第5話 ある日の出来事

 垣沼と接点があった両親や祖母、姉は、家では全く彼のことを話題にはしなかった。

 いつもならば口うるさい姉がひとことも話さなかったので、容子ひとりだけが蚊帳の外であった。それさえも気付かなかった。

 そんなことも手伝って、容子は垣沼のことなどすっかり頭の中から名前ごと忘れ去っていた。


 四月になり、入学シーズンが訪れる。

 容子は春の交通安全運動要員としてスクールゾーンを重点に市から委託されている交通指導員らと共に横断歩道へ立ったり、パトロール等を強化して、取り締まりに勤しんでいた。


 ……こんなことをいつまで続けられるのだろうか。男女雇用機会均等が叫ばれた。

 が、建前ばかりで現場はまだまた男尊女卑が激しい。それもそうだろう。いくら平等とほざいたからと言って、「役割ってもんが違うの。孕む《産む》側と孕ませる《産ませる》側とでは平等っつったって同じ土俵には乗れんだろうが馬鹿らしい」容子は憤る。

 母体である女は、妊娠中から母親としての自覚を促される。日々変化してゆく自身を内外から見つめたり、学ぶ機会が与えられる。 

 しかし男はどうか?妊娠中は外から客観的に眺めるだけ。妊婦の立場に立って、我がことの様に置き換えて考えられる人物が果たしてどれくらい存在するだろうか。

 それこそ、子供が母体から切り離されて個として存在可能になってから、父性というものを自覚するのではないか?

 平等か?出産ひとつを取ってみても、どう考えても平等であるはずが無い。

 一体何を持ってして、平等などと抜かすのだろうと容子は考える。子育ては家事をしながら大変な思いをして毎日を学びながら行うものだ。父親である夫は、殆どが一日中外に出て働き、帰宅してから子育てに協力する者ばかりではない。育児は母親の役目とばかり、丸投げに等しい種類の人間の方が多いだろう。

 その中で、女も男と同じ様に働けと?働けると思うのか?

 出産という大仕事を終えた後、男が三年間ばかり仕事を止めて家事育児をそつなくこなし、逆に女がその間外で働けとでも言うのか?

 産後直ぐには無理だ。最近従姉妹が出産したが、ゲッソリやつれたなりを見て、容子は出産育児はよほどの覚悟が無いと適わないと踏んだ。また、実家の協力も影響が大きい。核家族が最近増えつつある。同僚は妊娠前に退職してしまう。精神的にも妊娠しづらい職場だとは思う。

 実際、母親は中学校の教員であった。農家に嫁ぎ、二人の子供を授かり、早くに義両親が他界していたのと重なって、職場復帰を諦めて夫を助ける道を選んだ。

 ……平等か?何が平等だ、考え無し、と呟く。平等という言葉を使うならば、男が出産可能になることを前提とするがいい。

 体力からして生まれた時から異なるのだ。いくらチャンスを平等にしたとて、役目役割は同レベルのそれではない。仮に戦争が始まったとしたら、闘うべきは男だと決めつけられる。

 何が平等だ、と呟きながら家路を急ぐ。今日も一杯やるかな、とアルコールに逃げるサラリーマンの心境が理解出来てしまう自分が可笑しかった。

 家の門をくぐり車をガレージに入れると、車の音が近付いて、門の前で止まった。

 「有難うございましたぁ~助かりましたぁ。じゃあね」

 車から姉が降りた。最近流行りのアッシーくんとやらか?それともミツグくんか?

 姉は車の免許を持ってはいるが、通勤にはバスを利用している。かと言ってペーパードライバーと言う訳でもない。時々家の車を運転したり、レンタカーを利用して友人たちと遊びに出かけたりしている。

 そろそろいい加減にしてくれはしないだろうか。お互い社会人になって、イザコザには巻き込まれなくなって良かったと安堵しても、彼女の行動がいちいち癇に障る。早く身を固めて欲しい。

 助手席側から男の顔がニュッと出た様に見えた。視線を向けると門扉の灯が仄暗い辺りを照らしている。

 「いいえ、ついでですから。毎度有難うございましたっ!」

 ……毎度?と良く見ると、いつかのスタンドの従業員であった。

 あちらは容子に気付いていないようだった。そのままエンジンをふかして去って行く。

 「あれぇ、やっちゃんも今帰り?」

 「……うん、おかえり」

 何故、姉がスタンドの彼に送って貰ったのだろう?と思うより、面識があったのか、の方に疑問が生じる。

 「やっちゃんもおかえりぃ。中、入ろ。ただいまぁ」

 ガラリと玄関を開け、姉が中へ入ると「ちっ」と心の中で舌打ちする。また施錠を忘れているのか不用心な。

 「あら、二人一緒だったの、おかえり。お父さん、祥子が来ましたよ。容子も一緒ですよ」

 なんだ?と容子は思ったが、うがい手洗いを済ませている間に消え失せた。



 「えっ、お見合いぃ~!!」

 着替えて台所へ行くと、姉が居間で父親と話し込んでいた。両親は既に夕食を済ませたらしい。父親が晩酌をしながら食事を摂る時は、家族の帰りを待たずに先に進めているのが常だった。

 「そうなんだよ。お前ももう結婚適齢期を過ぎただろう?だから親戚のおばさんが見合い写真を持って来る前に本人にその気が有るかを聞いてくれだとさ」

 「ええぇ〜その気ぃ~」

 「だってお前、今は彼氏がいないんだろう?見合いする気は有るか?」

 「今はいないけどぉ。お見合いぃ……まあ、お相手によるかなぁ」


 姉に見合い話が来たのか、と、その時自分には関係ないと思っていた容子であった。

 

 

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