もしも太陽が崇められない世界なら定番ファンタジーがどうなるか考えてみた

アミノ酸

第1話 国を亡くした姫

 アイレシア国の王都では人々は待ちに待った武闘祭ぶとうさいを大いに楽しんでいた。

 魔石の採掘量の少ないこの国では隣のオリビア国に強く出られないこともあり、その広く開けた土地で農作物を育てては決して軽くない税を納めることで一時の平和を享受している。

 国民の心の支えとなっていたのは人格者である国王と、農作業が落ち着くこの季節にある武闘祭の存在だった。

 何より屈強な王子達に囲まれながら、それに負けない腕っぷしがある姫は国民の注目の的である。

「クレア様、もうすぐ試合だろ!うちで取れた芋食って頑張ってくれ!」

「何言ってんだ、俺が育てた株を食った方が力が出るに決まってらぁ!」

 爪が土で汚れ、一年中日に焼けた農夫達がなけなしの食糧を勧めるには訳があった。

 地母神ちぼしんマーテルを信じる彼らは土の中で育つ野菜を食べれば神の恩恵が与えられると信じており、食事に対し祈りの意味合いを持たせている。

「いつもありがとうございます。でも大丈夫ですよ。さっき角のおばさんからブドウを貰ったんです。これを食べて絶対優勝してみせます!」

 身分の違いなどに気にせず、皆に対して丁寧な言葉を使う物腰からは感じられない鍛えられた姫の四肢ししは、無闇に太くならなかった代わりに内側から皮膚を突き破らんばかりに筋が隆起りゅうきしている。彫刻がそのまま動き出しているかのように頭の先から爪先まで均整きんせいの取れた姿は、血筋ちすじを置いても明らかに他の人々とは違う力と気品を感じさせた。

 栗色の髪を後ろでくくり、葉を想わせる深緑ふかみどりの瞳は国民一人一人の顔をしっかりと捉えていた。

 本来、その美貌であれば数多の権力者に求婚されようものだが、皆いつまでもその日が来ることを寂しく思い、16歳になったばかりの彼女自身にもその覚悟はまだ芽生えていない。

 平民が口にするような果実を美味しいそうに頬張る姫を見ても周囲に呆れや失望の色はなく、権威を振りかざさない親しみを持った。

「クレア様、これ私の家の庭に咲いてたの!どうぞ!」

 駆け寄る少女が百合ゆりの花を差し出す。国の名前を冠するその花を小さな手で潰れないように大事に渡した。

「ありがとう、今年も綺麗に咲きましたね。じゃあ、こうして……。試合ではこの花を落とさないで勝ってみせますから。見ててくださいね」

 結った髪に百合の花を挟み、少女の頭をそっと撫でた。少女は無骨ぶこつではあるものの優しさをはらんだ手で包まれたことに喜び、満面の笑顔で見送る。

 ピンと背筋の伸びた姫は周りに手を振り優然と武闘場ぶとうじょうに足を進めた。

 髪に挟んだ百合の花はまるで元からそこに咲いていたかのようにピクリとも動かない。


「クレアよ、決して無茶をするでないぞ……。皆本気で臨んでおるから多少の怪我は仕方ないが……」

「大丈夫です、お父様。私もこの国の姫です。この身体を自分だけの身体とは思っていません。大怪我をするようであればすぐに降参をします」

「いや、ちが……」

「もう出番ですね。行ってきます!必ず優勝してきますから!」

 すり鉢状ばちじょうに広がる会場の一番下。最も選手との距離が近い席に座る父である国王に挨拶を済ませ姫は武闘場の中央へ足を運んだ。

 14人の男達がクレアの姿を見やり、選手達に緊張が走る。この武闘祭で優勝することで国王より直々に晩餐ばんさんへ招待をされ、向こう一年は国内での名声も約束される。

 ある男が生唾なまつばを飲み込む。またある男は震える膝を押さえ込む。

 自分達の姫を傷をつけることを心配する者はいない。彼らが恐れているのはーー

「国王様、さすがのクレア様も無茶はしないはずです。あとは皆の無事を祈りましょう……」

「クレアは先日熊を投げ飛ばしていたぞ……。全く、女なのにでどうしてあんな馬鹿力が出せるのだ」

 始まりのかねが鳴る。

 会場の外にも割れんばかりの歓声かんせいが漏れる。

 選手達を鼓舞こぶする歓声はいつしか笑い声に変わっていた。

「あら、笑い声が聞こえるってことは姫様の優勝で間違いなさそうね」

「それはそうだろ。クレア様に勝てるやつなんかオニバス大陸広しと言えどそういないって」

 男達の血と汗が砂埃すなぼこりを固める武闘祭が例年の常であり、中には血の気の多い者達が酒を片手に勝者を賭けるような日頃の不満を発散するイベントだった。

 それが姫の参加表明により一変し、賭けの対象は再起不能になる選手の人数を当てるものとなってしまった。

 しかし、それに不満をこぼす者はほんの一握りであり、国民のほとんどは例年よりこの日をび、場内の観客席を勝ち取る為に非公式の武闘祭とも言える喧嘩が生じる程に期待は膨らんでいた。

 一年に一回の祭りは鐘が鳴ってからものの数分、最後まで意識を残していた14人目の男が降参を示し幕を閉じる。

 右手を高く掲げた姫の姿に場内はあらん限りの歓声が上がり、死者が出ていないだろうことに国王が安堵あんどの溜息をついたのは側近ですら気が付かなかった。

 髪に挟んだ百合の花はまるで元からそこに咲いていたかのようにピクリとも動いていない。


 国民の熱は冷めることなく、場外では自らの目で姫の勇姿を見たものがその凄まじさをあちこちで何度も語って回る。

 ある者は隣国りんこくオリビアと戦争になっても姫一人で十分だと嬉しそうに酒を空け、ある者はあれだけ強いとさらにその向こうの大国ローザリアやハセリアが黙っていないと不安を溢していた。

 日が落ち、本来は神々の時間であるとして寝静まる夜半やはんになっても今日ばかりはマーテル様もお許しくださるはずだと、どこの民家からも蝋燭ろうそくの灯りが消えていない。

 そんな中、武闘祭の勝者は父である国王に付き従い城から地下神殿に続く階段を降りて行った。

「ねぇ、お父様。約束通り武者修行の旅を認めてくださるのですよね?」

 静けさも温度も外とは雲泥うんでいの差があるその階段にコツコツと側近を含めた3人の足音が反響している。

「うぅむ、約束はしたが……。本気で行くのか?お前もぼちぼちどこかへとつぐことを考えてもいい頃だ。嫁入り前の娘が武者修行なぞ聞いたことがない」

「それをこれからマーテル様に聞きに行くのでしょう?マーテル様がお許しくださったら認めてくださるということでよろしいですね?」

 階段を降りた先は重い扉で隔たれた広間に続いていた。

 広間の中央には拳ほどの大きさの藍色あいいろの石が鎮座ちんざしている。

 地母神マーテルの欠片とされる石は人々に『魔石ませき』と呼ばれていた。

 不思議な力を有するそれはそのまま国力を示し、魔石の採掘量が、如何いかに大きな魔石を所持しているかが、国家間の争いを左右している。

 アイレシア国の所有する藍色の魔石はラピスラズリと呼ばれ、遠い昔ローザリア国から友好の証としてたまわったものだった。

 自国で十分に魔石を採掘することが出来なかったアイレシア国ではこの拳ほどの魔石がある種の支えであり、誇りである。

「国王様、今回の話はクレア様の言い分に筋があります。『マーテル様のお導き』は歴代の国王様達も尊重されておりました」

 魔石の力を引き出すには身体から湧き立つ魔力量と、それをコントロールする必要がある。

 魔石の力を意のままに操る者は魔術師と称され、各国で重宝ちょうほうされるがそれはほんの一握りの存在であった。アイレシア国は魔術師を輩出はいしゅつすることは出来ず、その本来の力は使いこなせないがその代の国王が判断に悩んだ時、今回のように占いの為に利用された。

 その為、アイレシア国では魔石そのものをマーテル様と呼び、代々国の行く先を示してもらっている。

 本日何度目かの溜息をついた国王は諦めたように姫を台座へ促した。

 嬉々ききとして魔石まで駆け寄り、初めて覗き込むその輝きに姫は目を奪われる。

「マーテル様に手をかざし言葉にするのだ。『武者修行に行くべきですか?』と。お許しいただけるようなら輝きを増し、お前の未来を照らすだろう」

 姫は深く呼吸をし、意を決し魔石に対峙たいじした。鼻をくすぐるカビの匂いはこの広間に訪れる者が少ない事を示している。

 手を翳し強く願いを込めた。

「マーテル様、私は武者修行に行くべきですか?」

 魔石にその者の未来を占うといった力はない。

 魔力から伝わるその固い意志に、強い想いに共鳴きょうめいしているだけだった。

 しかし、その輝きは人の背中を押すのには十分である。

 広間が淡い藍色に染まる。

 発光した台座の石が何かを示しているのは間違いなかった。

「お父様!これはマーテル様の答えですよね!私は旅に出ていいのですよね!」

「国王様、これはクレア様に与えられた試練かと」

 抑えきれない姫の喜びが石壁を反響する。諦めた国王の口元には不安が残るも、愛娘まなむすめの成長を噛み締めしていた。

「もう何も言うまい。お前にこの国は狭かったのかもしれんな。よし、そうとなれば半端は許さん。この大陸に名をとどろかせるような……。な、何だ。地震か!」

 頭上に大きな物が落ちたような音と共に床が揺れる。天井が崩れるかと思うような、星が動き出したかと思わせるようなその揺れに3人は身を屈めた。

 国王を守るように側近と姫は覆い被さり、その振動が収まるのをジッと堪える。

 カタカタと鳴る魔石が静まった頃、広間の室温が上がったかのように姫の額にはジワリと汗が湧き出た。

 地震はマーテルの怒りだとされている。自分が問うたその言葉がお気に召さなかったのかと不安に感じていた時、広間の扉が開き熱気が部屋に立ち込めた。

「何だ、老人と女と……この男か?この国で最も強いというのは。見るからに弱そうだぞ」

 炎のように赤い髪と鮮血のような瞳が3人を値踏みする。

 そのたくましい肉体を誇示こじするかのように、ローブに袖を通さず腰に巻いたその男は3人とは明らかに様子が違っていた。

 頭に浮かんだ奇妙な輪など見逃してしまうほど、背中から生える純白の翼が視線を奪う。

 さらに男の背後からは金属で出来た鎧を身に纏う兵士が二人。その鎧には隣国の紋章があつらえられていた。

「シャムロキアか。お前らはまた戦争を始めるつもりか」

 アイレシア国から海峡かいきょうを挟んで西にある島国のシャムロキア国とは古くから争いが絶えなかった。

 共に魔石の採掘量が乏しい国であったが、陸地続きで大国と交流があるアイレシア国は少なからず魔石を有し、その位置関係から他国との交流を遮られていたシャムロキア国はどの国よりもアイレシア国を目の敵にしている。

 島国ということもあり自国で完結しがちな文化や経済はより自分達の正当性を訴えるようになり、国家間の争いを好まない当代のアイレシア国王の人の良さに漬け込み、度々戦争の火種を飛ばしていた。

 側近が2人を庇うように前に出て侵入者達を一喝いっかつする。

「ここがどこだか分かっているのか!表の兵達は何をしているのだ。この事は侵略行為ととらえ……ガハッ」

 側近の後ろに立つ姫には何が起こったのかすぐには理解出来なかったが、彼の背を貫き赤く染まった五指ごしが飛び出てきた時、背筋に冷たい汗が伝う。

 夢でも見ているかのかと思った。幼い頃から面倒を見て貰っていた側近の死を認められないからこそ。

「やはり弱い……。上にいた奴らに嵌められたか。それにしても……」

 言葉にならないうめき声をあげる側近への興味は既に失せ、身体を貫いた腕につく血を拭う様子もなく赤い男は部屋を見渡す。

 眉間に皺を寄せ、まるで悪臭の原因を探るように。

「そこの石か、このまとわりつくような不快な魔力は。おい、それを何とかしろ」

 赤い男に命じられシャムロキア国の兵士が台座の魔石に手を伸ばす。

「マーテル様に触れないで!」

 一足飛びに台座まで駆け寄り、姫は兵士を突き飛ばす。一国の兵士として前線に赴く者を軽々と押し出し、石壁に叩きつけた。

 姫は全身で感じ取っていた。

 この閉じた空間で赤い男を出し抜き、国王を連れて逃げる事は不可能であると。

 その可能性を少しでも上げる為、シャムロキア国の兵士を倒したところで悪あがきにしかならないが、他国の者に魔石に触れられるのを見過ごす訳には行かなかった。

「ほう、速いな。女、お前がこの国で一番強いのか?」

「……試してみますか?」

 構えてみるが勝てる気はしない。せめて国王を逃がしたい、刺し違えても父の身を守りたいという思いが姫を動かしたが、それが意味のない虚勢きょせいであることは姫自身が一番理解している。

「いや、その価値は無さそうだ。それよりも……」

 まるで生意気な子供を無視するように赤い男の興味は変わらず魔石に向かっていた。

 人ならざる強さを持つであろうその男が顔を歪め、何かを思案しあんする。

「おい、お前はこの国の王か。あの石は何だ。このまま殺されたくなかったら教えろ」

 交渉ではなく命令であり、慈悲じひがないことは広間の全員が理解していた。はぐらかそうものなら横たわる死体がもう一つ増えるだけだろう。

 国王は最悪の事態を想定し始めていた。

 それは地上には守るべき国民も国土も、跡形あとかたも無くなっていること。

 歴史ある王族ではなく、子を持つ父として答えた。

「それはこの国を守る神の欠片かけらだ。そこのシャムロキアの者に聞けば分かるが、それを持ち帰ればシャムロキア国王から褒賞ほうしょうが出るだろう。それを持って見逃してくれないか」

「お父様!」

 赤い男は答え合わせをするようにシャムロキア兵を見やる。うなづく兵を確認すると小さく溜息をついた。次の瞬間、兵士は言葉を発することも出来ないまま炎に包まれる。

 急激に上がる室温と突然の粛清しゅくせいに姫は喉を詰まらせた。人が焼ける臭いを嗅いだのは初めてだった。

「自分達の利益の為に俺をここに寄越よこしてたのか?」

 赤い男は姫に突き飛ばされた兵士に詰め寄るが、その答えはどちらでも良かったのか釈明しゃくめいに耳を貸さない。ゴキッという鈍い音を最後に兵士の首は不気味に折れ曲がった。

「そなたはシャムロキアの者ではないのか。どうか娘を見逃してはくれないか。私が出来ることであれば何でもしよう」

「お父様、やめてください。私は結構です。父を見逃しください」

 膝をつき頭を下げる王を赤い男は冷たい眼差まなざしで見下す。その間も姫は王のようにかしずくことは出来ず男をにらんでいた。それが彼女なりのささやかな抵抗であったのは間違いないが、次の瞬間に何が起こるか分からず視線を切ることが出来なかった為であった。

 赤い男は先程まで兵士だった炭を足でどかし、広間の扉の前に足を開いて仁王立ちする。

「惨めな王よ。俺の股を潜り、這って生きながらえろ。そうすればお前も娘も見逃してやる」

 口の中でバキッという歯が欠ける音がして姫は自分が激怒していることを自覚した。16年の歳月の中でこれ程までの屈辱を受けたのは初めてで己の感情をコントロール出来なくなっている。

 逡巡しゅんじゅんの後、顔を上げないまま父が男に近づいていく。

「お父様、おやめください!」

「クレア!言うことを聞くんだ……」

 震えた声は怒りによるものなのか、悲しみによるものなのか。這う後ろ姿を黙って見ることしか出来ない。

 民に愛された王の、自分を愛してくれた父の小さな背中が涙で揺れた。

 男の股を腰まで潜った頃、男の口元が卑しく歪んだのを姫は見逃さなかった。

 だが、それに気がつくだけで何も出来ない。

 父の絶叫が部屋に響く。男の足の間から炎が吹き出し肉親が焼かれる。

「調教された獣ですら火の輪を潜れるというのに。しかし……」

 赤い男はせきを切ったように笑い、父を踏みつけた。

「カッハッハ、敵の股を潜るとは。それで生きて何が嬉しいんだ。全く、この星の人間は本当に情けない」

 男の笑い声が殴りかかった姫の拳で鳴り止む。

 焼け悶える絶叫と、怒りで我を忘れた獣の咆哮ほうこうがビリビリと石壁を揺らした。

 一撃はくらったものの、赤い男は暴れる獣の顎を掴み、力の差をハッキリとさせる。

「そうだ。出来るじゃないか。勝てない相手に立ち向かう姿こそ美しい!」

 顎に走る痛みを怒りで抑え込むも、体重が乗せられず膂力りょりょくのみで拳を当てるも微動だにしない。大木を割る自慢の脚力も目の前の男を揺らすことすら出来なかった。

「くっ、はな…せ!」

 顎を鷲掴みされ満足に言葉を発することすら出来ない中で、苦し紛れに男の手に噛み付く。

 辛うじて男の握力よりは姫の咬合力こうごうりょくが勝っており、男の表情が引きる。

 しかし、それも男には些事さじに過ぎない。

「俺を喰らうか。飼い犬に手を噛まれるとは言うが、俺の犬になりたいのか?」

 鈍い音と共に姫は力任せに床に叩きつけられる。決死の反抗も男の手にわずかばかりの噛み傷を作るにとどまった。姫の唇は赤く染まるもそのほとんどが姫自身の血によるものだった。

 男は地に伏しもだえる姫に手を翳し、禍々まがまがしい魔力を降り注ぐ。

「ここでお前を喰らってもいいのだが、あんな気味の悪い石があってはきょうが削がれる。精々生き永らえて、苦しみながら俺を求めるがいい」

「な……にを……」

「お前に呪いをかけてやった。身も心も炎で焼かれぬ限り死ねない呪いだ。心臓を貫かれようが、頭を砕かれようが死ぬことはない。お前は俺に生かされ続けるのだ」

 響く笑い声に慈悲はない。新しく壊れない玩具を与えられた子供のような純粋な、残忍な笑い声だった。

 魔石を一瞥いちべつした男は広間を後にし、去り際に姫に別れを告げる。

「哀れな姫よ。地の底から這い上がって俺を殺しに来い。その時は身も心も焦がし、犯して、殺してやる」

 カッハッハと愉快そうに笑う声が遠のいていくが、石壁を伝い姫の耳にはいつまでも男の声が響いていた気がした。

 もう名前を呼んでくれない父と、物心つく前から世話になった側近と、名も知らぬシャムロキア国の兵士の亡骸が炭となり崩れている。

 いつの間にか魔石は光を失い、広間は光源を無くし暗闇に包まれていた。

「うぅ……くそっ……くそぉぉぉ!」

 丁寧な言葉など出るはずもなく、理性をかなぐり捨てた叫びを喉から絞り出す姫がか細い力で床を殴る。

 割れた拳で床を叩いていると、頭の上で轟音ごうおんが鳴り響く。

 地上に出た赤い男が地下神殿を崩し、姫を生き埋めにする音だったが、地母神は何もせず信徒しんとの成り行きを眺めているだけだった。

 落ちた瓦礫がれきが姫の頭を砕く。

 民に愛されたアイレシア王国は一夜にして焼け野原となり、その悲報はオニバス大陸に広がる。

『アイレシアの悲劇』と称されるその日を境に、背中に翼を生やした異邦人いほうじんとシャムロキア国が列国れっこくの支配を塗り替える。

 灰を被った草木の中で、百合の花が一輪だけ頭をもたげながら咲いていた。


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