1-6 逃げた方がいいよ

 入れるなら放課後から早朝の間だろうなと予想はついた。だから次の日、ずいぶん早く夷月は家を出て、教卓に隠れて犯人が現れるのを待つことにした。男にしては小柄な体は小さい場所に入り込むのに最適で微妙な気持ちになったが、響は背が高いからきっと自分の背も伸びるはずだと己を鼓舞した。


「男子中学生が教卓の中に隠れてるってシュールだね」

「なんで当然のようにいるのさ」


 教卓の板を突き抜け、上半身だけを覗かせている幽霊がウキウキした様子で話しかけてくる。壁をすり抜ける姿を散々みたから見慣れてきたけれど板から上半身が生えている状態を間近で見続けるのは落ち着かない。外から見たらお尻が教卓から生えているように見えるのだろうか。なにそれ見たいと思ったが、見に行っている間に犯人が来たらおしまいだ。ちょっとだけならいいだろうか。そもそも目の前の幽霊は写真に写るタイプだろうか。そんなことを考えていると幽霊はわざとらしく眉を下げて悲しそうな顔をした。


「ひどいなあ。君が厄介な相手に呪われてるみたいだから助けてあげようと思って、わざわざ早起きして来たのに」

「幽霊って寝るの?」

「寝るわけないでしょ。幽霊だよ」


 数秒前の自分の発言を悪びれもせずに否定する姿に半眼になる。しかしながら幽霊はにこにこと楽しそうに笑っていた。これは夷月の反応を見て楽しんでいる顔だ。


「野次馬にきたの間違いでしょ。犯人気づいてたのに教えてくれなかったし」

「あらら、見抜かれちゃったか。さすが羽澤の次期当主」


 わざとらしく茶化す幽霊を睨み付ける。やはり笑顔は崩れない。その笑みは両親よりも強固で分厚い。どんな経験を積めばこれほどまでに完璧な仮面が作れるのだろうと夷月はじっと幽霊を見つめた。自分を見つめる視線の種類が変わったことに幽霊は気づいたらしく、空気を変えるためにコホンと咳払いをする。


「犯人に気づいたら少なからず意識しちゃうでしょ。呪いはね、かけた相手を意識すると強くなっちゃうんだよ。無視したら向こうが勝手に諦める可能性もあったし」

「諦めると思う?」


 夷月の問いに幽霊は肩をすくめた。


「なかなかに強烈なお嬢さんみたいだね。君のどこがそんなに好きなんだか。君ってかなり性格悪いと思うんだけど。見た目は可愛いけど」

「その言葉そのまま返すけど」


 しばし睨み合ってから同時にため息をつく。もはや恒例となった不毛なやり取りである。


「犯人は隣の席の子だよね?」

「君ね、名前くらい覚えてあげなよ」


 幽霊の呆れた視線が突き刺さった。クラスメイトの名前をまともに覚えていないことはとっくに見抜かれているらしい。すぐ近くで夷月の様子をじっと見ていたのだから当然かと開き直って胸を張った。


「だって影薄いんだもん。覚えられないよ、あんな子」

「うわぁ、最低。そういうこと言ってると後で痛い目みるからね」


 幽霊は心底引いたという顔をして夷月から若干距離をとった。板から生えていた部分が引っ込む。見えない部分はどうなっているのだろうと好奇心が刺激されたが確認しに行く前に教室のドアが開く音がした。


 夷月はとっさに息をのみできるだけ気配を消そうと小さくなる。幽霊はするりと板をすり抜けて出ていってしまった。こういうとき特定の人にしか姿が見えない幽霊は便利で羨ましい。だからといって死にたいとは思わないけれど。


 音を立てないように移動しこっそり様子をうかがう。教室に入ってきたのは予想通り隣の席の少女だった。自分の机の上にカバンを置いた少女は中から桃色の手紙を取り出す。見覚えのあるそれを夷月の机に入れたのを確認してから教卓から飛び出した。


「俺の机に呪いの手紙を入れてたのは君たったんだね」


 突然現れた夷月に少女は目を見開いて固まった。慌てたように夷月の机から離れて自分の席まで逃げるが手紙を入れるところはバッチリ見た。言い訳しても机の中に入っている手紙が紛れもない証拠だ。昨日の手紙はいま夷月の部屋にあるのだから。

 

「の、呪いの手紙じゃなくて、これはおまじないで……」

「知らない間に正体不明の手紙が自分の机に何通も入ってるなんて俺からすれば呪いみたいなものだよ」


 夷月の言葉に少女は下を向いてスカートを握りしめた。唇を噛み締めて泣くのをこらえる姿を見ていると多少の罪悪感は湧くが、毎日手紙を入れ続けられてはこちらの気が滅入る。

 あらためて少女の顔をじっくり見たがこれといって特徴のない、よくいる大人しい子だ。お淑やかとか優しそうとか人によっては言うのだろうけど、幽霊に呪いの手紙と言わしめるおまじないを作った時点でただの大人しい子ではないだろう。


「気持ちは嬉しいけど、俺は君の気持ちに応えられない。跡取り息子だから自由恋愛していい立場じゃないんだ」


 これは半分ホントで半分ウソだ。

 両親は羽澤家のことなんて気にせず好きなことを好きなようにして、自由に生きなさいと夷月に事ある事に言っている。だから夷月が好きになった相手であれば一般人でも、外国人でも、もしかしたら同性でも歓迎してくれる。

 だが、羽澤家はそうじゃない。まだ中学生だというのにお見合いの話はいくつも来ている。両親の目をかいくぐってうちの娘はどうかと色目を使ってくる下品な奴らだっている。


 両親は夷月の自由を守るために何でもしてくれるのが分かっているからこそ夷月は自由になんて動けない。自分の行動一つで両親は苦労するし、羽澤家は大きく変わる。それが次期当主という肩書だ。

 それが分かっていて気軽に恋愛なんてできるはずもないし、そもそも夷月は人を好きになるという気持ちがよくわからない。美人をみたらきれいだなと思うし、可愛いとも思う。だけどそれだけで、付き合いたいに結びつかない。


 夷月にとって呪いの手紙まで作り上げるほど夷月に入れ込んだ目の前の少女は未知の生き物だ。

 だから少女が一体どんな反応をするのかわからず、ただじっと観察した。


「おかしい」


 しばしの沈黙の後、教室に響いたのは少女のこの一言だった。小さな声だというのにやけに質量を感じる声音に夷月は嫌な予感がして少し後ずさった。教卓の上に座り流れを見守っていた幽霊が眉を寄せ、教卓からふわりと浮き上がるのが見えた。


「夷月くんは二通も持ち帰った。だから両思いになるはずなのに」


 少女は夷月と目を合わせないままそう呟いて己の爪を噛む。大人しそうだと思った印象が塗り替わる。この子はどこかおかしいと気づいた瞬間に幽霊が言っていたことを思い出す。ただの子供だましのおまじないも思いの強さで呪いへ変貌する。目の前の少女はただのおまじないを呪いに変えた危険人物なのだ。

 二人きりで尋問したのは悪手だったと気づいたがもう遅い。夷月は内心の動揺をさとられないように意識しながらドアまでの距離を確認した。相手はおとなしい少女だ。本気で走れば逃げられる。


「落ち着いて。ただのおまじないだよ」


 へらりと笑ってみせる。手紙には笑顔が好きと書かれていたから少しでも相手の気持ちを緩められればと思ったが少女はもう夷月を見ていない。爪を噛みながらブツブツとなにかをつぶやき続けている。完全にヤバい人だ。


「逃げた方がいいよ」


 いつのまにか近づいてきていた幽霊がささやいた。声には出さなかったが同意しかない。夷月は足音を立てないように意識しながらドアの方へと移動しようとした。


「どうして逃げるの?」


 自分の世界に入っていたと思っていた少女が抑揚のない声を出す。初めてあった真っ黒い瞳は底なし沼みたいによどんで見えた。ひっと悲鳴が喉から飛び出して足が止まる。


「やっぱり、そうだ。違う。私と夷月くんは両思いなんだから。断られるわけない。逃げるわけない」


 少女はそうブツブツ言いながらカバンから何かを取り出した。手に収まるくらいの細長いもの。それがカッターだと気づくのと少女が飛びかかってくるのは同時だった。


 まさか刃物が出てくるなんてという驚きが夷月の動きを鈍くする。体が動くようになった時には少女の体は目の前にあり、振りかぶられたカッターの刃がまっすぐに夷月に向かって振り下ろされようとしていた。とっさに手首をつかめたのは奇跡に近い。手を離したら刺されるという恐怖から必要以上に手に力が入るが少女は目を見開いたまま無理やりカッターを振り下ろそうとする。掴んだ細腕のどこにこんな力があるのだと夷月は恐怖を覚えた。


「あなたは違う。私の夷月くんじゃない」

「お前のものじゃないし、俺が羽澤夷月です!」


 叫びながら夷月は少女を押し返そうとした。女の子だからと遠慮してたら殺される。無我夢中で抵抗するが少女も負けじと暴れる。その姿はなにかに取り憑かれたみたいで、死の恐怖と目の前の得体のしれない存在への恐怖が湧き上がる。


「お嬢さん、いくらなんでもやりすぎだよ」


 気がついたら幽霊が少女の背後をとっていた。幽霊の存在に少女は気づいていない。血走った目でカッターを振り下ろそうと夷月だけを見つめている。力が入りすぎて震える少女の手をそっとなでて幽霊は少女の心臓に手を突き入れた。

 幽霊は全てをすり抜ける。だから少女の体に手を入れようと通り抜けるだけ。そのはずだった。


 少女が目を見開き苦痛に顔を歪めた。手からあれほど強く握りしめていたカッターが滑り落ち、少女は数歩後ずさると心臓を押さえた。

 幽霊が手をいれた場所だ。


 何が起こっているのか夷月が理解する間もなく、少女の体が傾く。教室の床に倒れる少女を夷月は唖然と見下ろしてから、ゆっくりと視線を上にあげた。


「僕の目の前で夷月を殺させるわけにはいかないからさ。ごめんね」


 幽霊は笑みさえ浮かべながら軽い口調でそう言った。夷月と何気ない雑談をするときと声音も表情も変わらない。幽霊にとって目の前で倒れる少女の存在は異常ではないのだとその態度が物語っていた。


 幽霊の姿は夷月にしか見えない。見える夷月にしか触れない。そう聞いていた。


「何をしたの?」

「ちょっと呪っただけ。手加減したから数日くらいで目を覚ますよ」


 やはり明日の天気を話すような軽いノリで幽霊は言う。呪いという、小さい頃から嫌になるくらい聞いた言葉が頭の中をぐるぐる回る。

 目の前の存在は人間ではない。十九年前に死んだ、この世に本来存在しないはずのものなのだとやっと理解した。


「なんで、君はまだここにいるの?」


 成仏しないのという遠回しな問いかけに幽霊は目を細めて笑う。その笑みはやっと聞いてきたと呆れるようであり、聞いてもらえたことを喜ぶようでもあった。


「心残りがあるからに決まってるでしょ。僕は幽霊だもの」


 その心残りとは何なのかと問いかける前に誰かが教室に入ってくる。名前も覚えていないクラスメイトの一人が倒れる少女の姿に驚き、慌てて教室を飛び出していく間、夷月は微笑む幽霊から目をそらすことが出来なかった。

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