第17話 幼馴染のいない部屋で
「寿崎先輩、これから二人っきりですね」
「……」
「どうしたんです? 顔色悪いですよ」
「それは、しょうがないだろ……」
普段から過ごしている自室。そんな空間に、そして、目の前に誘惑してくる女の子がいたら、しどろもどろになってしまうのもしょうがないと思う。
紬がいる時は大人しかったのに、今では別人のようだった。
「私、寿崎先輩の家に来るのが目的だったんです。だから、一つだけ願いが叶ったって感じです」
後輩の六花は余裕ある笑みを見せており、和弦からしたら、それどころかではない。
今まさに心拍数が上がっており、どうすべきかを考えている状況で、なおさら冷や汗をかいてしまう結果となった。
「寿崎先輩って、こういう漫画が好きだったんですね」
「しょうがないだろ」
「でも、私はいいと思いますよ。こういう漫画も」
「それはいいのか」
「はい、でも、寿崎先輩がこういう趣味があったとは、ちょっと驚きましたけど」
和弦は尻餅をついたまま、極力後輩から離れる事にした。
がしかし、漫画を持っている六花は立膝になり、尻餅をついている和弦へと歩み寄って来たのだ。
「私、これ、やってもいいですけど」
六花は手にしている和弦の漫画のページを見開くと、その場面を見せて指さす。
「やるって、それと同じことか?」
「はい、寿崎先輩さえよければですけど」
六花はやる気満々らしい。
というか、いつになったら、紬は帰ってくるんだよ。
紬が戻ってこないのも気になるが、紬が戻ってくる前に、この緊急事態を改善したいところだ。
「そう言えば、この漫画に、後輩キャラと関わっている場面があったはずですよね? このページだった気が」
六花は立膝のままページをめくり、再び漫画の中身を見せつけてきた。
「これです」
「やめておく」
和弦は後輩から目を逸らす。
「でも、絶好のタイミングじゃないですか?」
軽く頬を紅潮させている六花は乗り気だ。
「な、何が?」
「だって、寿崎先輩には付き合っている人がいて、この漫画の主人公も誰かと付き合っている最中に、別の子と如何わしい事をしてる場面があるじゃないですか」
「でも、俺はやらないから……こんな危険を冒してまでは」
「もう、こういう漫画を読んでいるのに興奮しないなんて意気地がないですよ、寿崎先輩は」
六花は、さらに距離を取ろうとする和弦へ、襲いかけるように距離を詰めてくる。
「私ならできますからね、安心してくださいね」
六花はピンク色の唇を小指で触りながら、甘えた声を出す。
「え? な、何が?」
「だから、こういうのできますってことです!」
「ちょっと待て」
和弦は後輩がやろうとしていることを察するが、気づけば和弦は部屋の壁に背をつけていた。
もはや、これ以上逃げられる場所などもない。
八方ふさがりだった。
「寿崎先輩って、あの人とこういうのやったことがあるんですか?」
「な、ないけど」
「やってくれないんですか?」
「そうじゃないけど」
「じゃあ、寿崎先輩が奥手なだけ?」
「そ、そうかもな。そうだよ」
その一言で、六花の雰囲気が変わった。
「でしたら今、この漫画と同じように寿崎先輩とキスしたら、私が始めてになりますよね?」
「そ、そうなるな……」
嫌な予感しかしなかった。
「寿崎先輩、やりませんか?」
「それはやめてくれ。ここだと」
「別のところだったらいいんですか?」
六花の行動は止まる事はなさそうだ。
「寿崎先輩、そんなに消極的にならなくても。私なら、なんでもできますからね」
六花は少しだけ色気のある大人っぽい声を出し、和弦に抱きついてくる。
このままでは駄目だと思い、和弦は反撃する事にした。
「お待たせ、オレンジジュースの他に、お菓子もあったから持ってきたよ!」
ついに、幼馴染の紬が戻ってきた。
扉越しに声が聞こえ、そして、彼女は和弦の部屋の扉を開ける。
「え……」
「な、何してんの⁉」
「こ、これには色々あって」
和弦は紬の方を見やって、誤解を解こうとする。
今、和弦は後輩の動きを抑えるため、六花に覆いかぶさるように四つん這いで押し倒していたのだ。
和弦は、後輩にわからせてやろうと思ったのだが。
結果として、そればかりの頭になっていた事も相まって、幼馴染が戻ってきている事に全然気づいていなかったのである。
和弦は後輩から咄嗟に離れた。
「俺、これには訳があって」
「でも、そういう人だとは思ってなかったけど。あれ、それは」
紬は床に落ちていた漫画に気づいたらしい。
「もしかして、その漫画の事をやろうとしたの?」
「はい、そうなんです。私、寿崎先輩からやろうって言われて」
後輩はいきなり嘘を吐いていた。
「え?」
和弦は、六花のとんでもない変貌ぶりに、目を点にしていた。
「そういうこと? でも、私が言った時にはやろうとしてなかったのに」
紬からジト目を向けられてしまうのだった。
「それで、六花さんは、和弦の事は好きなの?」
テーブル上にお菓子やジュースが乗ったトレーを置くと、紬は六花の近くに歩み寄っていく。
「……好きじゃないかもしれないです」
幼馴染の問いかけに、六花は違うと答えていた。
それを聞いていた和弦は驚くように目を見開く。
ど、どういうこと?
好きではないって。
じゃあ、なんで誘ってきたんだよ。
それに、キスしようとか……。
好きではないなら、さっきのは一体何なんだ?
俺が、逆に六花から弄ばれていただけ?
和弦は頭を抱える。
わからせるつもりが、逆に六花の作戦の内だったのかもしれないと、今になって気づき、その絶望感に襲われてしまうのだった。
「そういう事らしいよ、和弦。この子とは友達なんでしょ。変なことはしないようにね」
「で、でも、それは」
「でもじゃなくて。じゃないと、お菓子は無しだからね」
「え? 俺の家のお菓子なんだけど」
和弦は肩を落とした。
こんなはずでは……。
そんな中、後輩の六花は、紬から頭を撫でられていた。
「大丈夫だった?」
「はい、でも、寿崎先輩って積極的なんですね。学校にいる時は何もなかったのに」
「そうなの? でもね、和弦って普段から消極的なのよ。もう少し積極的でもいいのにって思ってるんだけどね」
幼馴染は横目で和弦の事を見つめてくる。
「すいません……」
意味もなく、和弦は謝罪の言葉を口にしていた。
「私とは、この漫画の通りにやろうとしなかったくせに。もしかして、この子の事が好きな感じ?」
「違う。ただの友達だって」
「まあ、いいけど。私との約束は破らないよね、和弦?」
「それは誓うよ」
「まあ、いいわ。次、変なことがあったら、その時は覚悟しておいてね」
「……承知しました」
和弦は言いたい事はあったが、ひたすら謝る。
一応誠意を見せたこともあり、和弦もお菓子やジュースにありつけた。
休憩を挟んだ後、薄暗くなるまでの間、三人で勉強を続ける事となったのである。
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