檸檬
おくとりょう
黄色のひと切れ
唐揚げに乗った黄色いひと切れ。一瞬、迷って口に入れた。爽やかか酸味にキュッと口先がすぼむ。たまらなくなって、唐揚げを放り込もうとしたとき。固いものが歯にあたった。
おそるおそる、弁当の蓋に出してみる。それは今さっき口に含んだ果実の種。プラスチックの蓋に、ころんと転がるそれは小さいながらも紡錘形で、元の果実のミニチュアみたいにも見えた。
植物らしい淡い褐色。鮮やかな黄色に染まる前のそれ。先っちょを鋭く尖らせながらも丸く膨らむ紡錘形。
何だかそれが妙に可愛らしく思えて、私はそれを側の鉢にそっとうずめた。ずっと前に水を忘れて枯らしてしまった観葉植物。その鉢植えがちょうど机に出したままになっていたから。
翌日から私は鉢植えと向かいあってご飯を食べるようになった。土を見つめて、食べる食事は滑稽ながら、楽しく思えた。濡れた土が、窓から射し込む日射しを反射してキラキラするのが嬉しかった。
コンビニの唐揚げ弁当はもうやめた。また、種が入っていたら植えてしまいたくなってしまうから。
お米を毎朝炊くようにして、その研ぎ汁を鉢植えにも少しかけた。研ぎ汁には栄養があると、元カレが言っていたような気がしたから。
ある日。土の様子に違和感を覚えた。研ぎ汁なんて撒いたから、虫が涌いてしまったのか。不安になって覗き込む。
だけど、何だかわからなくて、日射しの中のあの子に「行ってきます」とだけ言って家を出る。不安なままで会社に着くと、エレベーターで気まずそうな顔の元カレに鉢合わせ。バレないようにため息をこぼす。
仕事を終えて帰宅する。可愛い目が土から顔を出していた。ホッとして水をあげると、まばたきのようにきらめいた。
その日から居間で過ごすのがさらに楽しくなった。朝は一緒にコーヒーを飲みながら、ラジオを聞いた。トーストの香りをかぎながら、天気予報を聞き洗濯機のボタンを押した。星座占いに一喜一憂して、目玉焼きに醤油をかけた。夜は今日あったことの報告会。会議でしちゃった失敗や、社食で食べた新メニュー。
私が話す言葉にあわせて、いつもその目は小さく揺れた。ちゃんと話を聞いてくれてる気がして、嫌なことも嬉しいこともいっぱい話した。ただ元カレの話だけは何故かしなかった。
そのうち、朝日が出るのが早くなり、日射しもだんだん強くなってきた。あの子はぐんぐん大きくなって、鮮やかな緑を居間に広げた。私は料理のレパートリーがずいぶん増えて、お弁当も作るようになった。
お味噌汁の香りが漂う居間。「いただきます」と言う度に、あの子は微笑むように輝いて見えた。
だから、それは突然だった。あの子は白い鼻を咲かせた。
私はつぼみがついたのも知らなくて、甘い香りに気圧された。明るい朝を拒むみたいに、居間を満たす濃い香り。私は冷蔵庫から牛乳と食パンを一枚だけ出して食べた。焼かずに食べる食パンは、妙に喉に貼りついて、牛乳がないと飲み込めなかった。
久々にお弁当を作らず社食へ行った。たまたま会った元カレに、彼女の誕生日祝いの相談をされた。何だか妙に楽しそうで、初めて見る人みたいな気がした。
家に帰ると、あの子は枯れていた。土がカラカラに乾いていて、朝に水を忘れていたことを思い出す。鼻もすでに落ち、部屋に満ちてた甘い香りはすっかり薄れて、夢でも見ていたような気がした。
あの子には鼻の代わりに大きな実がついていた。それは私の思った通りの色と形で、両手で包むとポロンととれた。私の掌に吸い込まれるようにぴったりおさまる。鼻の奥がツンとして、私はその実に口をつけた。懐かしい酸っぱい味が舌を抜ける。まぶたを開き、窓へ目を向けると、星が少しぼやけて見えた。
檸檬 おくとりょう @n8osoeuta
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