3-10 叫び

「修行……ですか?」

 

「どんなことするんだ?」

 

「んー、それは有宇儀ゆうぎ様の指示がないと何とも言えないわね。でもおそらく貴方方にもお薬が処方されるはずよ」

 

「く、薬ッ!?」

 

 鈴心すずね蕾生らいおが代わる代わる聞いてみても結果は同じだったが、その後のすみれの発言に一同は驚愕した。

 

「大丈夫。便宜的にお薬って言ってるだけで、危険なものじゃないわ。これくらいのね、お札を飲むのよ」

 

 親指と人差し指で一センチほどの隙間を作ってその大きさを表現しながら菫は笑う。

 しかし鈴心には到底受け入れられることではなかった。

 

「な、なんですか、それは?」

 

「私達の頂点にはね、メシア様という方がおられるの。メシア様はうつろ神様が降臨される時にはその器となるお方。その方が毎日祈りを捧げられたお札をね、有宇儀様が持ってきてくださるの」

 

「そんなの飲んで大丈夫なのか?」

 

 蕾生が疑心を言うと、梢賢しょうけんはまずい、と肩を震わせる。

 

「そうね、不安になるのはわかるわ。でも最初だけよ。メシア様のお力を体に蓄えることで、素晴らしい力に目覚めると思うわ」

 

「……」

 

 猜疑の目を向ける蕾生に梢賢は人知れず焦った。そんな態度をとって菫が不機嫌になったらと思うと気が気でない。だが、その心配は無用だったようだ。菫のご機嫌なお喋りは続く。

 

「実はね、私の息子のあおいも貴方方と同じく使徒様のひよこなのよ」

 

「ええっ!」

 

 はるかの驚きを好意的にとった菫はさらにウキウキした調子で息子を見ながら言った。

 

「葵はお薬を飲み始めて随分経つけど、健康そのもの。むしろ日々力が増してるわ。貴方方の先輩なのよ」

 

 そんな母の言葉に、葵は暗い表情で俯き、あいは睨みながら葵の手を握っていた。

 

「なんだかすごい世界ですねえ」

 

 永はそう言うしかなかった。何か反論でもしようものならきっと恐ろしい事が起こる、と直感していた。

 

「大丈夫!私が一生懸命サポートさせていただくわ、一緒に頑張りましょうね!」

 

 鈴心も蕾生も永を見習って薄ら笑うだけに留める。

 

「こずえちゃんは、この方達の後見人として有宇儀様に報告しておくわ。これからはずっと一緒に頑張りましょう!ね!」

 

「あ、あはは、よろしく頼んます……」

 

 梢賢も同様に愛想笑いしていると、菫はあらぬ方向を見ながらうっとりして言った。

 

「ああ、今日は素晴らしい日だわ!使徒様がこんなに増えるなんて、雨辺うべ家の未来は明るいわね!」

 

 ここまでイッてしまっている者をどうやって正気に戻せばいいのか?永はそれが途方もないことに思えた。

 

 皆が二の句が告げなくなっていると、小さくも侮蔑を孕んだ声で藍が呟く。

 

「バカじゃないの?」

 

「──え?」

 

 ぐる、と急に首を回して菫は地獄の底から聞こえるような低い声でようやく藍の方を振り返った。

 

「そんな神様いるわけないじゃん!葵はあのお札のせいで毎日苦しんでる!それを修行なんて言ってお母さんは見ないフリして!」

 

 しかし藍はそんな雰囲気にも構わずまくしたてた。菫は恐ろしい顔で黙って聞いている。

 

「葵だけじゃなくて、おバカな子ども四人も丸め込んで責任とれるの!?この人達の保護者に訴えられたら終わりなんだよ!?」

 

 怒りに任せて訴える藍の言葉に、菫はワナワナと震え出す。堪らず梢賢が割って入った。

 

「あ、藍ちゃん、ちょっと落ち着こうな?な?」

 

「うるさい!間男!お前もお母さんを上手くのっけて調子に乗らせて!お前なんか来なければこんな事にならなかった!」

 

「う……」

 

 押し黙ってしまった梢賢にも構わず、藍は耳を塞いで泣き叫ぶ。

 

「もう嫌!もう沢山!葵、行くよ!こんな家、いたくない!」

 

「お、お姉ちゃん!?」

 

 藍は葵の手を引いて、そのまま玄関を飛び出してしまった。パタパタと走る足音が遠ざかる。

 

「葵!?」

 

 菫は悲鳴を上げんばかりの動揺を見せる。梢賢はすぐさま立ち上がった。

 

「皆、追うで!」

 

 永達も頷いて立ち上がったが、それよりも早く菫は息子の名前を呼びながら玄関に向かっていた。

 

「葵!葵!」

 

「菫さんはここで待っとってください、オレ達が連れ戻します!」

 

 咄嗟に梢賢が止めるけれど、菫は半狂乱で叫んだ。

 

「嫌よ!葵は私の息子よ!私がいなければ葵はだめなのよ!」

 

「菫さん!!」

 

 梢賢は大声を張り上げ、菫の肩を掴んだ。

 

「悪いけど、菫さんに反抗して藍ちゃんは出ていったんです。だから菫さんはいかない方がいい。オレ達がうまく宥めますから!」

 

 すると少し弱気になった菫はその場で止まって梢賢に懇願した。唇がフルフルと震えていた。

 

「ああ……わ、わかったわ。こずえちゃん、葵のことお願いね」

 

「藍ちゃんの話もちゃんと聞いてきます」

 

「……」

 

「行くで、皆!」

 

 菫を玄関に残して、梢賢の号令とともに四人はマンションを出た。


 

「子どもの足じゃ遠くまでは行けないと思いますけど、もう姿がありませんね」

 

 街並みを走りながら鈴心が言うと、梢賢には明確な目的地があるようで、目指す方向を示しながら走る速度を緩めた。

 

「多分、街外れの公園やと思うわ。あの子らも頭を冷やす時間がいるやろ。少し緩く走るで」

 

「わかった。しかし、ここまでの事態になってるとはね」

 

「常軌を逸してるぞ、こんなん」

 

 永と蕾生の遠慮のない言葉に、梢賢は悔しそうに歯噛みしていた。

 

「オレが迂闊やった。まさかこんなに闇が濃くなってるなんて……」

 

 ゆっくり走る四人の頭上には厳しい日差しが当たり続けていた。








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