下馬評

芳ノごとう

第一部

(一)

 話題が音楽に移ると、新田(にった)さんは口を噤んでしまった。誰かが有名なバンドの名を挙げ、ひとしきり場が盛り上がっている間も、新田さんはちびりちびりと烏龍茶を飲んでいた。真向かいにいた私は、新田さんだけに向けて、好きなアーティストを訊ねた。

「私マオウが好きなんです」

 答えに交じっていた耳慣れぬ単語を私がオウム返しにすると、知ってます? と、さほど期待はせず、形式として新田さんは問うてきた。そして見事に私は新田さんの予想を裏切らなかった。私は普段らしからぬ気遣いが急に恥ずかしくなり、かといって今更引っ込みはつかないので、新田さんの隣にいた樋口に話を押しつけた。樋口(ひぐち)も周りの賑わいには参加していなかったので、どうせこの会話は聞こえていただろうと思った。

「知らん。何それ」

「ロックバンドです。最近メジャーデビューした」

「それではまった?」

「いえ、その前から」

「ふうん」

 樋口はグラスの中身を少し減らした。まずい、と思ったがもう遅かった。

「あれだろ、どうせマイナーなやつ知ってるって自分に酔ってんだろ? 大衆的なものに流されるような皆とは違うって。そんでもって周りが知らないってことを確かめる度に優越感に浸って、自分だけが良さをわかって『あげられる』とか勘違いしてんだよ」

「『魔王』有名ですけど」

 私が酒のせいにして謝罪するより、新田さんが針のような鋭さを樋口に突き立てる方が速かった。私たちの一角だけがしんと冷えた。座は、例のバンドの真似をしている数人に喝采と野次を送っていた。

 誰よりも大きかった驚きが激情を押しのけたようで、新田さんは呟くようにすみませんと謝って目を伏せた。樋口は私同様呆気にとられていたが、すぐにげらげら笑い出し、自分の非礼を丁重に詫びた。

「おい西津(にしづ)、こいつは本物だ」

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