第32話 ヘルマン・ブラッケ
枢密会議から数日後、大臣ヘルマン・ブラッケは自室で酒を飲んでいた。
酔えば多少は気が休まるかもと、縋るような思いでグラスの葡萄酒を飲み下す。
ヘルマンはそこまで酒が好きな人間ではない。独りで飲むなど随分と久しぶりだった。
ため息をついて天井を見上げる。
酔いは回るが、気分は沈むばかりだった。
「国王陛下への奏上で怒りを買うという最悪の展開だけは免れたが……厳しい」
呻くように独り言を言い、もう一度ため息。
エリーサ失踪から1月を経たことによる国王への奏上は、結果としては行われなかった。理由は単純、王の病状が悪かった。2日間待機したものの、会話が出来る状態にならなかったのだ。
ヘルマンとしては、幸運だった。しかし、枢密会議でのダメージが大き過ぎた。
重要なポストにあった役人を3人一度に潰されたのは痛い。致命的とは言わないが、行政機構の統制が弱まることは避けられない。
そして何より重要人物が投獄された事で、大臣派は泥舟かもしれないと思われてしまった。
加えて傍聴人を通じて悪評も広がっている。
大臣派に居れば、ホバート派から攻撃されるかもしれない。しかも周囲からは白い目で見られる。
逃げたいと思うのは当然だ。どっぷり浸かって逃げられない者も多いが、そうでない者は静かに去っていく。
何とか打開策をと思うが、名案はない。
大臣派が動けないのには、ラミエ伯の件もある。王宮の使用人の人事を管理する役職にある彼が、エリーサの家庭教師達を呼び出していた。大臣派からホバート派に寝返ったのだ。
裏切ったのがラミエ伯1人ということは無いだろう。こうなると他に誰が裏切っているのか、疑心暗鬼にならざるを得ない。
ラミエ伯は禁止薬物の売買に手を染めていた。小心者の彼か寝返ったという事は、ホバート派が密売の証拠を押さえたのだろう。
裏切りの報復に大臣側からラミエ伯の罪を告発しても、証拠は既に隠されている可能性が高い。
エリーサが居ない今、枢密会議で「確たる証拠がない」と処罰を否定されて終わりである。
中立派を敵に回しているのが、辛い。
ドグラス・カッセルの追放は悪手だったか……そう思いかけて、首を横に振る。
ドグラスの排除は必須だった。
ブラッケ家とカッセル家では"格"が違う。ドグラス・カッセルをライバルとして真っ向から競えば、王配の座を得るのは難しい。
「クソっ! 未だに300年も前の事ばかりを!」
グラスをテーブルに叩き付ける。残っていた葡萄酒が飛び散り、紫色の滴がヘルマンの裾を汚す。
300年前、魔族との大戦争で劣勢となった人類は命運を掛けた反攻作戦を実行し、勝利した。
それは学のない農村の子供すら知っている物語だ。どこの村にもその絵本だけはあるし、親から子へも口伝で伝えられる。フィーナ王国だけではない。大陸北部諸国は全て同じだ。
ルドラン王家の権威も、ヴェステル王家への尊敬も、それに由来する。
その物語にブラッケ家の名は出てこない。
カッセル家は、出てくる。
反攻作戦において、人類側は戦力を3つに分けていた。
人類連合国約20万、勇者ラミディオ率いる精鋭300、そして大聖女フィーナだ。
人類連合軍が囮になり魔王軍主力をおびき出し、主力不在の魔王城を精鋭300が強襲、大聖女フィーナが設置型広域殲滅魔術で魔王軍と魔王を分断した。
魔王を脅かされた魔王軍主力はフィーナの広域殲滅魔術への突撃を強制され半壊、そこを人類連合軍に攻撃され壊滅した。
強襲部隊も激戦の末に魔王討伐に成功、人類は勝利する。
魔王戦で戦死したセシリア・カッセル、彼女は魔王の全力の攻撃魔術を24撃に渡り相殺し、勝機を作り出したとされる。後のヴェステル王、戦士バルテルの恋人でもあり主役級の人物だ。
デベル家、ホバート家、ウジェーヌ家は絵本レベルでは触れられないが、連合軍に将として参戦している。
ブラッケ家は当時何をしていたのか、よく分からない。ブラッケは200年程前から頭角を現した、新興の家なのだ。
フィーナ王国内での序列はルドラン、カッセル、同列でデベル、ホバート、ウジェーヌだ。どうやっても、ブラッケはその下に見られる。大昔の事で、下に置かれる。
嫌だった。
だから、必死に積み上げた。ゴマすり、騙し、脅し、懐柔し、派閥を大きくした。
だが……
ヘルマンは乱暴に酒瓶を掴むと、中身をグラスに注ぎ、飲み干す。
やはり、酒は余り好きではなかった。
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