか……。いや、でもPKKクランはなー。戦闘メインの子が多いとカズハちゃんが怯えるよね。だからここを立ち上げたわけで……)


(やっぱりどこかのクランとゴールデンエッグの専売契約だけ結ぶのが一番か? クラン間でセリをさせて、一番高いところに。いや、でもそうすると下位組織みたいな扱いにされかねないんだよね。どこだってカズハちゃんそのものが欲しいし。そうすると定期契約にしていろんなクランに持ち回りで売るのが一番マルいか。でもなー、もっといい手はないかなー)




 ぐるぐると思考を巡らせるうちに、エコ猫の頭が再びショートを起こす。

 んんんんーと頭を抱えてから、エコ猫は机に突っ伏した。

 彼女は助けを求めるように妹に上目遣いを送り、困り切った声色で口を開く。



「カズハちゃんはどうしたい……?」


「お姉ちゃんの好きなようにしたらいいと思うよ」



 いつも通りの答えであった。カズハはいつもそうして姉の背中を楽しそうに見ている。

 ただし、今日は一言だけ長かった。



「ボクはお姉ちゃんが楽しそうにしてるのを見たいな。それがボクの幸せだから」


「………………」



 カズハの言葉に目を細めて頭を撫でるラブラビと、えへーと笑い返すカズハ。

 そんな彼女たちを見るうちに、エコ猫の頭がすっと冷えていく。



(何を思い違いをしていたんだ、私は)



 どこかの大きなクランに寄りかかって、カズハちゃんが生み出すゴールデンエッグを売りつける? それって卵を産むめんどりをどこの養鶏場に売るかって話とどう違うの? それで一番大きな養鶏場に売ったからって、カズハちゃんは幸せになるの?


 違うだろ。そうじゃないだろ。


 カズハちゃんはありがたいことに、私が楽しいと幸せだって言ってくれる。

 だから私が楽しくなけりゃダメなんだ。カズハちゃんを幸せにするために、私はもっと“楽しい”を追求するべきだ。


 そして私がもっと楽しむには……。



(足りない)



 時価1億ディールのゴールデンエッグの定期生産。

 自分のクランよりももっと大きなクランたちをぶつかり合わせる全能感。

 しがない零細クランマスターの自分に突然訪れた、身に余るほどの大冒険。


 先ほどまでエコ猫はそのスリルにワクワクしていた。

 しかし、なんだか急にそれでは物足りなくなってきたのだ。



(もっと大きなビジネスチャンスが欲しい)



 定期的にゴールデンエッグを得られるというだけでは足りない。

 それでは巨大クランのご機嫌をうかがいながら、ゴールデンエッグを献上しているに過ぎないからだ。所詮は世の中の枠組みの中で精一杯の上限を目指しているだけ。


 下級戦闘クラスが最底辺の素材を売って小銭を稼ぎ、素材で下級職人がアイテムを作り、中級戦闘クラスがアイテムを買ってより強いモンスターを狩り、その素材で中級職人がより強いアイテムを作る。


 そうした既に固まり切った経済システムの流れの中で、いきなりイレギュラーで最上級に割って入れるというだけ。


 そんなことよりももっともっと、何かすっごく面白いことをやりたい。


 そうだ、常識をぶっ壊したい。価値観を塗り替えたい。

 ゲームの経済を根本的に破壊できたら、きっとすごく面白くて楽しい!!



 だけど、そのためにはどうしたらいいのか、今のエコ猫にはわからなかった。

 アイデアが貧困なのか。経験が不足しているのか。

 それともゴールデンエッグでは、まだネタとして弱いのか。


 エコ猫は小さく溜息を吐いて、カズハの頭を撫でた。



「何でもいいから、すごく面白いことがしたいね……」


「うんっ」



 姉に可愛がられたカズハは嬉しそうに頷き、思い出したように上目遣いを向けた。



「あっ、そうだ。そういえば行ってみたいダンジョンがあったんだった。ねえお姉ちゃん、お出かけしてもいい?」


「もちろんいいよ」



 カズハが自発的に何かをしたがるのが嬉しくて、エコ猫はニコニコ笑顔になった。

 学校に通わず家に引きこもり、ネトゲでペットの世話をするか、何やら小説を書くかで一日を過ごすカズハ。一応通信教育は受けているが、妹のこもりきりの生活には姉として胸を痛めていた。

 そんな彼女がネトゲとはいえ自発的に何かしたいと言い出すのが、エコ猫には嬉しくて仕方がなかったのだ。



「それとね、ゴールデンエッグをいくつか使いたいの」


「ああ、装備を鍛えたいの? もちろんいいよ、元はカズハちゃんのものだからね。でも、市場にだけは流さないで。今は値段を釣り上げてるところだから」


「うん! 行っていいって。良かったね、ドンちゃん」


「ぐるる」



 カズハは嬉しそうに影の中からドンちゃんを出して語り掛ける。

 すると2メートルほどの大きさになったドンちゃんは、目を細めてぐりぐりとカズハに頭を擦り付けるのだった。



「ピクニック、いっぱい楽しもうね!」


「ぐるる~♪」

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