第10話 求めるものは

 アドウェール様の助けになれば……。そう思って作った計算具が、わたし自身の首を絞めた……ということ?

 あの計算具のせいで、わたしは……ラングトリー王国に連れていかれるの?

 嫌だ。

 わたしは、ここで、このフィングルトン王国で……アドウェール様のそばで、しあわせなのに。

 なんで、イーディスの心を壊した、わたしを国外追放にした、あんな国に行かなきゃいけないのよっ!

「だ、だけど、わたし……じゃない、イーディスは、ラングトリー王国の王太子から、国外追放と言われたんですよっ!」

 お前はすでに王太子の婚約者でもなく、侯爵家の令嬢でもない。

 平民の罪人として、隣国フィングルトン王国へと追放。

 ラングトリー王国は無縁だって。

 いきなり罪人にされて、髪の毛まで切られて。

 なのに……どうして。

「その程度、どうとでもなるな」

「え……っ⁉」

「王太子がどう言ったのかはだいたい予測はつくが……まあ、前言撤回をすることくらいはやるだろう。仮にイーディス・エミリィ・トラウトンを侯爵家から除籍していたとしても、除籍の事実をなくしてしまえばいいだけだ。ラングトリー王国のトラウトン侯爵家の娘であると主張されれば、娘など家の所有物のようなものだ。イーディス・エミリィ・トラウトンの身柄は、トラウトン侯爵家の元に返さねばならないし、また、アドウェールとイーディス・エミリィ・トラウトンの婚約はトラウトン侯爵の許可を取り付けねばならない」

 冗談じゃない。

 どうしてわたしが、イーディスの親かもしれないけれど、イーディスを守りもしなかったトラウトン侯爵に、アドウェール様との婚約の許可を取らないといけないのよ。顔も知らないどこかのおっさんでしょ、そんな人。

 わたしとは無関係よっ!

「嫌です。拒否します……と、わたしが言ったらアドウェール様やブランドン殿下……フィングルトン王国にご迷惑をおかけしますか?」

 あんな国に行きたくない。

 だけど、わたしが拒否することで、国と国の関係に何か問題が生じたら?

 どうしよう。

 わたし、どうしたらいいんだろう。

 ぎゅっとドレスのスカートを握りしめる。アドウェール様が贈ってくださったきれいなドレスに皺ができてしまう。だけど、手の力を緩めることができない。指と指の間も、嫌な汗で湿ってきている。

 俯いたまま、動けないでいたら、ふわりと、暖かな腕に引き寄せらえた。

「大丈夫だよ、エミリ。いざとなったらオレが、エミリを連れてどっかに駆け落ちしちゃうから」

 わざと軽くかけられた言葉。

「エミリは、あんな国に行きたくはないけど、ブランドン兄上に迷惑をかけたくもないんだろ? だったら、別の手段を取ればいい。オレと逃げちまおう。どっか遠くに。イーディス・エミリィ・トラウトンのことも、エミリのことも、誰も知らない遠くの国にさ。オレは、どこでだって生きていけると思うよ。傭兵とか、そういう仕事程度だったらいくらでもできるし。エミリも家庭教師とか、そういうの、できそうだし。二人でいられるなら、何でもできる」

「アドウェール様……」

 逃げる。どこか遠くへ。誰も知らない場所へ。アドウェール様と二人きりで。

 それを、甘美に思ってしまうなんて……。

 やっぱり、わたし、アドウェール様のことが、好きなのかな。

 保護してくれるから、安心できるから……だけじゃなくて、恋愛的な意味で。

 でも、それはまだちょっと保留させてもらう。甘えかもしれないけど。このまま寄りかかって好きだなんて……ちょっと違う気もするから。

 まずは自分の足で立つ。

 寄りかかるんじゃなくて、お互いに支えあうことができるようになってから。

 アドウェール様とのことはそれからだ。

 ブランドン兄上様を見る。表情を動かさずに、わたしに何も言ってこない。きっと、わたしが自分で選択する前に、わたしの選択を左右するようなことはしないでいてくれているんだろう。

 アドウェール様は、ブランドン様は身内には優しいとか、そんなこともたしか言っていたよね。わたしも、アドウェール様の婚約者として身内扱いをしてもらっているのかな。仮の、婚約者でしかないのに。

 アドヴェール様の胸の頬を当てて、目をつぶる。

 鼓動が聞こえる。

 優しいリズム。

 きっと、連れて逃げてと言ったら、アドウェール様はそうしてくれるんだろう。

 わたしを守ると言った、その言葉通りに。

 目をつぶったまま、思い出す。

 転生前の、あの時の女神様の言葉を。


「理不尽な困難や苦難が、突然降りかかってくるのが人生ってものです。平坦な道なんてない。だけど、それを乗り越えれば、きっと明るい未来が待っています。だから、どうぞ、自分のしあわせを目指して進んでいってね。『断罪』を乗り越えて、『ハッピーライフ』とか、善いことを推奨して、悪いことを懲らしめるとか。理不尽な相手に鉄槌をとか。復讐に燃えるのもいいと思う。あたしの好みはすっきりさっぱり爽快感のある『ざまぁ』だけど。でも、お客様のしあわせはお客様が決めていいよ」


 その言葉にわたしは「はい」って答えたんだった。

 はい。頑張ります。

 困難な転生でも、幸せ目指して頑張ります……って。

 だって、自分の人生、諦めたらそれで終わり。やるしかない。


 決めた。


 ゆっくりと目を開ける。

 寄りかかっていたアドウェール様の胸から、頬を離す。


「二人きりの逃避行も素敵ですね。だけど、そんなことをしたら、アドウェール様、ブランドン殿下と離ればなれになっちゃいますよ。殿下の治世を助けることもできない」

「そ、それは……、そう、だが……」

「それにわたし、逃げるのなんて嫌です。なんでわたしが逃げなくちゃいけないの。わたしは、ここで、この国で、アドウェール様のお側にいて、毎日楽しくて幸せなのに。わたしはどこにも行きたくない。知らないどこかにも、ラングトリー王国なんかにも」

「エミリ……」

「そうですよ。わたしはエミリです。一ノ瀬エミリ。それがわたしの名前。わたしはイーディス・エミリィ・トラウトンじゃないの」

 きっぱりと言い切ったら、ブランドン殿下が面白そうに笑った。

「アドウェール、お前の思い人は気が強いな。イーディス・エミリィ・トラウトンとは真逆の性格だ」

 イーディスのことはよく知らないけれど、イーディスに会ったことがあるブランドン殿下がそういうのなら、そうなのだろう。

「顔は同じでも、性格が違うから、別人……と思ってくれないですかね?」

「さあ、どうだろう。そもそも、あなた本人が欲しいのではなく、利用できる才能を持った人物を、引っ張れるような関係があるからこそ、あなたを寄越せと言ってきたのだろう。あなたが無能であれば、あなたを欲しいなどと言ってこない」

「だけど、わたしがやったことを、なかったことにはできませんものね……」

 計算具は、もともとアドウェール様のために作ったもの。

 それなのに、ラングトリー王国のほうからごちゃごちゃと言われるとは思いもしなかったわ。

「わたしはイーディス・エミリィ・トラウトンではなく、別人だと主張し続けても……」

「無理だろうな。我が国に利のある有能な人物を、おいそれと他国に渡すことはできないと、当面は突っぱねることはできるだろうが……」

「……とりあえず、時間稼ぎ、お願いします。その間に、何か対策を考えます」

「エミリ、何かしらの対策が思いつく……のか?」

 アドウェール様が、わたしに聞いてきた。

 わたしはじっと考える。

「今すぐにはどうこうできませんが。ただ、わたしにはこの世界にない知識がある」

 異世界転生って言ったら、知識チートが定番だ。

 日本食がどうしても食べたい日本人転生者が、日本食を作るために奔走したり。

 書物のない世界に転生して、本を作ったり。

 石鹸だの化粧水だのを作って大儲けとか。

 アニメや小説の中では、チートの大盤振る舞い、何でもありだ。

 そんな知識でなにかできないか……。

 数学や計算で、文化の発展に寄与する……とかも、できるけど。

 それだと、わたしの計算の知識が役に立つっていうだけで、わたしがラングトリー王国から逃れるための手段にはならない。

 なにか、ないか。考える。

「あ……」

 ふっと思いついた、それ。

 だけど、あるのかな、この世界に、あれは……。

「エミリ、何か思いついたのか?」

「ええ……。だけど」

「だけど、なんだ?」

 あるのかな。ないのかな。わたしはまずアドウェール様を見て、それからブランドン殿下を見た。

 そして、聞く。

「あの……、この世界には『段ボール』っていうもの、ありますか?」

 わたしは真面目に聞いたんだけど、アドウェール様もブランドン殿下も「は?」と言ったまま、口をぽかんと開けた。




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