レモンくん

丸膝玲吾

第1話

 大学3回生の夏休み、地元に帰り街を歩いているとレモンに会った。

 「よう」

 「おう」

 レモンは背も高くシュッとしていて、地元では一番勉強のできるやつだった。”成功”とは程遠い、辺鄙な街を飛び出して東京の大学へ行った成功者、それがレモンだった。

  近所の公園に行ってベンチに座った。

 「久しぶり、東京はどうよ」

 レモンは大したことではないように言った。

 「俺大学辞めた」

 私は耳を疑った地元で最も成功した人物で、光り輝く未来を約束されたあのレモンが、大学を辞めた?

 「大学で一人も友達できねぇし、勉強もつまんねぇし、辞めた」

 レモンはそう言って立ち上がった。

 「それに、俺小説家になりたいし」

 「小説家?」

 それは突拍子もないことだった。今まで一緒にいてレモンが小説を読んだところなど見たことがなかった。

 「純文学。三島も安吾も康成も全員超える。もう頭の中にプロットもできている。鯨になった母親の胃の中に入って、もう一つの地球を作る。で、最後は鯨の糞になって化石になって、古代兵器として未来に戦争で使われる」

 「いいね」

 よくなかった。レモンは得意げにフフンと鼻を鳴らした。ピンと張った胸に対して目の奥は全く光っていなかった。

 私は自販機にかけていって、コーヒーとお汁粉を買い、ベンチに戻ってお汁粉をレモンに渡した。

 「ぬるい」

 「ほんと?コーヒーの方が良かった?」

 レモンは両手の上でお汁粉の缶を転がし、そしてニヤリと口角を上げて「文学だ」と呟いた。

 「”甘く煮た豆”ってだけに官能的なのに、そこに”ぬるい”が付属された途端、日常という枠組みから飛び出して普遍の事実に昇華される」

 レモンは缶を煽ると、再びベンチに腰をつけた。私もその隣に座った。

 「最近、音楽に聴くのにハマっていてね。その歌詞を噛み砕いて短編小説を書くんだ」

 レモンはポケットからスマホを取り出して、Apple Musicを開き、一つの曲を再生した。彼は歌詞を暗記しているらしく、音に乗せて歌った。

 「蒼い夜に街は祭りのよう宇宙を跨ぐロケットが今 僕の目の前で一つ形になる形を見せた これで僕も空を飛べると言った八月末の最期に 明日したいことばっか話す僕を、君は空に飛ばしてく ずっとしたいことなんてない今日も死のうとしたままだ 遂に終わってしまった十秒前のさよならで火をつける きっとしたいことなんてない笑え僕たちオーガスター、オーガスター 白い花の添えられた手紙そんなものを拾った 「僕は明日、夜祭へ行くが、貴方は多分気づいてくれないだろうな」 宛名のない枯れた花の手紙の主がちょっと私に似てるようで、まぁ 乾いた夏空 浮かんだ心臓を、君を空に飛ばしてく ずっとしたいことばっかで今日も祈っていたままで 遂に終わってしまった十秒間のサヨナラで火をつける きっと叶うはずなんてない揺らいで消えるオーガスター、オーガスター きっとしたいことなんてない 僕にしたいことなんて きっと きっと 明日笑うことばっか話す僕を君は空に飛ばしてく ずっとしたいことばっかだずっと言えなかった僕だ 遂に終わってしまった十秒間のさよならで火を付ける きっとしたいことなんてない 笑え僕たちオーガスター、オーガスター 遠く視界に蒼い地平 笑え僕たちオーガスター」

 ひどい歌だった。リズムは出鱈目で流された音と全くあっていなかった。 歌い終わるとレモンは満足げに腰に手を当ててふぅっと息を吐いた。

 「これを盗作だと言うような人になって欲しくないな」

 「思わない」

 「なら良かった。それじゃ」

 「もう行くの?何か用事が」

 「時間は無駄にできないからね」

 「良かったらさ」

 両手の指を絡めて目を踊らせた。レモンとしゃべることに緊張している自分に驚く。 

 「小説見せてくれないか」

 レモンはフッと肩をすくめて、自嘲気味に笑った。

 「あいにく、まだ小説は書いていないんだ」

 レモンは背中を向けて、歩き出した。

 「まだ、書けていないんだ」

 レモンはてくてくと歩いていった。彼とはそれっきり会うことはなかった。彼が言った最後の言葉は、誰に向けられたものでもなく、自分に向けられた言葉だった。

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