大雨が振る日に藍白の塔に登る君

マスク3枚重ね

藍白の塔に登る君

僕はあの日、スカイツリーに登った。


大雨が降り出し東京はあっという間に水の都になった。そのまま7日間、雨が降り続きそして全てが海の底に沈んだ。

展望エリアの窓からは水族館さながらの煌びやかな魚たちが泳いでいるのが見える。時々、大きなクジラの群れが沈んだ東京の上空を泳いで行く。それは幻想的でかつ残酷な光景だった。一体どれほどの人達が死んだのだろうか。周りの人達が家族や友人達に連絡を取ろうと、電源の入らないスマホをいじっていたが今はもうそんな事をすると人もいなくなっていた。備蓄の食料も底を尽こうとしている。

絶望していた人達は展望回廊エリアに登る。そこの最高到達点451.2mからほんの1、2m下が水面の高さであり今は凪でいる。丁度、時刻は朝の7時、朝靄がかかり先が見えなくなっている。


「凪…何か見える?」


この娘は水瀬 恵理(みなせ めぐり)彼女も大雨が降ったあの日に僕と同じくスカイツリーに登りあの日を迎えた。東北から東京に遊びに来たついでに1人で登ったそうだ。


「朝靄で何も見えないね…」


水瀬は目に見えて落胆する。それもそうだろう。今、世界で何が起こっているのか全くわからないのだ。雨の降ったあの日、電子機器は使えなくなった。外界と隔離され、東京以外がどうなったかもわからない。

エレベーターも使えないので、非常用階段で昇り降りしている。これがなかなかに骨が折れる。


「凪、これ最後の食料だって」


渡された小さなパンを凪は受け取るが直ぐに水瀬に返す。


「僕は大丈夫、水瀬が食べて」


「そうやって!凪、昨日も食べなかったじゃん!」


水瀬は凪の口に無理やりパンをねじ込んだ。凪は仕方なくそれを咀嚼し飲み込む。


「別にお腹空いてないから良かったのに…」


「そんな訳ないでしょ。この一週間、まともに食べれてないんだから…」


その通りだ。人々の顔は青白く、今にも倒れそうな程にやつれている。水瀬が小声で漏らす。


「それもこれもアイツらのせい…」


東京が海に沈み、スカイツリーが孤立すると暴力的な男達がカフェやレストランの食料を独占しだしたのだ。スカイツリーのスタッフは止めようとしたが殴られ、抵抗虚しく今はすぐそこの柱前で倒れている。水瀬は自分の細くなったであろう腕を触り、ため息を着く。彼女はとても綺麗だった。恐らく今までは美容にも気を付けていたのだろう。こんな状況では化粧も出来ないし、風呂にも入れない。気が滅入るのも仕方がないが、それでも見た目が同い年位の凪に対して優しくしてくれる。元々とても良い人なのだ。


すると非常用階段がある扉が開き、暴力的な男共が登ってくる。手にはどこで手に入れたのか鉄パイプを持っている。男共は2人を見つけると下卑た笑顔を浮かべ、凪と水瀬の腕を掴み、引っ張って行く。水瀬は叫ぶ。


「ちょっと!何するの!はなしなさいよ!」


「うるせ!食料をわけてやるから、大人しく着いてこい!」


男共の考えなどわかる。凪は引っ張られながら周りを見るが周りの大人は目を背け、助けようとする人達はいない。これが現実だ。凪は内心でため息を吐く。凪は見た目が女に見えるのは自分でも自覚がある。要するに男である。彼らは女を欲望の捌け口にしようとしているのだろう。彼らにどんな趣味があるかは知らないが凪はそれに答えられるとは思えない。それに優しい水瀬が酷い目に遭うのも我慢ならない。


「そろそろ潮時かな…」


すると突然、水面向こう朝靄の向こう側に光が灯る。それは人工的に回り、遠くへと伝える為か光の線となっている。その光の線は回ってこちらに向く度に、眩しさに目が眩む。暴力的な男共は叫ぶ。


「救助船だ!」


凪達の腕を離し、夏場の虫のように窓に張り付く。そうして凪は水瀬の腕を掴み非常階段まで走り、上へ登って行く。


「救助船だって!助かるよ!」


腕を引っ張られ走る水瀬の感嘆の声が、後ろから聞こえるが何も答えずに登っていく。非常用の扉を開けて展望回廊の上に出る。光は未だに朝靄の向こうでクルクルと回っている。


「良かった!世界はまだ滅んでなかったんだね!お父さんとお母さんも無事だと良いけど…」


その水瀬の言葉で凪の顔は暗くなる。すると下から窓ガラスが割れる音が聞こえる。厚みのある窓ガラスをどうやって割ったのか暴力的な男共は光に向かい声を上げる。


「こっちだ!俺達を助けろ!!」


だが光がこちらに来ることはない。ただ静かに回っている。


「私達も呼んでみる?」


「様子をみよう」


水瀬の言葉に凪はそう答える。どうなるかは分かってはいるが…


暴力的な男共は痺れを切らして、スカイツリー内にある物で簡易的なボートを作り海に飛び出したのが上から見える。だがそんな物では直ぐに瓦解するのは当たり前であっという間に崩れる。結局、散らばった適当な物に捕まり泳いで朝靄の中に消えていった。すると男共の叫び声が朝靄の中から聞こえ、静かになった。


「え…何…どうなったの…?」


水瀬は口を抑える。恐怖の顔が張り付く。


「どうやらサメに食われたみたいだね。因果応報かな…」


凪の言葉に水瀬はどうする事も出来ずに立ちすくむ。すると次々と人々が窓の外へと出ていく。だが先程の暴力的な男共とは違い、水面の上を歩いて行く。彼らはやつれボロボロになった身体を引きずり、まるで亡者の行進のようだった。


「え…何で…水の上を歩いてるの…?それにサメが泳いでるのに何でわざわざ海に…」


「これは彼らの習性だよ。彼らは虫のように光へと群がる生き物なんだ。生存という名の光にね」


「凪…何言ってるの…?よくわからないよ?」


水瀬が凪を見つめてくる。凪も水瀬を見つめ返す。


「ごめんね…僕は君達を迎えに来たんだ」


水瀬はますます分からないというような顔をする。凪はまた朝靄向こうの回る光を見つめる。


「あれは救助船ではなく灯台なんだよ。生き残った人々はあの灯台を目指すんだ。そしてこの世界からまた別の世界に行ってもらう」


「意味が分からない!凪!さっきから全然何言ってるか分からないよ!?」


水瀬はこの辛かったであろう一週間ですら見せなかった辛そうな顔をしている。混乱し、仲良くなったと思っていた凪が話す内容が水瀬を苦しめる。


「人間は直ぐに地球をダメにしてしまう。だからこうやって一定周期で雨で洗い流し、別の次元の地球に行ってもらうんだ。行ってもらった地球もダメになったらまた洗い流して、こっちに戻って来てもらう。その頃には綺麗になっているからね」


「そんな…何で…何でわざわざ私に教えてくれるの…?それに凪は何でそんな事を知っているの…?」


水瀬は凪を見つめたまま青い顔で問う。凪は答えるかどうか悩む。長い間この仕事をしてきたが、この話を人間にするのも初めてでましてや自分の事を話すのはタブーでもある。だが…


「僕は…人間の言うところの天使って奴だ。地球の創造主に使えている」


「天使?こんな酷い事、皆にしているのに…?」


その言葉に凪は何も答えられない。自分だって理解しているのだ。人間が地球を壊していくから洗い流し浄化する。だが善人まで殺す必要はないと凪も思っている。生き残った人間だけを新しい地球に送るのは不公平だと理解している。だがそれは全て創造主がそう決めた事、凪にはどうする事も出来ない。

水瀬は静かに質問する。


「私のお父さんとお母さんはどうなったの…?」


「海に沈んで亡くなったよ…」


だぶん本人も分かっていたのだろう。彼女は泣かなかった。それに凪を責めたりもしなかった。ただ黙って回る光を見つめている。凪が口を開く。


「水瀬はどうしてスカイツリーに登ったの?」


水瀬はその場に体育座りをして少し間を空けて話し出す。


「彼氏に内緒で会いに来たんだ…私、彼とは遠距離恋愛だったの…でも彼の家を訪ねたら、他の女の人と居た…浮気してたんだ…でも彼は私とはとっくに終わってると思ってただって。そんなのあんまりでしょ?だから帰る前にスカイツリーに登ったの。多分もう二度と東京に来る事は無いと思ったから…」


水面からクジラの親子が顔を出し潮を吹く。凪いだ海に僅かな揺らぎが起こり、水面を歩く行進者達の足元を揺らす。


「そしたら、家にも二度と帰れなくなっちゃった…」


そこで初めて水瀬は涙を流した。頬を伝ったそれは海に落ち、溶けて消える。凪は水瀬の肩に手を伸ばすが何もせずに手を下ろす。


「水瀬、そろそろ僕達も行こう…」


凪は彼女の手を取り立たせる。そして凪に手を引かれながら、海面に飛び降りる。身体は一瞬の浮遊感を感じ、ゆっくりと海面に足が着く。僅かな波紋が広がりそして消える。水瀬の手を引き凪は歩き出す。ゆっくりと2人は灯台の光を目指す。凪が後ろを振り返ると水瀬の目は虚ろになっている。既に意識は光に飲まれている。彼女に凪の声はもう届かないだろう。


「君とこうして歩くのは何回目だろうね。この時間が僕にとっての全てなんだ」


海面の上を2人は朝靄の中を進む。光が近づいてくる。薄らと灯台の輪郭が浮かびあがってくる。


「もうおしまいか…また君に僕の気持ちを伝えられなかったよ。1週間も猶予があったのにね」


凪は水瀬の手を離す。彼女は1人でゆっくりと灯台へ進んで行く。凪は水瀬を送り出す。


「またね。水瀬 恵理、また雨が降るその時に…」


水瀬は朝靄の中へ消えていく。


世界はこうして循環する。人類はもうひとつの地球でも同じ事を繰り返す。そして浄化の雨が降る時にまた君は藍白の塔に登るだろう。名前は違うかもしれないが必ず君に出会うのだ。次こそは伝えようこの気持ち。それが何万年も先になろうとも。


おわり

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