可愛いお嬢様の恋愛事情
@wagashi_suki
本編
気づいたときには主人公だった。前世で大好きで、何周もプレイした乙女ゲームの主人公。異世界転生? それ何てフィクション。夢だと思うじゃん。でも何度寝ても何度起きても変わらない現実に、じわじわと嬉しさが自分を包んでいった。ああここは私のための世界だ! 私が主役、私だけが、私こそが特別。だから私は行動に移した。
夢なら絶対、現実なら確実に。あの主人公のように自分は思い人と幸せになるのだと、かつて何度もプレイして網羅したゲームのストーリーと登場人物のプロフィールを必死に思いだした。紙に残すことはできないので、重要な分岐点を忘れないように何度も何度も記憶と相談しながら反芻する。貧乏だから紙がないというのもあるけど、紙に書き起こして誰かに見られてしまえば、私は怪しまれてしまう。書く内容も内容だけど、平民が文字も習ったことないのに、文章を書き殴るなんてどうかしている。あくまでもあの子は平凡な女の子だった。異常行動を起こして万が一にもルートを踏みはずすわけにはいかない。そう思って毎日脳内でストーリーを流し続ける日々を送ったものだ。
大好きだった王子様。私の、あの子の、そしてこの国の。彼は膨大な治癒の力を手に入れた元平民の主人公、つまり私と恋に落ちる。王太子妃になるその日まで、私は完全に主人公の行動をコピーする。私にならできる。あんなにプレイしたから、何日にどこに行くべきで何をしてどれをしたらいけないかも覚えている。選択すべき教科も生活上通るべき道もわかっている。あの頃セリフの全暗記もして、オタク仲間とコスプレして完コピ劇場を何度も開催したくらいだし、思い返しても何にも間違った選択はしていないのだ。
そのはずなのに!
どうして。
「私が君なんて選ぶと思うかい? こんなに可愛い婚約者がいるのに?」
どうして悪役令嬢の手を取るの、私の王子様!
◇
物心ついたときには両親はそばにいなかった。エミリアの世界は使用人たちと家庭教師に形作られていた。両親との関係がよくなかったり、家族との関係が希薄だったりすることは貴族にはよくあることだという。しかし、大きくなるにつれて他人との交流が増えるほど、エミリアは自分の家族が世の中でも特異なもののような気がしていた。なにせ、エミリアは15年生きてきて両親と顔を合わせるのは一緒に外に出るときだけなのだ。それも、仕事でエミリアが必要になったときだけなのだから、もはや友人より知らない相手と言っていいだろう。
ほかの家との違いに不思議に思って周りの大人に聞いたところ、仕事や責務にしか興味が持てない性の人たちらしい。エミリアのことについては日々報告がなされているためエミリアの状況は知っているし、教育のために必要な人材は揃えられているから十分とでも考えているのか、ほんの触れ合いもない——屋敷内で会ったことも記憶上では片手で数えられる——のだからある意味徹底しているともいえる。
愛しているとかいないとか、嫌いだとかそうでないとか、そういった関係すらないのだ。両親にとって、エミリアはただ「娘」とカテゴライズされるだけの存在だ。物語で描かれる「家族」はいまだに想像しきれないし、興味がないわけではないが、エミリアは自分の世話を深い愛情をもってしてくれた乳母や使用人に強く感謝しているし、両親への不満も特にはなかった。なにせ、両親がエミリアにつけた周りの大人からの愛が、おぼれるほどだったので。
肉親から愛を受けていないから感情が欠落している可哀そうな令嬢と迂遠な——あるときにはそのまま伝えられたこともあった——言い回しで伝えられたことがあるが、そうなんだろうかと首を傾げる程度にしか響かないし、人を蹴落として喜ぶ人間になるほうがよっぽど可哀そうだと思う。口には出さないけれど。エミリア・オードメイツはそんな娘だった。
そんなエミリアは己が王太子の婚約者に選ばれた理由を知っている。王家と縁を結ぶにあたって、家格が申し分なく後継の男児がおり、年の釣り合いが取れているからだ。オードメイツ侯爵家には何代か前に王家から王女が降嫁されており、程よく薄く王家の血を引いていることも理由のひとつであろう。決してエミリア自身に価値を見出されたというわけではないことを知っている。
「お嬢様。王宮から迎えの馬車がきております。」
「そう、ありがとう。それでは参りましょう。」
突出して優秀なわけではないけれど埋没するほどではない。多少変わった家の娘ではあるものの主義主張も激しくなく、自分を持ちながらも他者を落とすような思想は持ち合わせていない。友人関係は狭すぎず広すぎず、どちらかと言えば家の関係でのつながりが多いので自分のために使える人脈はほかの令嬢とそう変わらない。小さいころからたくさん努力したから所作は美しくマナーだって完璧だが、どの令嬢だって心意気は変わらないしマナーの完璧さは貴族として生きる上で身に着けて当然のことだ。自分が特別であるとは一度も思ったことはない。
侯爵家の娘といってもただの小娘、エミリア自身の力は何もなかった。家のためにできることは、自分をできるだけ高めることとこの縁を手離さないこと。そんなことはわかっているけれど、ある少女と出会ってから毎日のように考えるようになってしまった。国にとって、彼にとっての最善の相手はエミリアではないのではないかと。
「やあ、リア。待たせてしまったようですまないね。そんなかしこまらないで、顔をあげて……ふふ、ほら、座って。」
エミリアは己の婚約者に会うため、王太子宮を訪れていた。本日はエミリアから相談があると言って時間を作ってもらっており、お茶会という形で会ってもらえることになっていた。殿下の到着が伝えられ、頭を下げて待っていたエミリアにすぐに声をかけてくれた。顔をあげると思っていたより近くにいたエドウィン殿下にびっくりし、体を一瞬大きくびくつかせた。それに気が付いたらしいエドウィンは少し笑ってエミリアの手を引いた。
「わたくしのわがままで、お忙しい中お時間を頂戴しまして申し訳ございませんでした。」
「気にしないで、私も君に会えてなくてさみしかったんだから。それより、珍しいね、リアからの誘いは。話があるんだって?」
「ええ……。」
こんなことを言うのは勇気がいる。肩に入った力を抜くために深呼吸をして、テーブルセットを挟んだ先、心配そうにこちらを見つめる彼を見つめ返して……。
「殿下。」
「うん。」
「ご迷惑にあたると思って、ずっとお伝えするつもりはなかったのですが、わたくし実は……。」
ああ、このやわらかなまなざしがとても。話が得意じゃないエミリアの話を、せかさずに笑顔で聞いてくれる優しさも。思いやりを感じるふるまいも全部。他の人間には感じたことのない気持ち。エミリアの胸に宿ると思っていなかった形のもの。
「わたくし、実は長らく、殿下のことをお慕い申しております……。」
とっても大好きだ。ずっとずっと大好きだ。乳母に「殿下のことが大好きなのですねえ」と言われたときに、自分に「大好き」が作れることに安心すると同時に、エドウィンの迷惑になってはいけないとふたをしようとした気持ち。婚約者との関係をこのまま理想的に保つために押し込めたはずのこの気持ち……。ああ、言ってしまった、ああ本当にこんなこと言ってよかったのかしら。全身が破裂しそうになりながら両手を握りしめて健気に相手のことばを待っていた。
エミリアが一生をかけた大告白をしたこのとき、エドウィンは少しだけ驚いていた。今日の突然の予定伺いと面会の願い出、そして最近の様子から、エミリアの口から出ることばを予想し、返事まで準備していたのだ。実際にはそれと大きくかけ離れたことであり、しかも「知ってはいたが、言うつもりがあったのか」と思ったからである。怯えた小動物のように震えるエミリアが可哀そうだから言わないが。
「……嬉しいよ。ありがとう。私もリアのことはとても好ましく思っているんだ。つまり、両想いと言ってもいいだろうね。」
「え、あの? その。」
「一応伝えておくが、君の気持ちは決して迷惑なんかじゃない。私たちは政略結婚で結ばれるが、相手のことを愛して愛されることができるならこれ以上の幸せはない。そうだろう?」
「は、はい。わ、わたくしとっとととてもしゅあわせれしゅ!」
「ふふ、真っ赤に熟れた果実みたいになっているよ、未来の妻殿。」
思っていたような反応のような、そうでないような。「そっか、これからも頼むよ」程度のことばが返ってくると思っていたのだ。これが本心であると信じるのは愚かだが、「両想い」だなんて言われてしまったいま、エミリアの顔は真っ赤で頭は真っ白だ。思っていた返事でなかったことも含めてまともに脳が機能しない。大混乱を起こしている頭は思考を放棄している。関係を崩さないように気分よくさせているだろうということは簡単に想像できることだけれど、今だけは何も考えずことば通り受け取って幸せに浸ってもいいのでは。ああ、いやいやそんな、足元をすくわれないよう気を引き締めないと……。
「ところで、どうして伝えてくれるつもりになったのかな。私はすごく嬉しいけど、誰かに何か言われた?」
「な、何か? というのは……。」
「さっき伝えるつもりはなかったって言っていただろう。からかわれでもしたのかな。」
にこやかながら急に雰囲気の変わったエドウィンに、浮かれた気持ちが冷えていく。口では嬉しいと言ってくれたがまるで探るような視線に背筋がひんやりとして、体がぷるると震える。隠し事をするつもりなど毛頭ないエミリアはどうして急に雰囲気が変わったのか、なんでこんなことを聞くのかという疑問はあれどすぐに正確に答えた。
「……わたくし、乳母が母代わりですの。今でも侍女として仕えてくれているのですけれど、わたくしのことをわたくしよりわかっているのですわ。本日は別のことをご相談するつもりでいたのですけれど、それを察知したのかそんなことよりまず自分の気持ちを伝えるべきだと叱られてしまいました。」
「……別のことというのは?」
まるで悪いことをしたような気分になってきた。エミリアはただ「何も伝えずに身を引くのはあとがお辛いですよ」のことばを信じただけなのだが。探るように質問を続けられるとどうも居心地が悪い。乳母に叱られたと言うのも、年上のエドウィンに少しでも近づきたいエミリアには恥ずかしい。まだまだおこちゃまだななどと思われていたら憤死してしまうだろう。だんだん顔があげられなくなってきた。
「……殿下はレーラさんと親しくされているでしょう? わたくしより、彼女の方が……。」
「ああ、いい。その先は言わないでくれ。彼女は国にとって有益な人物だからね。仲良くできるならしておいた方がいいと思って、ほどほどに接しているつもりだ。彼女に特別の情を持ったことは一度もないから、噂は信じないで私を信じてくれ。」
そんなエミリアの両頬に優しく手を添えた殿下は、うつむいた顔を上げさせるとにっこり微笑んだ。エミリアは大好きな人の笑顔に目がちかちかした。そろそろ本当に爆発してしまうかも、と思う反面、こんな近くで笑っていただけることはもう二度とないかもしれないとも思い、ぷるぷる震えながら瞬きせずに見つめているエミリアであった。エドウィンは婚約者の素直な反応に笑ってしまった。これじゃあ乳母も気づくだろう。
「それにしてもリアの乳母はすごいな。今度会ってみたいよ。」
「許していただけるのであれば、っじ、次回連れてまいります。」
「うん、それでもいいし、輿入れのときについてこさせてもいいよ。」
「っこ!?」
エミリアはそのままエドウィンのからかいに翻弄され、お茶会を終えた。本日のエドウィンはいつもよりいじわるだった。昔から素直なエミリアをからかうのが好きな彼だが、話題が話題だからかより力をいれて遊ばれていた感覚があった。エミリアはすごく恥ずかしい気持ちになったけれど、全然嫌じゃなかった。だってエミリアの心は彼に受け取ってもらえたのだから。たとえ嘘でも嬉しいと言ってくれたし、治癒の力を持つレーラを婚約者にはしないと言ってくださった。もしこの先、エドウィンあるいは国としての決定でエミリアが婚約者から外されることがあっても、エミリアは後悔しない。……きっと、つらく悲しくて、一生忘れられないけれど。
屋敷に帰ったら、さっそく乳母に報告だ。きっと彼女はエミリアの帰りを心から楽しみに待っている。彼女なら、今日エミリアがエドウィンに気持ちを伝えられたことや一応は受け取ってくれたことを、自分のことのように喜んでくれるだろう。背中を押してもらえて本当に良かった。胸に暖かいものが広がるのを感じながら、エミリアは馬車に乗り込んだ。
後日、本当にレーラとの話は一切ないこと、絶対にエミリアと結婚したいから私の愛を受け取ってくれ、と改めて告げられることになる。ぼひゅんと音がするくらい真っ赤になったエミリアはエドウィンのことばを心から感謝し、彼女の件は彼に任せることにした。もう、エミリアがひとりで考え込む理由はない。彼とあの子が学校でふたりだけでいても、パーティで話しかけてきても、そう。
◇
ある日の夜会。会場は王城、国中の貴族が招待されていて、表向きの内容は「王太子の卒業祝い」、実際は「本格的に公務に携わるための顔つなぎ」のためのパーティであった。
伯爵家の娘であるレーラも当然のように参加しており、スチルで見たことのある会場に心を躍らせていた。ここで思い人とダンスを踊るのだ。一生の、いやもう次に転生したときまでも持っていける思い出になるに違いない。
レーラは知識として知っていた。王太子ルートは、好感度が最高だとこの夜会に招待されるのだ。そして婚約者の相応しくないふるまいに耐えかねたエドウィンがエスコートをそれとなく放棄し、こっそり主人公にダンスの申し込みをする。己の婚約者を主人公に奪われたと気づいた悪役令嬢は怒り狂い、国益にもなる治癒の娘を会場の長い階段から突飛ばそうとする。それをかばったエドウィンが代わりに落下し、大怪我を負った彼を主人公が一生懸命治すのだ。婚約者は王族に怪我をさせたために捕らえられ、自由になった王太子は自分の気持ちに嘘がつけなくなり、主人公に結婚を申し込む。そしてエンディング。結婚式でしあわせな国家を二人で作ることを約束して、誰からも羨ましがられ祝福されるのだ。
そんな未来が待っていると思えば、最近エドウィンと会えなかったことなんて些細な問題だ。主人公の動きを完コピしたもののなんだか彼からの反応が悪く、もしかしてルートに入れていないかと思ったり、ちょっと治癒の力をアピールしすぎたかと反省したりしていたのだ。でも結果、ハッピーエンドでのみ入れる王城のパーティに参加できているってことは、ちゃんと好感度が上がっていたってことでしょう? レーラは勝手に吊り上がる口元を隠した。
悪役令嬢エミリアが原作と全く違う女になっていることを知って己以外の転生者である可能性が頭をよぎり、ルートの阻害を受けているのではと少し焦って接触したが、そういった雰囲気もなかった。あんなぽやぽやの腑抜け女、敵なんかじゃないわよとむしろ自信にすらなった。身分だけが自慢ですか。こちとら治癒の乙女でっせ。邪魔すんじゃねーよ。少しイラっとして強く当たったこともあったけど、全く気にされてないようでなんだかやりづらかった。いじめてくれたらもっと簡単だったのに。
悪役令嬢がいじめてくれなかったので、せっせとエドウィンのもとへ通った。彼の好きな場所に間違えて迷い込んだふりをしたり、次に会う約束を無理やりとりつけようとして失敗したり、また違うお気に入りの場所で待ち伏せしてみたり。少し強気にアピールしてみてもエミリアは文句を言いにも来ないし、エドウィンも一定以上の距離感を崩さない。ゲームの攻略的にはしっかりフラグの回収をしてきたはずなのに、彼の反応がゲームと少し違う。これはエミリアのせいかもしれない。
本当に苦労させられた、でもいいのだ。今日からレーラは王太子の婚約者になるのだから。エミリアだって、さすがに自分と踊ってもらえないのに元平民と踊っていたら屈辱でしょうし。そうなれば今までのちょっとずれているなあというものがすべてうまくまとまるはずなのだ。そうしたらレーラは幸運が確約される。
養父の伯爵も、もはや自分が王太子の義理の父親になることがほぼ確実だと思った日から汚い笑顔が止まらない。少し見ていて苦しいけれど、今までレーラのバックアップをしてくれたのは間違いなく彼だ。それに、どこでだって「未来の王妃が挿げ替えられるかもしれないらしい」という話題でいっぱいになったのはレーラの努力と養父の機転のおかげなのだ。この噂が大きくなればなるほど、しかも挿げ替え先が聖女のように讃えられれば讃えられるほど、王室は無視できないはず。養父は下町の雀に声をかけ、「元平民のレーラ様は聖女のように人助けをして回っている」「レーラ様は王太子と仲がよろしい」という二つの噂をそれとなくばらまくようにと金を握らせたのだ。あちこちでさえずる雀のおかげでどんどん噂に尾ひれはひれがついていき、次期王妃はレーラで確定だと言われている。こうなれば笑いも出ようというものだ。
胸を張って養父のエスコートで歩く。いずれレーラをエスコートするのはこんなちびのはげおやじなんかじゃなく、この国一番のいい男なのだと思うと気分がいい。周りからの視線も心地よく、以前なら見てんじゃねーよと思っていたかもしれないが、今はいくらでも見ておけよという気分だ。次この会場に来た時には、この人たちと同じ高さにいないので。これだけ近くでレーラに会えるのはこれで最後だろうから、広い心でいくらでもこの主人公マスクの可愛さを拝むがいいわ。
気が大きくなっているレーラは周りの視線が、嫌悪や軽蔑、そして同情の色をしていることに気づいていなかった。嫉妬や羨望、憧憬によるものだと思い込んでいたので。元平民がデカい顔をして貴族の中に居座っていることをよく思わないものはたしかにいる。しかし、今回レーラとその養父に向けられた感情は、治癒の能力で荒稼ぎし、慈善事業の裏で小汚い真似を重ね、王太子の婚約者の座を奪おうとしていることをまったく隠さない姿勢に対するものであった。誰からつつかれようとも、だっていずれ我が家は王妃の実家だからと言わんばかりの態度を見せる割には、有能さをまったく感じられないような彼らに近づきたいやつはそういない。あの扇の下では、ただの治癒士として活用されて終わるのではという話が交わされている。
浮かれたレーラは気持ちよく人と会話して、それとなく自分の今日のドレス自慢や先日行った慈善活動の内容の脚色したもの、極めつけの学校でエドウィンと仲の良くしていたアピールをして時間を待つ。気づいたときには周りに人がいなくなっていたことも、まったく気にしていなかった。
そうして、国王と王妃に続いて、やっと主役のエドウィンが登場する。隣につれているのは原作通りエミリアだ。今日も美しい。原作のあのド派手な女も、まあド派手ながら綺麗だったけど、こっちのエミリアの方が清楚で綺麗に見えて、女性としては好感が持てる。とはいえ嫌いだけど。だって目の上のたんこぶだし。
一同臣下の礼をとる。国王のお言葉があって顔をあげるとレーラにとって信じられないものを見た。エミリアと寄り添っているエドウィンが見たことのない綺麗な笑顔を見せていたのだ。少なくともレーラが学校で付きまとっているときに見た、対外笑顔ですと言わんばかりの顔ではない。ちょっと、なにそれどういうこと? そんな顔見たことないわ、私は主人公なのにおかしいでしょ! この会場は王太子ルートハッピーエンドの確定演出だったはずだ。レーラはぎりぎりと奥歯を噛みしめた。
国王がエドウィンの卒業祝いに駆け付けた貴族に感謝を述べ、そしてエドウィンのあいさつの番になる。きっと、そうだ、レーラはここで選ばれるはずだ。
「私の卒業祝いに駆け付けてくれてありがとう。これで一人前、これからはより一層国のことを考えて邁進していくので、婚約者とともに歩む道を信じていただきたく思う。」
では本日は楽しんでいってくれ! との締めのセリフにあわせてオーケストラが演奏を開始する。浮かれた空気の中、自分と養父は立ち尽くしていた。いま、あのひとはなんていった?
少し離れたところの女性の群れがこちらをこそこそ見てはくすくす笑っている。先ほどあいさつした養父の仕事相手は気まずそうな顔をして目をそらした。知らない子息が口元をゆがませながら声を掛けてくる。適当にあしらえば悪態をつかれた。「お前なんか王子に選ばれるはずねえだろ」? そんなことはない。ここまで漕ぎ着けたんだ。自分はあの人に選ばれたはずなのだ。
なのにどうして。どうしていま、あなたはその女の……悪役令嬢の手を取っているの? どうして。
人波をかき分けて進む。そんなはずない。ダンスは踊ってくれるはずだ。悪役令嬢が多少悪役を放棄したからって大筋は変わらないはずなんだ。ちょっとおかしくなっているだけ。まだ大丈夫。まだただの「婚約者」が隣にいるだけ。だって国にとって有益な女は王子にあてがうのが国政として一番正しい。そうだよね? 王子のもとまで遠い。早くいかないと、ダンスが始まってしまう。人波もダンスホールに流れていっている。きっとその中に彼はいる。
レーラは追いすがる。まだ道はあると信じて。
ダンスホール、その中心でふたりの男女が踊りだす。パーティ主役の男とその婚約者。レーラは諦めない。原作の文中、ファーストダンスとは書いてなかった。貴族だもの、ファーストダンスはエスコート相手としないとマナーがなっていないって判断されるから形上ダンスしているだけ。そうでしょう、そう言ってよ。
曲が終わり、美しい二人は向かい合って礼をする。周りで踊ろうとするペアがどんどんホール中心に寄っていき、レーラはその中に混じって王子に近づいていく。もう、手の届く距離。レーラはエドウィンの腕に手をかけた。
レーラの、いや、レーラの前世が大好きだった王子様。原作の主人公の行動通りやってきたはずだ。何にも間違った選択はしていない。ちょっとおかしくなっているだけ。
「エドウィン様。わたくしとも踊ってくださらない?」
ルートの攻略はうまくいっている。その証拠に、そうだ、ここで手を取ってくれるはず。そのはずなのに! どうして。
「私と踊ることを望んでくれる女性には悪いけど、あと二回エミリアと踊る約束をしたんだ。だから遠慮してくれる?」
「っえ、エドウィン様はわたくしと仲良くしてくださったじゃないですか。」
「ううん、気づいたら君がいたって感じだったと記憶しているね。」
近くで踊ろうとしているカップルはレーラを邪魔そうに見ている。だが、引けない。どうしたって。ここまできて変わったことを修正したいのだ、どうにかストーリーに戻しさえすれば希望があるはずだ。
「わたくし、エドウィン様が好きなんです! だからっ!」
「踊ってくれって? あとでね。見ての通り、私には大切な婚約者がいるんだ。いろいろ失礼な君の希望を私がかなえる必要はあるんだろうか。」
近くに衛兵が来ている。レーラを連れ去るつもりだろうか。邪魔になっている自覚はあるが、そんなことは構わない。エミリアがこっちに気を遣えばレーラだって邪魔しなくてよかったはずだ。使えない女、どうして空気を読まないの。いっつもぼんやりしてるんだから、王妃になんてなれるはずがないのよ。ぎりりとエミリアを睨む。今までもそうだ。涼やかな顔でレーラを見ていた。レーラという格下からの礼を失する行動も意に介していない様子にさらに腹が立つ。騒ぎの中心に衛兵がたどり着いた。
「エドウィン殿下。」
「うん。彼女は体調が悪いらしい。休憩室まで案内してくれ。」
どうして悪役令嬢の手を取るの、私の王子様。
衛兵に両脇を固められたレーラは、会場から連れていかれそうになる。そんなわけにはいかない。止められながら必死に手を伸ばすが届かない。王子はもうこっちを見なかった。
「私が君なんて選ぶと思うかい? こんなに可愛い婚約者がいるのに?」
追い打ちのように告げられたことば。決して大きな声ではなく、音楽が鳴っていて人が話す会場でぽつりと落とされた一言だ。聞こえたひとも少ないだろう。だがレーラにはしっかり聞こえた、聞こえてしまった。愕然として力が抜けた瞬間、引きずられるように休憩室まで連れていかれた。止まらない涙、たどり着かない真実。どうして。こんなはずじゃなかったのに。
その後、レーラは治療院に勤めることになり、一定期間ずつ全国各地を回るように移動するようになった。安価な報酬で怪我人や病人を治し、感謝され。己のことを後回しに、国に貢献してくれている心清らかな女性。王妃であればできないことだ。何も知らない国民は「聖女」が王妃の座を辞退し、国民を癒す旅に出られたのだと持ち上げた。
国はそれを肯定も否定もしない。おだやかに笑みを浮かべるだけ。今日もまた、王太子の横には美しく淑やかな令嬢が寄り添っている。
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