reimei

Hoshimi Akari 星廻 蒼灯

reimei

「先輩って、怖い話持ってたりします?」

 他に誰もいない、陽も落ちた秋の大学の部室で私がそう声をかけると、先輩はいぶかしげな目をしてテーブルの上の原稿から顔を上げ、ほぼ対面に座っている私を見た。

日下部ひかべさんってそういうの好きなの?」

「昔からってわけじゃないですけど、最近好きでよく聞いてるんです。……すみません、邪魔でした?」

「ううん。詰まってたとこだからいいけど……。でも私はそういう体験ないかな」

「そうですか。でも先輩って、ミステリアスというか、霊感とかありそうですけどね」

「やめてよ……」

 露骨に嫌そうな顔をされる。この手の話は苦手だったのかもしれない。申しわけないことをした気持ちになって、「ごめんなさい」と笑って謝った。

「でも」と机に視線を落として、先輩は一人ごちるように言った。「怖いかは分からないけど、不思議な体験、とかなら……あるかな」

「え! なんですか、教えてください」

「けど、人に話せる話じゃないから」

「えー、なんですか。もっと気になるじゃないですか」

「ごめん。これはほんとに話せないんだ」

「そんなー。匂わすだけ匂わすなんてひどいですよー」

「そうだね。ごめんね」

 今度は先輩のほうがそう言って、視線を下げたまま申しわけなさそうに笑った。その表情が、なんというか少しだけ寂しそうに見えて、先輩は本当はその話を誰かに話したいんじゃないか、と思った。

「先輩ともっと仲よくなったら話してくださいよ。気が向いたらでいいですけど」

「……うん。気が向いたらね」

「私けっこうずかずか聞いちゃうところあるんで、ほんとに話しにくかったら無理しなくていいので」

「うん。ありがと。私が言いかけちゃったのが悪かったね」

「たしかに。言いかけちゃった先輩がわるい! 気になるー」

 先輩はあははっと笑う。狭山先輩が屈託なく笑うのを見ることは滅多になかったので、私は貴重なものが見れた、と思って内心得意になった。

「ここの部室棟にもそういう話あるんですよね。て、先輩は知ってるか」

「……なにそれ? 聞いたことないけど」

 先輩は眉をひそめる。私はそれでさらに気分が乗ってしまった。

「林のほうの階段、あそこの地下に繋がるところで決まった手順を踏んでから降りると、この部室棟で亡くなった学生の霊と出会えるらしいんです。学科の友達から教えてもらったんです」

「そういうの、よくないよ」先輩はたしなめるような口調で言う。

「狭山先輩、幽霊信じるほうなんですか?」

「別に……はっきりいるって信じてるわけじゃないんだけど。そもそも亡くなった人がいるって、いつの話?」

「15年くらい前みたいですね。詳しいことはその子も知らなかったんで分からないんですけど」

「作り話なんじゃない?」

「えー、そうかもしれませんけど、でも噂があるっていうことは何か起きてるんですよ。その子、階段の近くの部室使ってて、そこでサークルの先輩たちから聞いたらしいんです。現場の近くにいる人間が噂してるなら、信憑性ありません?」

「近くにいるだけじゃ、勘違いの否定にはならないでしょ。その噂話のせいで、みんながちょっとした物音とか光の反射をそういう風に解釈しやすくなってるのかもしれない」

 私は、にっと笑って言った。「私たちで確かめません?」

「……みません」

「シナリオの参考になるかもしれませんよ?」

「私そういう話書かないから」

「じゃあ、私が書くので付き添ってもらえません?」

「日下部さん今どういうお話書いてるの?」

「学校で起きている怪奇現象に巻き込まれるシナリオです。やっぱりリアリティを出すためには自分で体験するのが一番ですよね」

「……そうだね。じゃあ一人で行ってきて」

「2PLのシナリオなんです……先輩おねがいします……」

 狭山先輩はまた顔をしかめて深くため息をついた。先輩がなんだかんだ言って付き合ってくれるということを私は知っている。そしてそんな先輩の困った様子を見るのが私は好きだった。——我ながら、歪んでるとは思う。

「そういうのって本当に危ないんだからね」

「それって、やっぱり先輩の経験談からですか?」

 先輩は口をつぐみ、それからもう一度ため息をついて、「日下部さんって、変わった人を見かけて、その人にちょっかいかけに行ったりする?」

「現実の人にですか?」

「そう」

「現実には、もちろんやんないです」

「だよね。幽霊とかそういうのだって、……本当にいるかは知らないけど、同じことでしょ。変なちょっかいをかけたりしたら、相手は迷惑するし、怒る。そしたらちょっかいをかけた日下部さんが仕返しをされたりしても何も文句言えないよね? そこまで考えて『行こう』って言ってるの?」

「先輩、けっこう真面目なんですね……」

「真面目とかそういう話じゃなくて、相手の気持ちを考えてるの? っていう話」

「いえ、その、幽霊の気持ちを真面目に考えてあげる人って、そんなにいないと思うから」

 やっぱり、先輩ってやさしいな。

 だからこうやってちょっかいをかけてみたくなってしまうのだけれど。

「私、先輩からだったらどんな仕返しされたっていいですよ! だからこれからもダル絡みさせてください」

「……人を幽霊みたいに言わないで。あと、私の話聞いてた?」

「はい。ちょっかいをかけに行くときは、どんな仕返しをされてもいい覚悟でいなさい、っていう話でしたよね」

「全然ちがう」

 私はふふっと笑った。「でもこれって愛じゃないですか? 幽霊とか好きな人もそうなのかも」

「相手の都合を考えないそんな一方的な気持ち、愛じゃないです」

「えー。じゃあ先輩の思う〝愛〟ってなんなんですか?」

「何って……」

 先輩は視線を斜め下にそらして、困惑したように黙りこんだ。その眼差しは、何かを思い出そうとするような、だけどそのどこにも答えを見つけられずに虚空こくうをさまよっているような、寂寥感せきりょうかんをかすかに感じさせた。

「先輩って付き合ったこととかあります?」

「は?」

「いや、……その、彼氏とかいたことありますよね?」

「……ないけど」

「え? そうなんですか? 絶対あると思ったんですけど」

「……うるさい」

「え、いえ、そんなからかったつもりじゃなくって。えー、あ、女子校出身ですか?」

「もうその話やめて」

「あ、はい、すみません……」

 けど、よくよく考えてみると狭山先輩が誰かに深く心を開いてるところなんて、想像ができない。それに、なんとなくで付き合ったりしそうにも見えなかった。きっと今までいい男が近くにいなかったんだろう。

 話を広げるのを拒絶されたので、話題を見失って私はしばし沈黙した。先輩はまた手元のルーズリーフに目を落としてチャート表に何かを書き加えだす。私も自分のノートパソコンにシナリオの続きを書こうと思ったけれど、結局また目の前にいる先輩の様子を観察してしまった。本当は、2人であの階段の噂を検証しにいくつもりで、そこからアイデアをもらおうと思っていたのだ。でも、これ以上先輩に声をかけて邪魔をするのも忍びない。

 迷った挙句、私はパイプ椅子から立ち上がった。

「私ひとりで検証してきます」

 先輩がつと目線を上げる。

「幽霊に会えたら報告しますね」

「行くの?」

「幽霊に迷惑かもしれないですけど、ちょっと声をかけにいく程度ですから」

 そう言って私は部室の扉に向かった。先輩からは後ろ髪を引かれるような視線を向けられたけど、なんせ今日はやると決めていたのだ。試さずに帰るわけにはいかない。

 廊下は、秋の夜風が流れ込んできていて、少しひんやりと冷たい。

 ボードゲーム同好会の部室は大学の部室棟の入り口から入って2つ目のところにある。ここから部室棟の奥へとまっすぐ進み続けたつき当たりに例の階段はあるので、普段私がそこに立ち寄る機会はほとんどなかった。

 幽霊と出くわす、なんて話ではあったが、怖さなんて微塵みじんも感じない。廊下の左右の部屋にはだいたい明かりがともっていて、この時間まで大学に残っている学生の声も聞こえてくるし、なんなら一人、二人とはいえ私以外にも廊下を歩いてる人もいる。入学してから2年半、すっかり日常になった部室棟のいつもの風景があるだけだ。

 私はなんだかんだ大学が好きだ。高校までと違って基本的に自分の興味のある分野の授業しか受けることがないし、授業終わりにはこうやって趣味の合う人たちと集まって話したり、ボードゲームやTRPGで遊んで過ごせる。だからこの場所に、危険で怖い幽霊がいるなんて思えなかった。きっと、いたとしても死んで未練を残し、ここから去りがたく思っている幽霊くらいのものだろう。恨みや憎しみをつのらせた何かがここ、私たちの部室のすぐ近くにいるだなんて想像もできなかった。

「日下部さん」

 廊下の後ろのほうから声をかけられた。振り返ると、狭山先輩がボードゲーム同好会の部室から出てきたところだった。

「先輩、やっぱりついてきてくれるんですか?」

「ちがう。行く前に、もう少しだけ聞かせて」

 先輩は私のいる廊下の真ん中辺りまで歩いてきて立ち止まり、私に対して申し訳なさそうな視線を向けつつ、でもやはりりょう眉根まゆねを寄せていた。

「聞くって何をですか?」

「さっき言ってた、〝手順を踏んでから〟って、何をするの?」

「あー。ちょっと待ってください、携帯にメモしておいたので」

 私はポケットからスマホを取り出して、メモアプリを開いた。先輩はその間も居心地悪そうにしていたけれど、むろん、私は何度も引き止められることを何とも思っていなかった。

「えーっとですね。まず、1階の廊下から階段の上の方を見たまま、1分くらい立ち止まるんだそうです。それから2階との間の踊り場まで上がって、そこでもまた2分間くらい立ち止まる。で、最後に3階に上がって、そこから一気に地下まで階段を駆け降りると、地下の廊下のすぐ近くに幽霊が立っているそうです」

「それで全部?」

「はい。手順についてはそれだけみたいですね」

「どうやって何事もなく終わるか、とかは聞いてないの?」

「そこまではー……友達は言ってなかったですね。先輩私のこと心配してくれるんですか?」

「だったらなに」

「いいえー、うれしくって」

 先輩は肩を落としてため息をつく。私は笑顔になって、仕方なく携帯をまたポケットにしまった。

「でも、先輩に心労をかけたくないので、やっぱり行くのはやめておきます」

「……そう?」

「こんなに心配してくれたら、もうなんか満足しちゃいました」

「……もう帰る」

 身をひるがえし、狭山先輩は部室へと戻りだす。「待ってください私も帰ります」と後を追うけど、先輩はこちらを一顧だにせず部室へと歩いていった。



 帰り道、大学構内を歩いているときも、先輩は私と目を合わせてくれなかった。

「私が行くのを止めようとしてたなら、なんでやり方なんて訊いたんですか?」

 一方的に話しかけていると、不機嫌そうではあるけれども先輩は答えてくれた。

「実際にためさなくても、そこにいるのがどんな幽霊か、推理して知ることはできるでしょ」

「推理、ですか?」

「わざわざ決まった手順を踏まなきゃいけないってことは、その手順が幽霊やその空間に何かを感応かんのうさせているっていうことでしょ。だからその手順には意味がある。あるいはあったって考えられる。ちなみにその幽霊ってどんな姿なの? 学生っていう以外に」

「さあ……学生としか聞いてなかったから。先輩、やっぱり私よりぜんぜん信じてますよね。だから止めたんだ」

「そうじゃない。幽霊が存在していようといまいと、その噂を伝えたり何かを見たって言った人たちは、幽霊の存在を心のどこかで信じていた。だから、その心が幻覚を見せることはある。私は、そこに作られていた物語が気になっただけ」

「だったら私のこと止めなくてよかったじゃないですか。狭山先輩はぜったい信じてますよ。気になるなー、先輩の体験談も」

 むっ、と先輩は言葉を詰まらせる。

 私はその様子を見て口元をほころばせた。

 秋の夜風がやさしく吹き抜けて、その匂いに、私は去年のキャンパスの同じくらいの季節のことを思い出した。

 来年になったらもう、私と先輩が一緒にこうして歩いていることはないのかもしれない。そして再来年になってしまえば、先輩はもうこの大学からいなくなる。そうしたら私の存在も、先輩にとっては思い出の一つでしかなくなってしまうんだろうか。

「催眠術とかだって、解除の手順は必要でしょ……」

「そうですね。先輩のにらみがきいてるうちは試しません」

「……物語を書いている人は、実際に誰かを傷つけたり、自分が傷ついたりしなくても、そこに起きたことや誰かの心を想像することができる」

「なんですか? 誰かの格言ですか?」

「……私の考え」

「へえ。 ——先輩らしくて、やさしくっていいですね」

「引き止めたりしてごめんね。代わりに幽霊の噂の真相、いっしょに考えよう」

 そう言われて、私は少し胸がドキリとした。

 幽霊にちょっかいをかけて肝試しなんかをするより、あーでもないこうでもない、と先輩と空想を話し合っていたほうが、楽しいのかもしれない。

「その推理を参考にしてシナリオ書くので、完成したらテストプレイも手伝ってくださいね」

「うん」

 先輩と話しながら、駅へと歩く。

 こうやってTRPGの話をしている間だけ、私は心のどこか深いところで人とつながっていられる気がする。

 滅多に他人に無防備な表情を見せることない狭山先輩も、もしかしたら私と同じなのかもしれない。

 そんな、想像の中にだけある世界が、時間を超えてどこまでも続いて、この寂しい心と心をつなぎ続けていてくれたらいいな、と、街灯と夜空の間にある薄い青色の地平を見ながら、私は思った。

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