第16話 小さな芽



なんだかんだで平塚先生とは

一月仲良くなる事もなく

普通に医師と事務員という関係で過ごせた。



もしかしたら慶くんが何かを言ったのかも

しれないけど、必要以上にに絡んでも来ず

拍子抜けしたのだ



『滝さん、冬用の制服届いたから、

 夏用をクリーニングしてまた出しておいて

 欲しいそうです。』


わっ!もうそんな時期だったんだ‥



バタバタしていて衣替えの

10月に入ってたことを

すっかり忘れていた。



「木戸くんありがとう。

 ん?あれ?

 ‥‥なんか制服変わった?』


『先輩どうしたんですか?

 あっ!冬用ですね!!』



デザインはそんなに変わってないんだけど、

スカートの形が少しだけAライン気味で

生地も前のよりあったかい気がする



『りっちゃん達スカートだと冬寒いでしょ?』


「課長、呼び方。」


ギロっと睨むとホワホワしていた課長の

顔が一気に引き締まっていく



みんな義理の兄って知ってるけど、

ちゃん付けは流石にこの歳になると恥ずかしい



『ご、ごめん。今年の予算委員会で

 事務員の制服を10年ぶりに変えるって

 決まって、座っててもラクな形で

 冷えないものの方が今は人気らしいから

 思い切って変えたんだって。』



確かにタイトスカートはスリットが

入ってるもののストレッチも入ってないから

事務仕事には浮腫の下になるけど、

台形気味でファスナーはあるものの、

ウエストのバック部分にゴムもあるから

動きやすそう



『座りっぱなしならいいですけど、

 意外に立ったり座ったりが多いから

 嬉しいですね、先輩』



「うん、そうだね、明日から着ようかな。」


『あ、じゃあ私もそうします!』



夏用のは今度の休みにクリーニングに

出すとして、由佳と一緒にロッカーに

新しいものを片付けに向かい、

久しぶりに2人でロッカーの整理をしていると

由佳が突然口元を押さえてその場に

座り込んでしまった



「えっ?由佳?どうしたの?」


ロッカールームが暗めということもあるし、

夕方だからか、由佳の顔色がどんどん悪くなる



『‥‥気持ち悪‥‥』


「吐きそう?ちょっと待ってね!

 はい、ここに吐いていいよ大丈夫だから」



ロッカーを整理していた時に出てきた

ビニール袋を広がると、我慢していた由佳が

嘔吐してしまった



先生まだいるかな‥‥



「由佳、ちょっと待っててね。」



木戸くんがまだいたら良かったけど、

由佳と掃除するから先に帰っていいよなんて

言わなきゃよかった‥



医事課にはもう誰もいなくて、

とりあえず第一診察室を目指すと、

明かりがついていたので勢いよく

カーテンを開けた



「度会先生いますか!?」


デスクで仕事をしていたのか、

私が出したこともないような大きな声で

叫んだためかなり驚かせてしまったようで

びっくりしている



『どうかしたのか?』


「由佳‥佐々木さんがロッカールームで

 突然倒れて嘔吐してしまって‥‥」



不安からなのか目元に涙が溜まるのを

グッと堪えると、立ち上がった先生が

私の肩を軽くポンっと叩いた



『滝さん、僕は医者だよ?

 落ち着いて。一緒に行こう。』



嘔吐したため、先生に念のためと

マスクを渡されて着けると2人で

ロッカールームに向かった



良かった‥‥病院内なのに

1人だったらかなり不安だった。

勤めてるのに、いざ目の前でこういうことが

あるとどうしていいか分からない。



「由佳、ごめんね1人にして。」


『佐々木さん、ごめんねちょっと

 診させてくださいね。』



嘔吐した袋をすぐに閉じてから

ぐったりとしている由佳に先生が

駆け寄ると、脈や瞳孔を見てから

静かに抱き抱え処置室に運んでくれた。

 


『先輩、先生すみません‥』


「そんなこと気にしないの。

 もう大丈夫だからね。」



後輩の体調の変化にすら気付かなくて

私の方が謝らないといけないけど、

今私が謝ると余計に由佳は気を使うだろう



『いつから具合が悪かった?』



検温や診察をしながら先生が話し始めたので、

嘔吐物を片付けたり、医事課の片付けを

する為に席を外して由佳の荷物を持ってきた。



『滝さん、悪いんだけど、佐々木さんを

 家まで送って行くから一緒に乗って

 貰えるかな?流石に2人きりだと

 緊張させてしまうし滝さん居たほうが 

 安心すると思うから。』



「えっ、それは全然大丈夫ですが、

 由佳はもう大丈夫なんですか?」



なんだか顔色が悪そうなままで

このまま帰っても大丈夫なのか心配だ



『先輩大丈夫です‥‥あの‥

 木戸くんの家に行くので。』



「そっか、それなら安心できるね。

 私の家に泊まってもらおうかと

 思っちゃったから良かった‥」



具合の悪い由佳を支えながら、

念の為ビニール袋の予備も持たせてから

後部座席に2人で座った



慶くんの車に何度も乗ってるけど、

後ろに座ったことないから新鮮だ‥‥



『寒いけど少しだけ窓開けるね。

 香り気持ち悪くない?』


『平気です。先生すみません。』


『具合の悪い人のために僕たちはいるから、

 謝らなくていいよ。それじゃあさっき

 電話で聞いた住所に行くから気分悪かったら

 遠慮なく言ってくださいね。』



慶くんの優しさに私の方が安心してしまう。



少し涙ぐむ由佳の手を握ると、

少しだけあったかくて熱があるのか

心配になったけど、先生が帰宅させるって

判断したなら大丈夫だろうと思った



目的地近くまで行くと、

見慣れた姿を見つけて、先生の車に

気付いたらしく慌てて駆け寄ってきた



ガチャ


『先生すみませんっ!!あの由佳は?』


『気にしなくていい、後ろにいるよ。』



すぐにドアを開けてくれると思いきや、

先生と何かを話していたので、

目をつぶって眠る由佳の手をずっと握っていた



『先輩‥?』


「由佳、木戸くんの家に着いたよ。

 気分はどう?」


『さっきより平気です。あの‥‥』



話しかけて黙ってしまった由佳が心配で

覗き込むと同時に後部座席のドアがあき

木戸くんが心配そうにこちらを見た



『由佳‥‥大丈夫だから降りられる?』


『うんっ‥ごめんね悠くん‥‥。』


体を支えられながら車から降りると

心配で私も反対側から降りて2人の元に

駆け寄った。



由佳‥‥こんなに泣いて‥‥



『木戸くん、あとはお願いします。』


えっ?


慶くんが木戸くんの肩にまるで励ますように

触れると、木戸くんは頭を下げて

由佳と一緒にマンションへ向かって行った



「せ、先生、由佳は大丈夫ですか?」


『滝さん車に乗って。あ、助手席ね?』


「先生!」



何も言ってくれないままにこりと微笑むだけで

車に乗り込んでしまったから私も慌てて車の

後ろからカバンを持ってから助手席に乗った




『さてと、ご飯でも行こうか。』


「‥‥なんで何も言ってくれないの?

 私由佳が心配なのに‥‥」



目の前で倒れて顔が真っ青で、

さっきもずっと握っていた手が熱かったのに



あまりにも普通な慶くんに少しだけ

イラっとしてしまう



『莉乃、医者には患者さんの守秘義務を

 守る必要があるのは知ってるよね?』



あ‥‥

確かに患者さんや病院内のことは一才

外部には漏らしてはいけないのは

事務員も看護師もみんな同じだ



目にいつのまにか溜まっていた涙が

こぼれ落ちると、慶くんの指がそれを

丁寧にぬぐってくれ両頬を包まれた



「分かってはいるけど‥心配で‥」


『ん、応対も早かったから助かったよ。

 嘔吐物も袋を用意してくれたり、

 帰る準備をしてくれたり怖かったのに

 頑張ったね、莉乃。』



そのまま私を優しく抱きしめてくれると

背中をあやすようにトントンとあやしてくれる

手にまた涙が溢れた



『佐々木さんは大丈夫だよ、彼が

 しっかりしてるし、落ち着いたら

 また話してくれるはずだから、

 安心してご飯いこう?』



慶くんがそういうのなら大丈夫だろうと

思って何度も頷くと私のお腹の音が鳴った



ウソ!

こんな時に恥ずかしい‥‥



『ハハ‥‥頑張ったからお腹が空いてんだな。

 よし、美味しいもの食べに行こう。

 そのあとは泊まっていくといいよ。

 今日は甘えさせてあげるから。』



本当は明日も仕事だったから帰るって

言いたかったけど、なんとなく1人に

なりたくなくて素直に頷いた



その日慶くんは私を今までで1番優しく

抱いてくれた気がする



私の不安なんてまるで吹き飛ばすくらい

頭のてっぺんからつま先までの全身が

慶くんで埋め尽くされ、大丈夫だから

安心して寝ていいよと言わんばかりの

愛で心もいっぱいになった



次の日、念のため休むと由佳から

部長に連絡があり、木戸くんからも

迷惑をかけたことは謝られたけど、

話してくれるまでは何も聞かずに待とうと

心から思えたのだ



『た、滝さん大丈夫!?』


「平気です‥‥なんとか」



由佳がいないとこんなにも午前の窓口が

しんどいなんて思わなかった。



これは私が休んだら由佳も倒れるって

実感するほど忙しくて、最後の患者さんを

見送ってシャッターを閉めると

もうその場に寝転びたいほどの疲労感が

どっと押し寄せたのだ



今日金曜日でとりあえず良かった‥‥

レセプトだけなんとか残りを見て残業すれば、

土日は寝れる。



月曜日から由佳、出て来れるのかな‥‥

心配してはいけないと思いつつも、やっぱり

心配してしまう。



みんなが休憩から帰ってきたのを確認してから

席を立つと、重い足取りで休憩室に向かった



なんだか食欲も沸かないくらい今は休みたい

気分のままソファに座ると、

そのまま背もたれに体を預けて目を閉じる



あ‥‥これこのまま寝れそう‥

アラームをかけると私はそのまま30分だけ

眠ることにした




スマホがテーブルの上でバイブ音と共に

けたたましく鳴ると同時に寝てたことに

今更気づいてそっと目を開ける



『おはよう、ちょっとは眠れた?』


「先生‥‥」



いつの間にもたれかかってしまったのか

分からないほど眠ってしまったらしく、

慌てて離れようとしたらそれを阻止され

また肩にもたれかかってしまった



「先生誰かにみられたら」

『誰も来ないよ。鍵かけたし。』


えっ?



『昨日無理させたから寝不足にさせたのは

 僕の責任だからね。可愛くてつい。』



クスクスと笑う先生をよそに

入り口の扉を見ると本当に鍵がかかってた



確かに日を跨いで昨日は抱かれてしまったから、その疲れもあるかもしれないけど、

由佳の存在の大きさを改めて実感したからだ



『ほらお腹に少しご飯入れなさい。』


「うん‥‥」



あんまり食欲はなかったけど、

おにぎりとフルーツだけ食べてから

時間ギリギリまで先生に甘えさせてもらった




なんとかレセプトを終えて慶くんに

家まで送ってもらったあと、

ご飯を食べる気力もなくシャワーを浴びて

ベッドに突っ伏すと同時に由佳から

着信があり慌てて電話に出た



「ゆ、由佳、大丈夫!?」


『先輩‥‥ご迷惑をおかけしてすみません。

 レセプト中なのに忙しくて

 大丈夫じゃなかったですよね?』



「大丈夫、みんないたしちゃんと終わったよ。

 由佳の存在の大きさは改めて感じたから

 いつもありがとう、助けてくれて。」



体調なんて崩さず休んだこともない由佳との

この数年は大きくて、1人欠けるといかに

大変なのかは実感できた



『先輩‥‥グスッ‥‥私今日検査したんです。

 それで‥‥実は‥‥グスッ‥ヒック

 ‥‥赤ちゃんが出来てました』



えっ?



胃腸炎とか胃腸風邪とか何か重い病気?とか

色々心配してたから予想外のことに

驚いてしまう



昨日気持ち悪かったのももしかして悪阻?


お姉ちゃんも、悪阻は酷い方だったから、

今思えば昨日の由佳と同じだ‥‥



「そっか‥‥おめでとう。

 木戸くんとも話せた?」



『グスッ‥‥はい。なんとなく生理が

 来なかったからもしかしたらと不安でしたが

 昨日2人で検査して陽性だったから

 病院に行って来ました。』



木戸くんもきっと一緒にいきたかったはず。

でも医事課が回らない事わかってたから

出てきてくれたんだろうな‥



『おめでとうって‥‥ありがとうって

 悠くん言ってくれて‥‥怖かったけど

 産んでいい?って聞いたら当たり前って

 叱られました。』



「怖かったよね、由佳。頑張ったね。

 仕事のことは部長に木戸くんとまた

 3人で話すとして今はゆっくり休むこと。

 分かった?」



『ウウッ‥‥先輩ありがとうございます。』


「泣かないの。また話沢山聞かせて?」



素直で優しい由佳のことだから、

妊娠が分かってからも色々悩んでしまったのではないのかな‥‥



おめでたいことだし、木戸くんも

支えてくれるのだから由佳にはどっしりと

構えて元気でいて欲しい



啜り泣きをしながら泣く由佳の

負担にならないように電話を切ると、

なんだか幸せな気持ちのまま眠りについた

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