紅葉の現代日記

さやか

第1話 昭和

今から77年前の1945年06月29日。

和暦に直せば昭和20年06月29日の午前02時43分〜04時07分にかけて140機のB-29が忽然と姿を見せると岡山市内に暮らしていた1737人の尊い命が奪った。

空襲が起きる1週間前。

岡山市に暮らす女学生の矢山紅葉は親友の伊藤華子と工場から帰宅途中だった。

「最近仕事ばっかりで嫌ね」

「ちょ、周りに叫こえたらどうするの!」

紅葉は辺りを見渡す。

「気にしすぎよ。ところで紅葉は将来女優を目指すの?」

将来なんて戦争が始まってから考えたことがない。

「普通に結婚して普通の家庭をもつことね」

「小さい頃は女優になりたいとか言ってたじゃない?」

「子供の頃の話でしょう」

たしかにその頃はよく女優に憧れていたが、このご時世なだけにいつの間にか口にしなくなった。

「そういう華子は高染の旅館を継ぐの?」

「あんなオンボロ旅館なんて儲からないわ」

華子の実家は高梁市で旅館をやっている。

「紅葉、華子!」

後ろから同級生の樋口涼子が声を掛けてきた。

「涼子」

「今日は誠之の家に寄る予定でしょうっ!」

誠之こと安沢誠之は代々江戸時代から続く老舗和菓子店の"安沢饅頭"屋の一人息子だ。

彼女たちは誠之の屋敷を訪れるとご立派な門の前に同級生の相本幹子が手を振っていた。

その傍らには誠之と紅葉の幼馴染である松山翼が立っている。

紅葉は翼に好意があった。

「翼君もいたの?」

華子は答える。

「この日が最期になるかもしれんから皆の顔を見ておこうと思ってな」

翼は冗談でもないことを口にした。

「やめてよ!」

幹子は翼に注意する。

「申し訳ない」

誠之は皆を屋敷に案内して居間で茶菓子を用意する。

「幹子といつまでも一緒にいられたらどんなに嬉しいことか?」

幹子は照れてしまう。

「誠之。お前にとっては国はどうでもいいのか?」

翼は誠之に問いかける。

「そんなことは言ってないだろう!」

「やはりここに来たのが間違いだった」

翼は今来たばかりなのに立ち上がって玄関に向かうと靴を履いて出ていく。

「戦争があいつを変えちまった」

紅葉は翼を追いかけて声をかける。

「翼君!」

翼は立ち止まるも振り返ることはなかった。

「紅葉も国なんてどうでもいいだろう?」

「別に国がどうかってよりも私は翼君に死んで欲しくない!」

紅葉はそう答えるも翼はまた歩き出して去っていく。

戦争がなければ今頃彼は大好きな野球をしていたはずだと紅葉は翼の背中を見つめる。

そして、1週間後に戦争の飛び火は岡山市を襲って紅葉は母と姉を失った。

父は既に戦死したと訃報を耳にし、親戚からたらい回しにされて誰も頼る者がいなかった。

さらにその1週間後。

紅葉は岡山市から遠く離れた神戸市の町工場で働いている。

もう結婚だとか将来だとかどうでも良かった。

ただがむしゃらに働いて生きるのに精一杯だ。

そんなある日。

紅葉のもとに華子、涼子、幹子の3人が訪れてくる。

彼女らは人気のない竹林に覆われた昼でも薄暗い神社の境内で話する。

「こんなところで何しに来たの?」

紅葉は言う。

「紅葉を連れ戻しに来た」

涼子は答える。

「私のことはほっといてよ」

涼子は紅葉にビンタする。

「私の旅館で暮らそう」

華子は提案する。

「私は1人で生きたいの」

「アンタ1人で何が出来ると思ってるの?」

その時、上空から飛行機の音が聞こえると紅葉の身体は動いて本堂の縁下に潜って奥に身を寄せようする。

「紅葉!」

(嫌だ!死にたくない。誰もいない場所で生きたいっ!)

彼女はそう願った。

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