手放せない理由に向き合う
今使っていないものは手放す。
これがミニマリストの鉄則であることは重々承知している。しかしこれが難しい。
手放してから必要になったら。また買うなんてもったいない。捨てなきゃよかった。そうなるのが怖い。そうなるのが怖いというより、そうなって手放すことにブレーキがかかるのが怖い。
それでもまだ、また手に入れることができるものならよい。もう絶版になった本とか(高額で手に入れることはできるかもしれないが)、思い出のものとか(たとえ同じものがあっても別物、あるいはそもそも売っているものとも限らない)、そういうものは二度と戻ってはこない。取り返しのつかないことになれば、頑なに手放せなくなるかもしれない。
もちろん大半のものは後悔ののち、ものだけでなく後悔ごと忘れていくだろう。だけど世の中には取り返せないものがあるのもまた事実なので、手放すことが苦手な人間は無理をしてはいけない。
時に勢いは大事なのかもしれないが、慎重に、納得した上で手放していくことが大切なのだと思う。
悩みながらも残しているものたちを、なぜ手放せないのか。手放せない理由をきちんと考えて向き合うことが、次に向けた私なりのステップだ。
手放せない理由がわかれば、その理由が取り除くことができれば手放せるからだ。
たとえば私はCDを所有している。今やコンポやプレーヤーがそもそもないから捨てた、という声も聞く。
私の場合、車でCDを聴くことができる。実際聴くこともある。何年か前にMDは聴くためのものがないという理由で全捨てしたが、CDはそれには当てはまらない。
ではそれらのCDを聴いているのか。
それならば捨てればいいのだが、それができないからポンコツなのである。
・現役で聴いている
・今は聴いていないが聴くかもしれない
・好きだったから思い出がある
・もう手に入らない
まあ、捨てられない理由はこんなところだろうか。聴いているものは残して問題がないとして、向き合うべきはそれ以外だろう。そもそもこれらの理由が複数あることも多い。
ここで注目すべきは聴くかもしれないという理由だけで捨てられないものだ。好きなアーティストの所有しておきたい欲があるものは、気持ちと向き合うためハードルが高いが、聴くかもしれないというのは気持ちではないのでわかりやすい。持っていなくても聴くことができれば、それは手放しても構わないということだ。
今さらながらそのことに気づいて、いくつかのCDを手放すに至った。サブスクで聴ける曲、ほかのCDに入っているシングルなど、いつか聴きたくなっても問題ない。
もちろん迷わず全捨てがいいのはわかっている。でも初回限定盤とか、もう解散してしまった昔好きだったアーティストとか、そういうのって、もう手に入らないじゃないですか。
そんなことを言っている時点でものに執着しすぎだろ、というのは重々承知している。けれども、納得して手放すのと、全捨てしなければと勢いで手放すのとは全然違う。もしもいつか捨てなきゃよかったと思ったとき、納得して手放していれば仕方ないなと思える気がする。これで良かったのだ、と受け止められるだろう。たぶん。
自分が手放せずにいる理由がわかれば、その理由と向き合えばいい。そうしたら手放す道が見えてくる。
本なども、おもしろかったから、と残していた本は手放せたりする。じゃあ読み返すか、と思ったときに読み返さないな、と思えるからだ。逆にもう絶版だったり、好きな漫画家だから持っていたいからみたいな理由だとまだまだ時間がかかる。
本当に時間がかかる方法だけど、地道に時間をかけて、ものと向き合っていきたい。
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