ふたりぼっちの硝煙使い

本庄 照

ふたりぼっちは狙われる/1590

第一話:過去の栄光

 信長は強かった。そんな話を飽きるほど聞かされて育った。

 我々はその信長に勝った。そんな話も飽きるほど聞いて育った。


「ほぉん。村上水軍は強かったんやな」

 天正十八年、伊予いよ(愛媛県)の海岸に一艘の小舟が流れ着いた。乗っていた訛りの強い浪人の青年は、汚い袴から塵を舞わせ、信長の話に興味深そうに頷いた。

「でもよ、確か秀吉に海賊取締令を出されとったな?」

「元でも何でも、水軍は水軍だ。救ってもらって何という言い草だ!」

 浪人を助けた小柄な美青年は、浜辺の砂を踏む草鞋わらじの足を止め、青痣のある眉根を動かした。

「すまんよぉ」

 叱られた浪人は、へらへらと頭を下げる。青年は家紋の入った薄藍の胴服を翻し、ため息をつくと、石屋根の小屋を指さした。


「私は村上左近むらかみさこん、水軍の総大将の子だ。伊予の海で倒れる者を、放ってはおけぬだろう。水夫の荷置き場だ、使わせてやる」

「おおきによ」

 左近は小屋の竹扉を閉めると、中から閂をかけ、戸を背に堂々と立った。


「まあ、曲者にはここで死んでもらうわけだが」

 左近は小屋のもりを手に取り、むしろに腰を下ろした浪人の青年の首元に突きつけた。

「ほんまに言うてる?」

「曲者の癖に笑うな!」

「分かった分かった、死んだるさけ、訳を聞かせぇ」

 しかし浪人の青年は死ぬことが怖くないのか、動揺の色を見せない。


「そなた、何者だ?」

土橋清大夫つちはしせいだゆう、ぴっちぴちの十九歳や!」

「十九のどこがぴっちぴちだ!」

 ものすごく殺したいのを左近はぐっと堪える。

「おどけて誤魔化しても詮ないぞ。そなたからは硝煙の匂いがする。怪しい輩に伊予の地を踏ませはせぬ。それが水軍の使命だ」


 清大夫は銛に臆さず、荷を広げた。中からは四尺程度の金属の筒が出てきた。火縄銃だ。

「ええ鉄砲やろ?」

 ますます怪しい。だが浪人の出自を知らずに殺し、万一にも家の対立が深まるとまずい。そう考えた左近は、銛を突きつけたまま逡巡した。

 それが仇となった。


「さてはお主、おなごやな?」

 明るく笑う清大夫が左近を指さす。左近が動揺した隙を狙い、清大夫は銛を奪って窓から外に投げ捨てた。

「その青痣や。俺の妹にも同じのがあってよ。医者に見せたら、女に多いて言うとった」

 左近ははっとして青痣のある眉根を押さえた。


総髪そうはつに、格好も名も男。声も低いさけ、騙されたわ」

 清大夫は腕を組み、品のない笑顔で左近の顔を眺めまわす。

「黙れ、私は男だ!」

「確かめてええんけ?」

 清大夫に言い訳を鋭く遮られ、左近は黙って俯いた。


「安心しなぁ。俺にはトモエしかおらんさけ、人間の女は触らん」

 清大夫は火縄銃を撫でた。鉄砲に女の名前を付けて可愛がっているらしい。気色悪くて左近は一歩後ずさった。

「鉄砲が奥方なのか?」

「妹や! 二度と間違えんな!」

 怒鳴る清大夫に左近は縮み上がった。嫁にせよ妹にせよ不気味である。


「……変わった男だな。そなたには話せそうだ」

 左近は苦笑した。清大夫と接していると、つい緊張の糸が緩んでしまう。

「村上水軍は三つの家系に分かれている。早くから毛利殿を裏切り、羽柴に仕えた来島村上家の娘が私だ。毛利殿に仕える能島村上家に、父は幼き私を男の人質と偽って送った。背中を撃たせぬ為にな」

「なんで男と偽るんや」

「痣のある私を女として送りつけたら、能島村上家は怒るだろう」

 清大夫の問いに、左近は首を横に振る。


「女を男と言う方が怒るやろ」

「どうだろう、屋敷の離れに住む私の秘密を、能島村上家の者は誰も知らんからな。武芸も習わぬ人質生活だ。私が女だと知るのは、私を育ててくれた右筆ゆうひつの姉様だけだ」

 幸いにも左近はたくましく育ち、日常生活では女と分からない。しかしそれもいつまで持つか。


「同じやな」

 清大夫は腕に火縄を巻き、低い声で呟いた。

「お主は俺とおんなじや」

「何が同じなんだ?」

 左近の問いには答えず、清大夫は慣れた手つきで火縄銃に火薬を詰め、窓から構えた。静寂の中、火縄銃の火蓋を切る。火薬が爆発する轟音と共に、銃口が火を噴いた。

「あれ、村上家がお主に差し向けた刺客やろ?」

 清大夫の指した先で、男が死んでいる。左近は窓からそっと顔を出して頷いた。


「ああ、時々狙われる。半端な立場の私は、どの家にとっても邪魔だからな」

「ほん、血ィ繋がっとんのに殺し合いか。そのうち秀吉に討たれて一族滅亡するんは、火ィ見るより明らかや」

 軽い口調で銃を撃つ清大夫は、着実に刺客を倒してゆく。

「……上手いな」

「俺ァ紀伊国、雑賀衆さいかしゅうの鉄砲頭の子でよ。俺の父上も、信長に勝った話をずっとしとったもんや」


 雑賀衆は織田信長の軍勢を倒した天下一の鉄砲隊だった。しかし五年前、雑賀衆は秀吉の水攻めに滅びた。

「秀吉も強かった。けど、雑賀衆は仲間割れを起こしたさけ、滅んだんや。秀吉勢と反秀吉勢の殺し合いの果てによ。ほら同じやろ。お主も、俺も」


 一族が分裂して撃ち合った。城が落ちた時、城主は民を助けるため、自らの首を差し出した。命を守るべき主君に、清大夫は命を守られた。農民となれば許すと、秀吉は言った。

「でもよ、鉄砲を捨てたら、俺には何が残るんや?」

 主君を守れなかったトモエを抱え、紀伊を飛び出した清大夫は、方々の地を流浪して伊予に流れ着いた。


「お主も死ぬのを待つ身やろ。血族か、秀吉か。どっちに討たれるんがええ?」

 鼻で笑う清大夫が腹立たしい。銃口の掃除で銃を下ろした瞬間、左近は清大夫の胸倉を掴んだ。

「他にどうしろと言うんだ!」

「秀吉を討つ」

 胸倉を掴まれた清大夫は堂々と答える。大ぼら吹きだ。あの強大な羽柴氏を討てるはずがない。


「左近、早よ手ェ下ろせ。撃つんに邪魔や」

 清大夫の目力に左近は拳を緩める。繕いのある羽織が肩から落ちたのを清大夫が拾った時、ひゅんと音がして小屋の壁に弾丸が刺さった。

「あいつら鉄砲も持ってるんか!」

 清大夫の目が丸くなる。向こうに火器があるのなら、こちらに勝ち目はない。二人が小屋を出るのを待ち、撃ち殺せばいいのだから。


「参ったな。どないしたもんか」

 清大夫はトモエの傷だらけの砲身をさすった。刺客はまだいる。一人ずつしか倒せぬ火縄銃では心許ない。

「落ち着け。打つ手はある」

 左近は冷静に、細い煙の上る松林を指した。


「私が仕掛けた、雨の狼煙のろしさ。空気が湿ると、煙が上がる絡繰だ」

「か、絡繰?」

「あの狼煙が上がると、必ず雨が降る。そう作ってある」

 左近の言葉通り、すぐに雨が降り出した。清大夫は天を仰ぎ、舌打ちをした。雨では鉄砲は使えない。石屋根の雨漏りに髪が濡れる。清大夫は背中の笠を火縄に被せた。


「今だ清大夫、逃げるぞ」

 清大夫は頷き、草鞋の紐を足首に結び直した。戸を開けても銃声はしなかった。恵みの雨だ。清大夫の手を引く左近は、海沿いの松林を走って逃げる。地の利に長けた左近のお陰で、追手との距離は開いた。

 しかし敵の武器は火器ばかりではない。二人の逃げる音を聞きつけ、鉄砲を弓に持ち替えて追ってきた。


「左近~! 後ろ後ろ!」

 鉄砲は得意でも剣術は空っきしの清大夫が、矢の掠めた頬を押さえ、情けない声を上げる。

「清大夫、迎え撃つんだ。腰の打刀は飾りか?」

「飾りや!」

「……私の早合薬莢を使え。火縄さえあれば雨でも撃てる」

 革に包まれた紙薬莢を、左近が懐から取り出した。雨でも撃てる火薬など、あるわけがない。清大夫は左近の顔を怪訝そうに見つめたが、他に手立てはない。覚悟を決め、左近の怪しい火薬を銃に詰めた。

 願うように清大夫は引き金を引く。清大夫はあっと声を上げた。轟音と共に、弾丸は追っ手の眉間を貫いた。


「なんや、この凄まじい火薬はよ……」

「かつて、村上水軍は焙烙火矢を使っていた。だが信長に負け、二度と焙烙を使わなくなった。一昨年には秀吉に海すら捨てさせられた。私は悔しかった。秀吉と、火薬を捨てた村上氏が許せなかった……!」

 人質たる屋敷での生活で、左近は火薬の研究に励んだ。焙烙火矢が時代遅れとされた村上水軍で、火薬に目を向けるのは左近ただ一人だった。左近は織田と羽柴への孤独な執念の果てに、雨に強い改良火薬を開発した。


「それで火薬に詳しいんか?」

「詳しくなければ、そなたの硝煙の匂いなど分からん。頭を使え、清大夫」

「お主、そんな火薬持っとって、なんで水軍の為に使ってやらんのや? 水軍に恨みでもあんのか?」

「……硝煙使いの村上水軍のことは誇りだ。だがそれは、秀吉に骨抜きにされた大名村上氏とは違う。それに、女の私が村上を背負って立つだなんて」

 左近は自嘲気味に笑う。馬鹿げた大志だ。左近はもう、侍にも姫にもなれず、嫁にも行けぬ歳なのに。


「背負って立ちな」

「できん話をしても――」

「できる」

 銃を下ろした清大夫は、雨に濡れた筒袖を絞る。

「俺がお主に成り代われば、どうや?」

 海風に髪を揺らす左近が、思わず息を呑んだ。


「左近、俺と秀吉を討とうや。その硝煙を使って、秀吉に村上水軍の力を知らしめたろやないか」

「私がその話に乗ると、そなたは雑賀の名を残せないぞ。いいのか、それで」

「ああ。雑賀の名で秀吉を討って喜ぶ家族は、皆死んださけな」


 刺客は皆倒れたのか、もう追って来なかった。

「俺はお主を横に置いて、村上左近として手柄を立てる。そんでいつか必ず天下人にトモエをぶっ放したるんや」

 笠を頭に被った清大夫は、火縄銃トモエを担いで、くつくつと笑った。

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