第2話

「お、あれ義孝の姉ちゃんじゃね?」

 

 小学からの友人である石崎いしざき雄大ゆうだいがつんつんと脇腹を突く。んお、と顔を上げると、二歳上の姉が、何とも不安そうな顔でもじもじしながら並んでいるのが見えた。


「義孝の姉ちゃんどれ?」

「何だよ、義孝姉ちゃんいんのかよ」

「可愛い系? 美人系? どっち?」

「おい、どけろ。重てぇ重てぇ」


 その場にいた友人達が、義孝に覆いかぶさるようにして彼の『姉』とやらを一目見てやろうと身を乗り出す。雄大が「義孝の姉ちゃんはどっちかつーと美人系だな」と冷静に返すと、「うおおおマジかよ」と一年生男子は色めきだった。それを見て女子達は「男子ってこれだから」と呆れ声である。


「それで? どれだよ! なぁ、義孝ァ!」

「だーから重てぇって馬鹿。あれだよ。右から三番目」


 渋々白状すると、「お、ほんとだ。結構美人じゃん」、「今度家行って良い?」、「姉ちゃん、何カップ?」とさらにヒートアップする思春期男子達である。一人一人にいちいち反応するのも面倒臭く、「あーハイハイ」と返していたが、カップ数を尋ねて来たやつだけはギリッと睨みつけておいた。


 それで。


 パァン、という乾いたピストルの音で走者が一斉にスタートを切る。やや遅れたように見える真知子は、そこから追い上げることもなく、それどころかどんどん差をつけられる形で堂々のビリでゴールした。


っそ」

「義孝の姉ちゃん、結構見掛け倒しだな」

「な、すらっとしてるし、速いと思ったのにな」

「意外と鈍くせぇのな」


 くすくすと笑う声がそこかしこから聞こえて来る。それにカチンと来た義孝は、


「おい」

ってててててて」


 背負うような形になっているクラスメイトの手の甲をぎゅっと抓り上げた。


「何すんだよ!」


 と赤くなった手の甲を擦りながら涙目で抗議するクラスメイトに「うるせぇ。俺の姉ちゃん馬鹿にすんじゃねぇぞ」と睨みを利かせると、義孝よりも身体の大きな彼は「ご、ごめんて」と即座に謝罪した。こいつを敵に回したらヤバい。そんな凄みがあったのだ。


 実際、今日は義孝を敵に回すのは得策ではない。何せ彼はこの後の代表リレー、紅組一年男子のアンカーなのである。


 代表リレーは学年混合の障害物競走と借りもの競争の次だ。義孝はこの手の運の要素の強い種目には出ない。純粋に『速さ』を競う種目にのみ選ばれているのである。


 が、もちろん姉の真知子はというとその逆で、生徒間で密かに『運動音痴のための救済種目』などと呼ばれているそれらの競技に出ることになっている。


 三年女子の百メートル走が終わり、障害物競走が始まった。そこでも真知子は運を味方につけることが出来ずに最下位でのゴールである。真知子が平均台から落ちたり、網に絡まって方向感覚を失う度に紅組一年の応援席では密やかな苦笑が聞こえてくる。いちいち相手にしてもいられないが、腹立つものは腹立つ。


 いま笑ったやつ、あとで全員泣かす。


 そんな物騒なことを考えつつ。


 次は借りもの競争だが、真知子の話ではこの学校の借りもの競争は『物』ではなく『者』の字を当てるのだという。指示札の内容に該当する人物を探し出し、その人と一緒にゴールしなくてはならない。

 ちなみに、指名された人に拒否権はなく、最終的なジャッジはゴールにいる教員がすることになっていて、毎年これでカップルが数組成立する、などという噂もある。札は実行委員が作成しているため、そういったウケ狙いの内容が大半なのだろう。というわけで、一部の生徒にしてみれば大層盛り上がる競技ではあるのだ。


 だったらなおさら、人見知りでコミュ障の姉ちゃんには無理なんじゃないのか。


 義孝が真っ先に考えたのはそれだった。

 本当は真知子の方でも出たくなかったらしいのだが、補欠として入れられてしまい、そして、本日、欠員が出てしまったのである。


 グラウンドの中央で番を待つ真知子は案の定不安そうな顔をしている。借り『物』でもハードルは高いが、『者』なんて厳しすぎる。せめて『家族』だったら俺がいるのに、と義孝は歯噛みした。観覧席に保護者がいる小学校の運動会ならまだしも、基本的に家族の応援のない中学の体育祭である。そんな札を作るわけがない。


 いざ競技が始まってみると、カップル成立のノルマでもあるのか、ことごとく異性を指名する走者が多い。どんな内容が書かれているのかと思えば、なんてことはない、


『眼鏡をかけた人』

『数学が得意な人』


 といった、男女どちらでも問題ないものばかりである。要は、選ぶ側の匙加減なのだ。よくよく見てみれば、出場者はノリの良い明るいタイプが多い。


 成る程、この競技はそういうキャラが体育祭を盛り上げるために存在しているのだな。


 義孝はそう理解した。

 実行委員がカップルを増やそうとしているのではない。これに乗っかって『あわよくば』を狙う生徒が、この競技に出るのだ。


 そう考えると、なおさら姉が心配である。

 姉の方ではそのつもりはなくとも、指名された側がそう捉える可能性がある。すなわち、自分に気があるから選んだのだ、と。


 真知子の番が来て、義孝はいよいよ気が気じゃない。札を引いた真知子は、困ったように眉を下げ、きょろきょろと応援席に視線を走らせている。誰だ。誰を選ぶんだ。良いじゃないか、同性女子だって。さっき女子を選んだやつがいたはずだ。別に問題はないんだ。


 ハラハラしながら見守っていると、真知子と視線がかち合った。その瞬間にホッとしたような顔をするものだから、義孝もつられて頬が緩む。


 それで――、決して速くはないその足で、真知子は一年の応援席へと向かってきた。


 義孝の隣にいる坊主頭の野球部が「俺かも?!」とそわそわし出す。まだわからないというのに「絶対お前じゃない」と姉に代わって即座に切り捨てたが、仮に『坊主頭の後輩』だとしたら、こいつかもしれない、と血の気が引く。


 ハァハァと息を弾ませた真知子が到着する。呼吸を整えてから、ええと、と言い、まっすぐに手を差し出してきた。


「え」


 見慣れた姉の手である。

 それが、目の前にある。


「義孝、お願い。良い?」

「い――良いけど」


 おずおずとその手を取ると、小さな声で「ありがとう」と言って、真知子は走り出した。「姉ちゃん、っそ」という言葉は、ぐっと飲み込んだ。


 結果は五位。ギリギリ最下位を回避した形だが、「ビリじゃなかった。義孝のお陰だね」と真知子は上機嫌である。おう、と返しつつも、義孝もまた高揚していた。


 札に書かれていたのは――。


『頼りになる人』


 嬉しくないはずがない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る