おもちゃ箱
朝霧逸希
ポケットの中の希望とガラクタ
小さい頃からなんでもポケットの中に入れて、それをおもちゃ箱を模した洗濯カゴの中に入れては母に説教を食らっていた。当時、俺がポケットの中にしまい込む物は多岐に渡り、親父のライターであったり、銀紙、小さな人形、果ては石ころすらも入れていた。
それらは全て、俺にとっては輝いて見えていて、ポケットの中にはいつもガラクタと煌めき、希望がある気がした。
小さな頃は身体が弱かった。何かと嘔吐を繰り返し、よく熱も出していた。大人への信頼が無くなったのは恐らくそのときで、保育園の先生たちは健康な園児以外を嫌っているような様だった。それが、堪らなく悔しかった。
給食を食べると何故か吐き気が現れて、症状を伝えても演技だと言われた。
そうして結果的に嘔吐するなら休ませて欲しかったと今は感じる。御局様共は俺の事を嫌っているようで、幼稚な脳でもそれに気付いていた。
ポケットの中のガラクタと希望は、何時しか煙草とライターに置き換わった。心に空いた穴をどうにかして埋めて、満たされたくて、酒や煙草に手を出したが結局満たされることは無かった。お気に入りのプレイリストをかけてシャワーを浴びていても、格好つけてリズム・アンド・ブルースを聴きながら煙草を吹かしても、それは変わらなかった。煙草の箱が空になり、ライターのガスも切れた頃ポケットの中に残ったのは後悔だけで、その寂しさを紛らわす為か手を突っ込んだ。
好きな人とか、そういった事には小さい頃から相も変わらず疎かった。好きとか嫌いとか、下らない感情論より論理的に解決出来る物が好きだった。其れによって頭が良くなった気がして、自己肯定感を上げるキッカケになっていたのかもしれない。
高校一年の秋に唯一、好きになってしまった人が居た。彼女と抱き合っている時は心臓の鼓動が早くなるのを感じて、彼女の鼓動も解る程だったかもしれない。もう随分と前になるし、自分がいい様に記憶を改竄している可能性も捨て切れないが、突き放されて気付いた。
存外俺は彼女に固執していたと言えるほど、盲目的に彼女のことを愛していた。空の様に蒼い青春を謳歌できている気がした。彼女の残り香は頭を抱える程に心地良かった。
何がダメだったのだろう、今でもそう考える時がある。自暴自棄にこそならなかったが彼女が俺に対して全くとは言えないがさして恋愛感情を持っていないことに気付いてから随分と落ち込んでおり、この世界に一人きりになってしまった気がして、自然と涙が零れた。
あの日の夜、ポケットに遺ったのは蒼い青春の余りでは無く、新月の夜の様に真っ暗で何も見えない程に黒くくすんだ哀しみだった。
鬱病の兆候が見られ始めたのは何時頃だっただろうか。心療内科や精神科に罹る事を様々な人に勧められたが母親は俺が思っている程こう言った症状には理解が無かった。
「親なのだから偏見も有ると思って敢えて言わなかった」
そう伝えたが俺の話はその場では理解した素振りをしても、結果的には聞く耳も持っていなかった様だ。
親父だけは俺に寄り添ってくれた。二人でラーメン屋に行き、雑談を交わしながら食後の一服をしている時が最も心が救われた。親父が若い頃にしたバカ話を聞いていたら久しぶりに俺の口角が上がった。その日の夜に煙草を吸って居たら、ふと月が目に入った。何時もだったら気に留める事は無いのだろうけれど、余りにも美しいその姿に目が釘付けになった。その月の輝きをそっとポケットに仕舞い込んだ。
友人と酒を飲んだ時に泣きながら友人達への愛を語った時があった。その日は相当酔っていて、普段なら小っ恥ずかしくなる様な内容が口を開けば出て来てしまう。そんな黒い歴史を友人はリリックを書け、等と茶化してくれた。あの時流れていたヒップホップは何時もよりも心地良かった。
帰宅するのが午前一時を過ぎてからになったのは何時からだろう。自宅というものは何時から安心出来ない場所へと変わったのだろう。母親から理解に苦しむ小言を言われて心労を重ね、体調を崩し煙草で誤魔化す。眠くなる事がなくなり、薬が切れたので容易に眠りにつく事が出来ない。濃い夜は俺の心を何時も海の底の様に深く、暗く、冷たい場所へと
あの甲高い叫声を思い出すと苛立ちを何処かへ当たろうと壁を殴る。拳の痛み、壁の穴と引き換えに怒りは虚しさへと変貌を遂げる。
自傷は哀しみを産むだけで何も残らない。解っていてもどうしようもない虚しさを痛みでかき消すべく俺は耳に穴を開け、手首を切る。
俺が友人達と関わり続けているのは、独りの苦痛に耐え難いだけなのだろう。けれど、彼等と過ごした日の夜の孤独は何時にも増して酷くなる。希望も絶望も無い進むべき方向が解らない真っ暗なトンネルの中で、学校へ行かない事への劣等感を抱き続ける。
今の俺には孤独と劣等感と言う俺を縛り続ける楔しかなく、この楔を取る為に行動も起こせない。愛を形にする事も、あの日と決別をする事も出来ない半端な人間であると深く理解する。
こんな暗い考えも寝て起きれば忘れるのだけれど、本当に忘れることが出来るのか不安になる。
この季節の昼は、心地よい暖かさの日差しと風が相まって気持ちいい。
この季節の夜は冷たい風に街灯が深い孤独を感じさせる。
天へ登っていく明かりに照らされた煙を目で追って行くと、また月が見えた。
「そうか、君も孤独なんだな。」
月に語りかけて、有りもしない返答をしばらく待ち、煙草の火を消した。友人たちはもう寝静まった頃合だろう。嫌に静かな、虫の声しか聞こえることの無い大嫌いで愛すべき孤独は一切の輝きを放つこと無く俺を深淵に突き落とすかのような勢いで不安を感じさせる。
逃げる術が無い孤独からの逃避行、明るい曲は今の気分じゃない、ただ辛くなるだけ。暗めの曲も気分じゃない、この孤独が、苦しみが止まること無く溢れ続けるだけ。
俺の暗く、冷たく、晴れることの無い孤独とは裏腹にあの日ポケットに仕舞い込んだ月は今もポケットの中で輝いていた。
おもちゃ箱 朝霧逸希 @AsAgili_ItUkI
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