ランタンに願いを込めて

中川ネウ

プロローグ

 わたるは夜空に浮かぶ無数のランタンを見上げて、右手をうんと高く上げた。まだ小さなその右手は、ゆっくりと昇っていくランタンには届きそうもない。

 それでも航は背伸びをして、なんとか近づこうとするが、右手が触れたのはカラッとした冷たい空気だけだった。


さわれるわけないよ。もうあんな高いところにあるんだから。それに、航はまだ美里みさとよりも小さいんだし」


 美里は背伸びをする航を見てくすりと笑った。


「そんなことないもん。僕だって、美里なんかすぐに抜かしちゃうよ」

「さぁいつになるのかなー」


 この日、八歳の小学生二人、村上むらかみ航と高浜たかはま美里はスカイランタンを見に来ていた。二人のレジャーシートのすぐ後ろではそれぞれの両親が二人を暖かく見守っている。

 各々の願いのこもったランタンが夜空に浮かぶ様子は、まるで穏やかな海をふわふわと泳ぐクラゲのようであった。そのクラゲは町を鮮やかなオレンジ色で照らしている。

 ランタンに手を伸ばす航とは対照的に、美里は夜空に広がる光景をじっくりと眺めていた。写真を焼くみたいに、目から入った情景を心に刻んでいく。


「……ねぇ、美里と航は大人になっても遊んだりするのかな」


 まだ背伸びをしていた航はうまく聞き取れなかったのか「え?」と聞き返す。


「ううん、なんでもない」


 振り返ってやっと座った航はもう一度聞き返したが、美里は「もう言わなーい」とイタズラ顔を浮かべた。


「なんだよ、変なの」

「ただの独り言だよ」


 美里自身もどうしてそんなことを言ったのかよくわからなかった。

 綺麗な夜空を見て、自然と口からこぼれていた。


「ふーん。あっ、見て見て、あのランタンすっごい大きいよ」

「ほんとだ、一番大きいかも」

「あのランタンにはどんなお願いが込められてるんだろう」

「たくさんの願い事が込められてるんじゃない? きっとあのランタンを上げた人は欲張りさんだよ」

「僕も上げるなら一番大きいのがいいな」

「航は欲張りさんだなぁ」

「いいでしょ? だって、欲しいものがいっぱいあるんだもん」

「航はまず『大きくなりますように』ってお願いしなきゃだね」

「だから、美里なんかすぐに抜かすってば」


 航は口を尖らせる。

 美里はそれを見てニコリと笑った。


「じゃあ航は大きなランタンに何をお願いするの?」

「えーっとね、車のラジコンでしょ、それにレゴブロックも欲しいし、怪獣の人形だって欲しいな」

「もう、航は子供なんだから」

「美里だって子供だろ?」

「美里は航よりも大人ですよーだ。ほら、おもちゃじゃなくてさ、やりたいこととか、叶えたい夢とかはないの?」


 航は首を傾げて「うーんそうだなぁ……」と困り顔をする。

 数分経ったところで「夢はまだないけど」と前置きをして、


「大きくなっても、美里と一緒に遊びたいかな」


 と、にっこりと無邪気に笑って言った。


「……なんで?」

「だって、これまでもずっと一緒に遊んできたし、美里は少しむかつくけど一緒にいて楽しいから」

「そ、そっか」


 航は美里の頬が赤くなっていることに気づかない。


「美里は何をお願いするの?」

「えっと……そうね、美里は大きくなったら航なんかとは会いませんようにってお願いする」

「え、なんでだよ」

「私、自分よりも背の大きな人がタイプなの」

「だからぁ」


 二人はお互いにくすくすと笑い合う。

 美里は少し恥ずかしがりながら航を見て、航は屈託のない笑顔で美里を見た。

 まだ寒さが残る三月。

 この二人のいる空間にだけは、そんな寒さも吹き飛ばしてしまうくらいの暖かい、そしてちょっぴり甘酸っぱい時間が流れていた。


「あ!」


 口笛か、もしくは窓の隙間から入る冬の風の音みたいな、少しか細い音が公園内に鳴った。そしてすぐに強烈な破裂音が響く。

 オレンジ色の町をさらにカラフルに彩ったのは、あられが砕けるみたいな音を残して消えていった、大輪の花火だった。


「きれい……!」

「すっごいね、花火」

「うん、すっごいね、ほんとに」


 二人はそのままずっと花火を眺めていた。

 次々に花火は打ち上げられ、花火の光によってランタンの色も変化していく。

 一秒ごとに様変わりする夜空の光景は、まだ幼い二人の心を踊らせた。


「また一緒に見に来ようね」


 二人のうちのどちらかが呟いたが、花火の音と歓声でその声は掻き消されてしまった。

 誰にも届かぬまま、そっと、自分の心の中に溶けていったのだった。 

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