第七章

7-1 織魂祭

 織魂祭しょくこんさい当日、雨都うと家がある実緒みお寺には早朝から多くの村人が詰めかけていた。本堂に入り代わる代わる焼香と祈りを捧げていく。


 主催の藤生ふじき康乃やすの剛太ごうたは上座に座り、続いて分家扱いの眞瀬木ませき墨砥ぼくとけい瑠深るみが次席に控え、賓客であるはるか蕾生らいお鈴心すずねも末席についた。

 雨都は本来裏方であるが、梢賢しょうけんは永達の接待役として隣に座っている。


 本堂は当然仏教色の強い装飾ではある。鎮座している釈迦像も何ら変哲のない一般的な仏像には見えるが、どことなく異質な雰囲気だった。

 とは言え、仏教に造詣のない永達にはなんとなくそんな気がすると言うだけで、具体的にどこが違うなどはわからない。

 

 柊達の装束は、深縹こきはなだの法衣に金襴きんらんの袈裟、頭には立帽子たてもうすで大きな法要での正装だという事がわかる。

 脇に控える楠俊は少し格下の装いで、松葉色の法衣に木蘭もくらんの袈裟、頭には六角帽子ろっかくもうすを被っていた。

 

 柊達と楠俊が唱える念仏の様なもの、その調子や発音などが独特な印象だった。しかし一般的な念仏と何が違うとはこれもはっきりとはわからなかった。

 

 おそらく麓紫村ろくしむら特有の祝詞ではないかと永は考える。

 雨都がここに来るまでは眞瀬木が呪術師だったので神道よりの宗教観だったろう。しかし、そこに雲水が仏教を持ち込んだことでそれと融和してこの様な独自の宗教になっているのではないかと永は想像している。


 早朝から始まった大法要が長時間続いており、さすがの永も正座している足が痺れてきた。

 蕾生はとっくに胡座をかいており、瞼も重そうに舟を漕いでいる。

 

「……ねみ」

 

「ライ!しゃんとしなさい!」

 

 だらしなく欠伸をした蕾生を鈴心が小声で叱責した。

 永はそんな二人に気を配る余裕がなく、目の前の眞瀬木珪を注視している。


 しかし、珪はじめ眞瀬木の誰もが涼しい顔で法要の祝詞に聞き入っていた。特に異常な雰囲気は見られない。


 永遠に続くかと思われた村人の列が途切れ、本堂には主催者達と永達だけになった。

 代わりに寺の境内は随分賑やかな様子だ。お参りを済ませた村人の多くがまだとどまっているのがわかる。


「では康乃様、剛太様」

 

「はい」

 

 法要の全てを終えて、楠俊が康乃と剛太を伴って本堂を出る。続いて眞瀬木、雨都の者、その後に永達と梢賢が寺を出て藤生家の方へ向かって歩く。

 さらにその後ろを少し間を空けて、村人達がぞろぞろとついてきた。


 

  

「おや?瑠深さんが見えませんね。さっきはいらしたのに」

 

 周囲に気を配るのが常の鈴心が辺りを見回しながら言うと、隣を歩く梢賢がその理由を答える。

 

「ああ、ルミは先に行ってるよ。今年はアイツが舞うからな」

 

「?」

 

 そんな短い回答では鈴心でも何のことかわからない。だが考える間もなく藤生家に着いてしまった。


 邸宅の裏道を通って昨日準備された舞台へと一同は流れて行く。

 真新しい木材で建てられた四畳程の舞台の上には、井桁に組まれた檀木がある。舞台には前方に昇降台があり、その前には観客席として数席が用意されていた。

 

 最前列は康乃と剛太のみ。その後ろの四席に永達と梢賢が座る。

 村人達はその後ろですし詰めかつ立ち見であった。人々は皆舞台の上に注目していた。

 

 間もなく舞台の影から人が現れた。眞瀬木の三人だった。


 先頭は鈴を持った瑠深で、白い着物に赤い袴、その上に千早ちはやという舞衣を羽織っている。千早には藤の花が大きく刺繍されていた。


 次いで白いほうに白い差袴さしこという祭事用の正装に身を包んだ墨砥と珪が歩いてくる。二人とも頭に冠を被り、墨砥は横笛、珪は小太鼓を持っている。

 

 三人は最前列の康乃と剛太に深々を礼をした後、舞台に上がった。瑠深は舞台中央に静かに立ち、後方左右に分かれて墨砥と珪が楽器を構えた。

 

 トントンと珪が小太鼓を叩く。それを合図に瑠深が鈴をシャン、シャンと鳴らしながら舞い始めた。墨砥の笛が繊細で不可思議な音色を奏でる。

 

 スラリとした瑠深の手足が綺麗に弧を描き、舞台の上には清廉な空気が宿り始めた。

 

「──」

 

 鈴心は瑠深の舞に魅了されていた。蕾生も眠気など忘れて視線が舞台に釘付けになる。

 

「すげえな……」

 

「なんて、美しい……」

 

 感動しきりの二人に対して、永は氷のように冷静であろうとしていた。

 

 瑠深の舞の後ろで小太鼓を叩く珪から視線を外さない。

 梢賢が忙しいと言っていたのはこういうことか、と思った。確かに演奏中でしかもこれだけの衆人の前では何も出来ないと思われた。


 舞が静かに終わる。拍手などは起きなかった。これは神への捧げ物であり、見せ物ではないからだ。

 ただ鈴心と蕾生はあまりの美しさに拍手することさえも忘れていただけだったが。

 

 瑠深が舞台を降りると代わりに横に控えていた八雲が舞台へ上がり、壇木で組まれたお焚き上げの台座を舞台の中央に出す。墨砥と珪もそれを手伝った。その間に柊達と楠俊も舞台に上がって行く。

 

 柊達がまた祝詞を唱え始めて、八雲が壇木に火を放った。


「康乃様、お願いします」

 

「はい」

 

 瑠深の声かけでまず康乃が舞台に上がる。

 お焚き上げ台の前まで進み、手持ちの絹織物を炎の中に投げ入れてから祈った。火は少し強くなり、白い煙が空高く舞い上がっていく。


 一連の儀式を終えた康乃はゆったりと舞台から降りて、村人達に深々と一礼して言った。

 

「では、皆さんもよろしくお願いします」

 

 その言葉に従って、村人達は続々と列を作って順番に舞台へ上がり、それぞれの絹織物を火に焚べていく。

 

 炎は勢いを増して、パチパチと火の粉を爆ぜながら陽炎を作っていった。

 炎の周りがユラユラと揺らめいて、どこか異世界にでも通じてしまうような、空との境界を曖昧にしていく。

 

 最後に墨砥が同じように儀式を終えると、康乃は永の方を向いて言った。


「では最後に、賓客の周防すおう様、お願いします」

 

「あ、はい」

 

 永は静かに立ち舞台へと進む。壇上のお焚き上げ台は既に近づくだけで強い熱気を放っていた。村人達がそうしていたように、永も自作の絹織物を焚べて手を合わせた。

 

 脇で控える珪との距離はほんのわずか。祈り終わった永が珪に視線を移すと、珪は薄ら笑いを浮かべていた。

 勢いを更に増して行く炎に煽られたその表情は不気味な凄みがあり、永に緊張を与える。

 

 しかし、特に何をするでもなく、永も珪も一瞬視線を合わせただけで二人の距離は離れていく。緊張が解けずに身体を強張らせたまま、永は舞台を降りた。

 

「では、最後の祝詞を捧げます」

 

 柊達が良く通る声で祝詞を読んでいく。八雲と楠俊がまた火を焚べて炎は最大に大きくなった。

 一心に読み上げる柊達の声とともに、織物が爆ぜて灰になる。その残り香が天へと還っていった。

 

「無事に燃えてくな……」

 

「そうですね……」

 

 蕾生も鈴心も燃えていく炎を眺めながら少し呆然としていた。

 永は一人頭をフル回転させて周囲を注視していた。珪は舞台から降りて八雲、瑠深とともにその脇に控えている。

 

 おかしい、何もしないなんて。だったらさっきの笑みはなんだったんだ?

 

 静かに立ち続ける珪の姿を睨みながら永がそう考えた時、村人達の列を割って入ってくる婦人の姿があった。



 

「ご機嫌よう、麓紫村ろくしむらの皆さん」

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