第二十二話「バイト小戦士」
「ハンカチとティッシュ持ったか?」
「はい」
「昨日渡したメモ帳とペンは?」
「バッチリです。手鏡も入ってます」
アリスは口がバッテンのウサギをデザインとしたポーチから新品のメモ帳とボールペンを取り出す。
「まだ袋から出してねぇじゃんか。すぐ使えるようにしてけ」
「わかりました!」
今日はアリスの初バイトの日。
特に持っていくものはないと言われているけど、最低限のエチケットは必要だろう。
これらのアルバイトエチケットアイテムを渡すと目を輝かせて喜ばれた。
しかしそんなに楽しみで仕方ないって感じにできるものなのかね。
ちなみに俺が初バイトの時なんて緊張して眠れなくて、初日から遅刻をかました過去がある。
「張り切るのはいいけど、張り切りすぎて迷惑かけないように気をつけろよ」
「わかりました!」
返事はいいんだけどなぁ。
なんだか不安だ。
確かにアリスはしっかりしているけど、変なところで常識はずだからなぁ。
玄関のチャイムが鳴る。
「かもめさんです!」
たたたっとアリスは玄関に向かう。
あと何か言っておく事あったかな。
「アリス」
「はい」
色々考えて、結局はありきたりの言葉しか思い浮かばなかった。
「いってらっしゃい」
「はい! 行ってきます!」
+。:.゚ஐ⋆*♡・:*ೄ‧♪
「今日のアリスちゃんのお仕事は見ることです」
「はい!」
アパートからかもめさんと一緒に喫茶店向かって、更衣室で身支度を済ませました。
私のために用意してくれた爽やかな青緑色のエプロンをつけて、髪も後ろで可愛く纏めてくれました。
聞くところによると、どうやら髪の長い女性はお仕事の時には髪を後ろで纏める必要があるみたいです。
今日の仕事の内容を聞いて、早速ポーチからメモ帳を取り出す。
〝お仕事を見ることがお仕事〟っと……。
「あ、偉い。ちゃんとメモ帳用意してくれたんだ」
「シノさまがプレゼントしてくれました」
「へぇ。シノくんちゃんとしてるなぁ」
「はい! シノさまは毎日ちゃんとしてます!」
かもめさんはシノさまの素敵なところに良く気づいてくれて好きです。
シノさまが褒められると私も嬉しくなります。
「あ。気づいちゃったんだけど、トランプ柄のメモ帳に、猫のボールペン。ポーチもうさぎでしょ。これって不思議の国シリーズなんだ」
それを聞いてはっとしました。
確かにその通りです。
どれも不思議の国に登場する者たちです。
「本当です。初めてわかりました。この折りたたみの手鏡もティーカップ柄です!」
「シノくんがアリスちゃん専用に用意してくれたんだね」
シノさまはこんなところまで考えてくれていたなんて、流石すぎます。
「おっとと。話が脱線しちゃった。アリスちゃんには私のしていることをよく見て、どんな仕事をするか覚えてもらいます」
「わかりました!」
事務室から出ると、ちょうどお客さんが来たことを知らせるベルがカランカランと鳴りました。
「いらっしゃいませー。お一人様でよろしいでしょうか?」
かもめさんが慣れたようにお客さんを席に案内します。
お客さんの人数を確認して、空いている席に案内する。
それをジッと観察して、メモをとります。
それからかもめさんはキッチンに入ると、グラスにお水を入れて運んでいきます。
水を運んだ時に注文を確認して、キッチンにいるマスターに伝える。
シノさまと一緒に来た時と同じ流れです。
「どうかな。できそう?」
「バッチリできます!」
「じゃあ次のお客さんからアリスちゃんにお願いしちゃおうかな」
「おまかせください!」
と、次のお客さんが来ました。男の人。私の初仕事です。
「いらっしゃ――」
さっきのかもめさんと同じようにお客さんを迎えようとすると、かもめさんに手首を掴まれました。
「?」
「ちょっと待って。あのお客さんは私が対応するから」
なんででしょうか。
かもめさんは私に待っているようにとジェスチャーすると、さっきと同じようにお客さんを席に案内します。
かもめさんが戻ってきたところで訊ねます。
「なにか間違えちゃいましたでしょうか」
「ううん。あのお客さんクレーマー……というか、ちょっと前にクレーム貰っちゃってね。まぁ、私のミスだったんだけど。ちょびっとだけ怖めの人だから、アリスちゃんにはちょっと早いかなって」
「なるほど……わかりました」
かもめさんが耳打ちをするように小声だったので、私も小声で頷きました。
「かもめさん。すみませんが事務室の電話が鳴っているのでお願いしてもいいかな。多分叔母さんからだから」
「はーい。アリスちゃんごめんだけど、ちょっと待っててね」
かもめさんがぱたぱたと事務室に入っていきます。
「あ! お水忘れてます」
事務室の扉が閉まってから気づきました。クレームのお客さんにお水を出し忘れています。
キッチンを覗くと、マスターは何やら作っていて忙しそうです。
「私しかいません」
よし。
かもめさんを真似して、グラスにお水と氷を入れて、溢さないように気をつけながらお客さんのテーブルへ持っていきます。
「お水です」
「……」
お客さんの顔を覗いてみると、しかめっ面でメニューを見ています。
私の声に気づかないくらい何を注文するのか迷っているのかもしれません。
その気持ち分かります。
初めてシノさまに連れてきてもらった時は私もたくさん迷いました。
うんうん。と頷いていると、メニュー表とは別に手作りのメニューが置かれている事に気づきました。
そこには〝アリスコーヒー〟とマジックで書かれていて、コーヒーのイラストと、その隣に描かれているのは多分……私の顔です。
これはあれです。
私が淹れるブレンドコーヒーのことです!
「これがおすすめです!」
「……?」
迷っているようなので、おすすめに〝アリスコーヒー〟のメニューを指さしてあげます。
お客さんは一瞬目指さしたメニューを向いてから、アリスの方を向きました。
「君は?」
「アリスです」
お客さんは困ったような、怒ったような、その半分づつの顔をしています。
「……怒っていますか?」
「怒ってはいない」
「それは良かったです」
少しの間視線を交わしてから、お客さんはおすすめしたメニューを手に取ります。
「アイスコーヒー?」
「違います。アリスコーヒーです」
「……どんなコーヒーなの?」
「それは飲んでからのお楽しみです」
「……じゃあこのアリスコーヒーを一つ」
「かしこまりました!」
早速の注文に、シノさまからいただいたメモ帳に〝アリスコーヒー一つ〟と走り書きしてキッチンに急ぎます。
「マスター注文です! アリスコーヒーです!」
「はは、さっそく注文が入りましたか。コーヒーの淹れ方は覚えていますか?」
「バッチリです!」
マスターの見守る中、私は前に教わった通りにコーヒーを淹れていきます。
淹れ終わって振り返ると、
「バッチリですね」
と、マスターからのOKを貰ってから、溢さないように気をつけながら、お客さんのところへ運んでいきます。
「お待たせしました。アリスコーヒーです」
「……」
お客さんの目の前に置くと、変わらず怒ったような顔でコーヒーを見ています。
「ミルク」
「?」
「ミルクは付いてないのか」
なんのことでしょうか。
シノさまとかもめさんに飲んでもらった時にはそんなこと言われてません。
「ミルクはないです」
「……そう」
それからお客さんは端に置いてあるシュガーに手を伸ばします。
「あ! ダメです! それも入れません。アリスコーヒーはそのままです!」
「……」
お客さんはコーヒーを飲んだことがないのかもしれません。
「……キミはずっとそこにいるの?」
「はい。間違えたらいけないので」
「そう……」
お客さんは少し間を空けてから、コーヒーに口をつけます。
シノさまとかもめさんの時は大絶賛だったのに、お客さんの表情はぴくりとも変わりません。
「……美味しくなかったですか?」
「いや……これはキミが淹れたの?」
「はい……」
どうやら美味しくなかったみたいです。
マスターに見ててもらいながら淹れたので間違ってはないと思ってたのに……。
初めてのお客さんだったのに、失敗してしまったようです。
「やっぱり怒ってますか?」
「怒ってないけど、怒ってるように見えるかい?」
「はい。怒っているようにしか見えません」
「そうか……。周りからよく言われるけどおじさんは――」
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